あいのひ2
 悪いが、そういった類いは一切受け取らないことにしている。
 すまない。
 端的で感情の篭らない台詞を矢継ぎ早に聞かされれば、どんなに強引な相手とてこちらの意思に従わざるを得ないだろう。
 意図して冷たくあしらっているつもりはないが、その気がないのだという旨を明確に告げることはルール違反ではない。もし、少しくらいの斟酌が必要だと説く者がいたとしても、それは親しき間柄でのみ通用する甘えの一種だろう。
 そう断言できるのは、元来感情というプログラムが組み込まれていないナビだからだ。
 その事実に劣等感を抱いた覚えはないし、不便を感じたこともない。与えられた任務を完璧に遂行することだけを目的として作られ、強力なウイルスを倒す技量さえ磨くことができればネットナビとしての機能には些かも不都合が生じないからだ。
 人ごみに紛れれば、必ずと言って良いほど女性型のナビから渡される荷物を、素早い動作で立ち去ることでかわし、ブルースは内心で舌打ちをした。
 炎山と顔を合わせて、平静ではいられなくなる自身を保つためにインターネットシティへの見回りを提言したが、却って当日であるために、果敢にもアタックしてくるナビの数が多い。先日まではぽつりぽつりといただけだった物好きな女性ナビは、今日こそは意を決してと言わんばかりに、覚悟のほども尋常ではないようだ。無論、好きな相手に告白するチャンス、という大儀が掲げられている日だという因果に後押しされて、これを機に自らの淡い思いとやらに区切りないし進展をさせたいと考えているのかもしれない。
 無駄なことだとは思わないが、数が多ければ捌くにも難儀をする。人気のパロメータというのは把握していないが、知名度は確かに低くはないのだろう。オペレーターである炎山自身が現実世界の一部で顔が売れているのと同様、凄腕の剣士ナビを挙げるなら、その中に必ず自分の名前が入るということだろう。
 女性型のナビは、確かに数が少ない。男女差別ではないが、汎用型のナビに性別が必ずしも不可欠ではないと思われているからだ。
 製作所や会社が主だが、ただの労働力の一つの形、プログラムの一つだと認識されている場合、単純な作業しか行わない彼らに高度な識別は求められない。それが実生活でのパートナーとして存在した場合、より親しみやすい者として性別を与えられることが一般化してきている。
 だが、その多くは男のナビで、オペレーターが女であれば女性型のナビを好むかと問われれば、一〇〇パーセントそうだと言えるものではなかった。むしろ、女性の使い手で男性型のナビを使用している者はいるが、その逆はあまり少ないと言うのが正しいだろう。カスタマイズする側の恥じらいかどうかは知らないが、要するに強いナビが欲しいと考えるなら、サポート役としての長所が目立つ女性型は滅多に選ばれないということだろう。
 けれど、それは彼女らが自分たちに劣っているからではなく、オペレーターの側に小さな力であっても相手に勝利するだけの手腕があれば問題にはならない。手札が攻撃用の能力ではなく、数多ある補助系の能力であったとしても、それらを駆使して戦術を練られるだけの頭があれば良いだけの話だ。
 実際、汎用型のナビでも強いと噂される幾体かのネットナビを知っている。仮に炎山が自分以外のナビを一から育てたとしても、バスティングのランクは最初から最下位ではないと言えばわかりやすいだろうか。

 ないはずの風を切って街中を歩いている間も、ホテルの宿泊サービスの受付を行うカウンターをいくつか目にする。
 直接目的のホテルへアクセスすることも可能だが、こうして出張所のように総合案内所がインターネットシティにも多く出店しているのだ。
 情報のターミナルであるかのように、ここへ来ることができさえすれば粗方の用事は済ませられる。個人同士の直接交渉を要しない一般人にとって、ナビを使ってここにあるモールで買い物をしたり宿泊施設やチケットの予約を取り付けることで求めるサービスを容易に受けられるのだとすれば、どちらにとっても有益な場ではあろう。
 事実、炎山自身も稀にここを利用することがある。
 ユーザーにとって便利だというただそれだけの理由だが、それこそが最も効果的なツールであるということを、出店した企業はどこも理解しているからだ。
 国内のホテルとほぼすべて繋がっているいるカウンターで、ブルースは今日の予約が取れないかどうかを思案した。
 恐らくどこだろうと、スウィートに空き室などないだろうと思うのは、当然人間たちが今日という日のために様々な準備を行っていただろうと推測できるからだ。
 料理や記念のシャンパンなど、特殊なイベントなどなくても構わないが、いっそこのまま炎山をどこかへ攫ってしまおうかと考える。
 誰にも邪魔されることのない一室に閉じ込めて、ただ時間を共有していたい。まったく無意味なことだと頭ではわかっているものの、それだけのために先の見えた行動に走ってしまいそうになる。
 この衝動が何であるかは、思考するまでもないのだろう。
 我ながら、炎山のことに関しては、自嘲めいた思いばかりが浮かんでくる。
 けれど逡巡は長くは続かず、現実世界での時間が予定されていた会議の時刻を指し示す数分前に、ブルースはインターネットシティから自身でログアウトした。


「思わぬ時間を食ったな」
 外での会合に出席した後、嘆息とともに少年は副社長室の椅子に深く座り込んだ。
 本来であれば今開発しているソフトの打ち合わせと確認作業だけだったはずだが、開発過程で社長である父親の意向が行き渡っていない部分があり、それを指摘したのがそもそもの原因だった。
 周知されているものと思い込んでいた炎山は、父に代わって集まった関係者に注意を喚起し、プロジェクトの説明を最初からやり直したのだ。社員教育が成っていないとは言わなかったが、徹底した規律を重んじるIPCにとって、大切なものは意識の統一だ。誤った解釈で事を進めれば、しっぺ返しを食らうのは自分たちだ。そして、ユーザーの信用問題にも関わる。
 順を追って細かに物事を説く炎山の姿は、大人たちから見ればはるかに小さいが、その存在感というものは格段に大きい。落ち着いた声調と物腰が、独特の緊張感を呼び起こすと言っても過言ではないだろう。意識を強く持って吐き出される言葉は、居並ぶ参加者たちを鋭く射抜く。机上のPETから炎山を補佐しながら、ブルースは意識の隅でその光景を誇らしく思っていた。
「炎山さま、今から車の手配をします。帰宅の準備を…」
 トレーニングの時間が押してしまったが、いつも通り自宅で過ごすのだろう。
 夜を回っても勉学に勤しむのが常であったから、早急に帰るものだと思っていたのだが。
「…今夜は、良い」
 本社で過ごす、と告げられ、一瞬ブルースは返答に詰まった。
 やり残した仕事があっただろうかと反芻し、予想の範疇にはないと答を弾き出すと、ディスプレイからじっと主の動向を見守った。
 炎山は若干疲れを感じているようだが、呼吸や体温は平素のものだ。ふわりと揺れる前髪に隠れた額も、平常時と変わらない。
 何か他に考えがあるのだと思った矢先に、出てきてくれと請われた。
 命令ではなく頼みごとがあるのだと悟り、PETの中の電子の世界から実世界へと形を作る。
 光の粒子はあっという間に目の前で色と質を備え、長身の影が白い髪の少年を見下ろした。
 黒いグラスの奥から見つめられ、上向いた細い顎がぽつりと音を漏らした。
「他に良い案が見つからなくてな…」
 意味を問う前に椅子から立ち上がった身体から手を伸ばされる。
「どこが良い…?」
「は…?」
 思わず口に出して問えば、深い紺青の双眸がじっと下から覗き込んでくる。
「俺から、……するとしたら、だ」
 行き場を求めて宙に浮いていた指先が、脇に放置していた黒い指にそっと触れる。
 接吻を強請ったこともなければ、炎山自らが仕掛けてくることはない。自然と触れ合うのが常だった行為を挙げて、要求されればどこででもと相手は言う。
 ごくり、と。
 もし体内を満たす液体があったとしたら、間違いなく生唾という物を飲み込んでいただろう。それだけ、ブルースにとっては扇情的な誘いだった。
 当人にその気がなかったのだとしても、誘惑していると捉えられても不思議ではない。
「…今でなければ駄目ですか?」
 くすりと片頬を心持ち吊り上げ、不遜な態度で赤いナビは小さな主人を視界に捉えた。
 軽く首を傾げる仕草で、炎山が真意を質すような眼差しを向けてくる。
 透き通るような光彩を蓄えていながら、その眸は高貴なベレンスで作られている。瞬きのたび新たな艶が生まれるそこに、濡れた光を見たいと願う。
「ベッドの上で、していただくわけには」
 腕の中で、熱された空気を更に感じたいと。
 貝のようなか弱い人肌に触れながら、もう片方の耳に囁きを吹き込む。
 触れ合うほど近くはなく、離れていると表するには距離がなさ過ぎる。
 絶妙な感覚で感度を刺激する側に応えるように、捕らえられた人影がかすかに震えた。
「…悪くない…」
 濡れたような口元に苦笑が刷かれ、傾いた陽光は繋がったままの二つの影を照らし続けた。


-200703/12
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