++ 紙ひこうき ++



konekoneko presents...2003.07.14 


今にも雨が降り出しそうな空を窓から眺めつつケビンは溜め息を吐いた。
そして、筋力トレーニングに使っていた鉄アレイを下ろしながらクロエに問い掛けた。

「今日もメニューに変更があるのか?クロエ」

傍らで記録を取っていたクロエは窓の外に視線を向けながら答えた。

「・・・この様子だとあるかもしれないな」

クロエの言葉にケビンは更に深い溜め息を吐いた。ケビンの覚えている限りでは今日を含めると四日連続のメニュー変更となる。ケビンはデータを片手にPCを起動させるクロエに聞いた。

「又、室内だけのメニューか?」
「そうなるだろうな」

ここ数日、イギリスは雨に因る気温の上下差が激しかった。降った後の急激な冷え込み。クロエはその冷え込みでの体調の崩れを心配してこの四日間ケビンに室内トレーニングのみをやらせていた。ケビンもクロエの配慮やメニューに不満はなかった。
しかし、四日間も部屋に閉じ込もっていると外の空気を吸いたくなる。
そう思ったケビンはクロエに話し掛けた。

「クロエ」
「駄目だ」

あまりの即答にケビンは一瞬、止まった。しかし、直ぐに気を取り直し再度話し掛けた。

「ク」
「駄目だ」

先程に負けない即答。部屋にはキーボードを叩く音だけが響いた。まだ何も言っていない、ケビンはそう言おうとしたが断念した。口では勝てない。それは解りきった事実。しかし、このまま引き下がるには癪に障る。考えあぐねていて視線を泳がせていたケビンの目に一枚の紙が止まった。
それはクロエが手に持っていた記録用紙だった。それを見たケビンはマスクの下で笑みを浮かべた。

「クロエ、その紙なんだが」
「ん?これの事か?」
「ああ、そうだ。使っていない物はあるか?」
「あるにはあるが・・・」
「一枚俺にくれないか?」
「別に構わないがケビン、外に行くのは諦めたのか?」

からかう様な口調で紙を差し出すクロエにケビンはまさかと短く告げた。

「俺は諦めが悪い方だ。それはお前がよく知っている筈だろう?」

「・・・そうだな。で、それでどうするつもりだ?ケビン」

ケビンはその問いには答えなかったその代わり受け取った紙で何かを折り始めた。
直ぐに折り上がったそれをケビンは満足そうに眺めた後クロエの方に差し出した。

「クロエ。これで俺と賭けをしてみないか?」
「賭け?・・・それでか?」
「そうだ」

クロエはケビンが差し出してきた物を観察するように眺めた。それは何の変哲も無い只の紙ひこうきだった。少し首を傾げながらクロエはケビンに尋ねた。

「本当にこれで賭けをするつもりなのか?ケビン」
「勿論だ」
「・・・分かった。だが、どうやって勝負するつもりだ」
「方法は簡単だ」

ケビンはすっと窓を指差した。窓の外には向かいに立つアパートの白い壁と此方より少し高い位置にある窓ガラスが見えた。

「この紙ひこうきを真っ直ぐ飛ばしあのアパートの壁にぶつかるか否か」
「それを予想するのか?」
「ああ」
「そしてお前が勝てば外に出せと?」
「ああ、そうだ」
「ケビン、冷静に考えろ。どう見ても真っ直ぐに飛ばせば直ぐにぶつかる」
「お前はそう思うか」
「誰が見てもだ」
「俺はそう思わんな」

マスクから覗くケビンの目元は不敵に笑っていた。確信はあるのかと問うクロエにケビンは何も言わず窓に向かった。窓を開けると湿った風が部屋の中を通り向けた。その風が通り過ぎるとケビンはゆっくりとそれを構えた。

「クロエ、一つ提案がある」
「止めるのか?」
「いや、止めはしない。が、勝った時の条件に追加したい事がある」
「何だ?」
「俺が勝った場合、この後の時間を全てフリーにして俺とデートだ」
「・・・・何?」

ケビンの突然の提案にクロエは一瞬、反応が遅れた。

「構わないだろう。お前の予想だと俺は負ける。そうだろう?」
「ああ」
「ならば、叶わぬ夢ぐらい見ても良いだろう?」
「・・・分かった。しかし、それならば俺も追加事項を加えさせてもらう」
「別に構わんが」
「そうか、ならばお前が負けた場合通常の4倍の室内メニューをこなしてもらう」
「うぐぬっ!」
「止めるなら今の内だぞ」
「・・・それでも構わん」
「そうか」

クロエは溜め息を一つ吐くとケビンの隣に並んだ。そしてケビンの首に掛かっているタオルを手に取った。それを片手で端を持ち自分の目線の高さまで持ち上げた。

「これが合図だ」
「ああ」

一瞬の沈黙。そして、タオルが床に落とされた。
二人の視線は床では無く放たれた紙ひこうきに注がれた。それは人通りの無い道を真っ直ぐに横切り同じ色の壁に向かって進んだ。クロエは勝ったとばかりにケビンを見て口を開いた。

「終わりだな」
「いや」

ケビンが呟いた瞬間、一陣の風が吹いた。それに驚いて目を見張っているクロエの前で紙ひこうきは悠然と向かいの窓に吸い込まれていった。

「・・・・」
「俺の勝ちだ。クロエ」
「・・・・その様だな」

上機嫌な声で話し掛けるケビンとは対照的にクロエは少し不機嫌な声で答えた。

「こうなると分かっていたのか?」
「いや、さっきも言った通り俺は俺の感を信じたまでだ」
「外れるとは思わなかったのか?」
「全く」
「・・・・呆れた奴だな」
「運も実力の内だ」

ケビンの言葉に軽い溜め息を吐いてクロエは紙ひこうきが消えていった窓を見つめた。
そして、窓から離れながら軽く伸びをしているケビンの背中に向かって呟いた。

「それもそうだな」

部屋の中に戻っていく二人の背後では重い雲間から徐々に覗き始めた青い空が広がっていた。


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