ゼリー1
 女性というのはどうして、こう。
 半ば大げさとも思える嘆息を吐き、金色に近い瞳を持つ青年ナビは項垂れた。
 丁度目線が、落ちた先にいた少女とぶつかった。
「いえ、ほのおさんのことを言っているのではないのです」
 軽く打ち消し、疲れたような表情に、グライドは苦笑を浮かべた。
 問題としているのは自身の女主人兼オペレーターであり、居合わせた少女に罪はないことを告げる。まだ幼いナビには理解できないだろうことを見越した上で、大事ない旨を笑みを浮かべることで示した。
「何が大変なの?」
 グライドは、何に疲れているの?
 小首を傾げ、抱き上げられた肩口で心配げに尋ねる。
 困りましたね、と複雑な面を見せながら、真摯に問うてくる態度に絆されたかのように、実は、と言葉を漏らした。
 他言は無用ですよ、と注釈し、やがてグライドは自らの胸の内を語り出した。
 吐き出してしまえば、例えそれが些細な行為だとしても浮かばれるものがある。相談相手としては相応ではないけれど、聞いてくれる者があることにグライドは心の底から感謝した。
 少女はいまだ未発達な存在だけれど、思いやりというものを生まれながらに持っている女性だということに喜びを感じながら。

 うろうろと、部屋の隅を行ったり来たりする。
 考え込んでいるようで、実際その中身は単純なものなのだろう。
 一人で解決できないことを抱え込んでいるから、どうしても聞きたくて堪らない。けれど、そろそろブルースが帰ってくる頃合だから、今話し出してしまえば彼女の父の不興を買うだろうと推測しているのだろう。
 それが単なる甘えだとは解釈せず、炎山は私服に着替え終えた足を、そわそわとしている娘の方へと向けた。
「どうした、ほのお」
 ん?、と促すように首を斜めに傾ければ、数時間前の少女と瓜二つの容貌が微笑を刷く。
 高さを合わせるように身を屈め、膝の上で長く伸びきった指を揃えた。
 元々身体は柔軟な方ではなかったが、長年の鍛錬の甲斐あって、常人よりも格段に柔らかい。長年、毎晩のように圧し掛かってくる相手が無茶とも思える体位を要求してきたお蔭かもしれない。
 前屈することで、身長の見合わない相手へ圧迫感を与えることなく距離を詰める。直接床で膝を折っても良かったが、敢えて炎山は覗き込むことでほのおの出方を窺った。
「何か俺に、尋ねたいことがあるんじゃないのか?」
 言いたいことを導き出すように、語調を緩め、口元で不敵な笑みを宿す。
 近距離から見つめられ、一瞬少女は呆然としていたようだ。何に心を奪われていたかは明らかではないが、改めて問われることで、小さな胸に勇気の火が灯ったようだ。
 ねえ、炎山さま、と細いけれど確かな声を放つ。
「焼餅って、何?どうして、好きなだけじゃいけないの…?」
 刹那、こちらから聞くべきではなかったかと、炎山は無言のままその場で瞑目した。

 恋愛事は不得手だ。
 特に異性に関する事柄は、得意ではない。
 それは恐らく父親の代から。もしかすると前の前の、そのまた前の先祖たちも同様だったかもしれない。
 稀に道を外れたような輩もいたにはいたかもしれないが、それなりに伊集院家は直系を守ってきた。
 不器用というか、単純に取り得が他にあっただけなのだが、あまり側室関係で問題を起こした事例は少ないと聞いている。それだけ一途であったと周囲の人間は持て囃すが、現実がどうであったかは、無論炎山には確かめようとする意思はなかった。
「そうか、やいとが…………」
 そこで、どうしようもなく気まずい雰囲気に気圧されるように、ふと閉口した。
 正妻の名前がほのおの口から出てきたところで、早々に話題を変えてしまえば良かったのだろうが、懸命にグライドの苦労を伝えようとする健気な姿勢に押されて、結局最後まで話を聞いてしまったのが運の尽きなのだろう。
 先日、取引先の女社長に一緒に食事でもどうかと誘われたのがそもそもの始まりだった。ついでもあったので、打ち合わせの後、そのホテルでともに昼食を摂ったのだ。会合に使ったホテルは、アメロッパ東部へも事業を展開しようとしているとの情報を事前に入手していたので、どの程度のものか、一度この目で見てみようと前々から考えていたのだ。
 それが案の定地獄耳というか、地獄の情報網を持っていると豪語する。もとい、豪語できるだけの成果を上げている彼女の部下たちの働きによって、雇い主であるやいとの耳に入ってしまったというわけだ。
 たかが、食事。
 しかも真昼の出来事だ。
 ランデブーなどではあり得ないし、アバンチュールなど愚の骨頂。
 ホテル見物の良い機会だっただけで、相手を利用したと評するのが本来の見方だろう。
 そう言い切ってしまうのはあまりに横柄だろうとの自覚は少しくらいあるものの、他に事情を説明しようにも、炎山自身に下心がなさ過ぎた。
 殊、異性関係では、普段から禁欲を心掛けねばならないほど、遊んでいるわけではない。
 国内外で若いながらも妻帯者であることを公言しているにもかかわらず、寄ってくる輩は確かにいる。仕事以外、そんなものに興味がないので適当にあしらっているのだが、愛想だけは良いと言ってやいとは頻繁に腹を立てている。かといって、相手を冷たく突き放せば、女だからと言って軽んじているのではないかと非難されるのだ。
 だったら、どうしろと言うのか。
 無用な問答であることを見越しているので、その点については大して拘ってはいない
 正しくは、そんなことにいちいち時間をかけていられないだけなのだが、面と向かって意見すれば、更に彼女の不機嫌を煽るだけだろう。
 会えば四六時中喧嘩をしていると思われても不思議ではないほど、やいととはぶつかりっ放しだ。けれど、まあ、それも。
 愛着を覚えるほど慣れてしまえば、そう深刻な話ではない。
「…やれやれ、だな」
 浅い嘆息を吐き出した炎山の姿に困惑し、しゅんとしたように少女は体を小さくした。
 また余計なことを言って、面倒をかけてしまったのではないかと直感する。ただでさえ多忙の炎山に心労を与えては、何よりもブルースに怒られる。心中を本人に明かせば、そんなことはないと言われてしまうだろうが、役に立つことが当然であるナビが、人の負担になっては仕様がない。
 謝ろうと頭を持ち上げた途端、生身の腕に抱き上げられた。
 両手で抱きしめるように身体を抱え上げ、少女よりも少し低い位置から、明瞭だが優しい眼差しが見返してきた。
「おまえが心配することは何もない」
 グライドにも迷惑をかけたな、と片頬を吊り上げる。
 炎山が自信家であるのは、今に始まったことではない。周囲に心配をかけまいとしての行動なのか、敵に弱みを見せんがための手段なのかはわからないが、恐らく当人の性質なのだろう。プライドと経験によって培われた諸々の自信が、彼を負の方向へは向かわせなかった。
 良かった。
 ほのおの言うことで、炎山さまは何も傷ついていない。
 はっきりとした事実が理解できれば、少女も暗い顔をしてばかりではいられなかった。
 彼女のことは任せておけと言われ、ありがとう、と幼い娘は顔を綻ばせた。

→ゼリー2


-2007/03/16
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