+ ハパチ。 +

00/あなたへ。

 子分として置いてくれと志願した時、簡単には許可が下りないだろうと考えていた。
 どこの馬の骨とも知れない軽薄そうな人間が、いきなり側に置かせてくれと懇願して、怪しまない奴はいないだろう。現に、不満げに眉を潜めたのはその脇で侍っていた黄色い連中だ。
 けれど当の組頭は、明らかに何も考えていなさそうな口調で、良いぜと一言で決定を下した。
 条件や約束など、語尾に付加されるものが他にあるのではないかと思ったが、それきり興味が失せたのだろう。すいと前を通って、立派なトゲを蓄えた人はそのままどこかへ行ってしまった。
 正直、拍子抜けした。
 むしろ、目の裏には苛立ちすら滲んだ。
「ちょっと待て…っ」
 掴んで呼び止めようにも、相手は服を着ていなかった。
 大きく開いた掌で掴むには頼りないと表現した方が相応しいだろう細い腕が、視界から遠のいて行く。
 力ずくで振り向かせようと一旦は前に出たが、相手のおかげでハジケ村での居住を許された者がそんな真似をして良いのかと、間一髪で思い留まった。自分でも、よくそんな理性的な判断が可能だったと思う。行動を躊躇した験しなど、普段ならあり得なかったというのに。
 そもそも、舎弟にしてくれと願い出て、それに転身する許しを貰ったとはいえ、右も左もわからないことだらけだ。態度の一つを取っても、相応しくないと見咎められていきなり破門を言い渡されるかもしれない。だとしたら、慎重に事を運ぶのが懸命だと直感した。
 第一、親分と崇める人に向かって、溜め口はまずいだろう。
 少なくとも、付いて行きたいと願ったのは本心である以上、軽率な行為は自らの意思に反すると思った。
 ともすれば今までの軽率な行いが無意識のうちに表面に出てしまうことを忌々しく思いながら、呼び止めた相手がこちらを振り返ったことで意識を転換した。
 今はそんなことよりも、意見を言う方が先決だと腹を決める。
「んだよ、俺はRPGに出てくる町人Aじゃねえぞ」
 気安く呼び止めるなと振り返る。
 口調は幾分面倒臭そうだったが、素早い動作で視線を絡めてきた。どうやら、先の台詞は聞き逃したようだ。
「は?…あ、いや、だから…」
 『まちびと』などという聞き慣れない単語に首を捻りつつ、言おうと思っていた事柄を繰り返す。
 是という言葉だけで、身の証が立てられないような人間をここへ引き入れて良いのかと、真意を問うた。親切心からではなく、常識的に考えておかしくはないかと疑問を呈した。
 組を束ねる者として、確かな立証が必要なのではないかと。今日日就職活動をしている人間だとて、履歴書くらいは持参する。誰かに弟子入りを願うにしても、推薦状くらいなければすんなりと受け入れてくれる窯元とていないだろう。
 最初は大人しく吊り目の男の言い分を聞いていたが、途中でどうでも良くなったのか、首領パッチはしょーがねえなと目線だけを横へ流した。
 宝石のような点が、さっと廊下を眺める。そこに何があるのか、まだ部屋の内側にいた破天荒にはわからなかった。
「だったら、俺の言うお使いを成功させたら、おまえに勇者の剣を与えてやる」
「…は?」
 今度こそ間違いなく、理解不能な物体を見るような蔑んだ表情に変わった。
 何を言っているのか全然わからない。いや、わからないと思っているのは自分だけで、もしかしたらまた始まったかと思うのが普通なのかもしれない。
 いつも一緒にいる周囲の奴らにとっては、慣れ親しんだ光景というか。だとしたら、全然おかしくはないことになる。
 けれど、自分には到底わけのわからない理屈だった。そうとしか認識できない。仮に自分以外の人間がこの場で同じ内容を耳にしてもそう感じただろう。断言できる。普通じゃない。
 しかし、敢えてそれを心の奥底へしまい込む。こんなことでいちいち動転していては、組の一員は勤まらないと思ったからだ。
 背後の畳に座っていたコパッチたちは、互いにひそひそと耳打ちし合っている。残念ながら、それに背を向けている男には何の話をしているのかまでは知ることができなかった。
 苛苛した心地を心中の舌打ちで何とか誤魔化し、じっと次の台詞を待つ。ここまで忍耐を強いられるのは、そう経験があることではない。
 しかし限界に至る直前、白い手袋を握った拳から軽快な音がした。思いつきとともに、明確な声が鼓膜に届く。
「おまえが、一番可愛いと思う物を買って来い」
 それが初めて与えられた、首領パッチからの命令だった。


 耳にした途端、はああ???と大きな声で聞き返していた。
 それこそ、自身の立場も忘れて間の抜けた返答をした。
 それと、子分として自分を受け入れるのと、どんな繋がりがあるというのか。
 わけがわからねえと思いながら、気がつけば町へ出ている自分がいた。
 所詮、頼み込んだ側の部が悪い。それは当然なのだが、一宿の宿を頼んだ時とて誰かの意に従った覚えはなかった。殊に、脈絡のない指図など。
 多少面倒でも、力を見せつけさえすれば勝手をすることが許された。あるいは、そいつに恩を売っても構わなかった。常人では不可能な仕事を一つ片してしまえば、取り入ることは可能だったからだ。ただ、野宿で一人寝をすることが専らだったので、そうした阿漕な真似をして悪評を広めたのは片手で余るくらいだったが。
 とにかく、先立つものである金の都合はついている。
 鍵に関わる特技を得ていた手前、自慢の錠前が外れないとか、家の鍵を忘れたとか失くしたとか。
 ひょんなところからも、身につけた手腕を発揮することで、金銭の工面に苦労をしたことはなかった。入るものは少なかったが、金の使い道とて多様にあるわけではない。一人でその日暮な生活を続けるには、充分に事足りる備えだった。
 しかし、突然可愛い物をと強請られても、さっぱり想像がつかない。
 恐らく他人に尋ねたとしても、明確な答は得られないのだろう。
 首領パッチは、自分が、と言った。
 他の誰でもない、破天荒という男がこれだと思う物を手に入れて来いと命じたのだ。
 面倒臭え。
 正直、本人の前でもそう言ってしまいたかった。
 けれど、ここまで歩いてきてしまった。ハジケ組の門をくぐり、地理すら良く把握していない土地に出て来てしまった。
 村の、割と中心部。商店が何件かあって、繁盛しているとは言い難い佇まいが余所者である破天荒を迎えてくれた。
 温かくというより、どこか生温い気配がするのは錯覚ではない。ここぞとばかりにハジケる機会を狙っている連中ばかりが暮らしていると言われるだけはあり、別の意味で不穏な空気に包まれていた。
 しかし、生来纏うクールな雰囲気が、彼らの意思を跳ねつけているようだった。ここに相応しくない空気を纏っている新参者が現れたことに、まるで気後れでもしているかのような。だが、誰も自分を退けたりはしなかった。
 ハジケ組に入った奴ならばと。
 まだ正式に子分として名乗りを上げたわけではないのに、なぜか村中の人間が自分を受け入れているようだった。
 だからといって、気さくに付き合う気はない。いや、今はそれどころではないというのが正解だろう。
 与えられた指令の答を、手にしなければならないのだから。
 もし失敗したら、二度とあそこの敷居を跨がせてくれないかもしれない。
 それは、嫌だと思った。折角会えた人と遠ざけられるなど、冗談ではないと思った。
 なぜ、それほどまでに固執しているのか、はっきりとした根拠があるわけではない。
 衝撃は、ほとんど一瞬だった。
 一見だけで自覚する、若しくは思い込むものがあるとは思わなかった。
 感覚よりも更に原点に近く、もっと根の部分で、この人はと思った。
 錯覚であったとしても構わない。恐らく、失望する部分も、改めて感じ入る部分も、これから先見出す羽目になるだろう。けれど、後悔はしないと思った。
 眼を見ればわかる。
 あの人は、他にはいない人だ。
 これから新たに出会うことも、そして知ることもないだろう。
 意識の根源でたった一つだと認識したのなら、手をこまねいて素知らぬ振りを通すわけには行かなかった。
 衝動と呼ぶべき感情に突き動かされたのならば、本能に従うのみ。
 できないのだとしたら、おのれを偽っていることに他ならなかった。

 ああそうかと、店に陳列してあるものを眺めながら、いつしか破天荒は合点した。
 首領パッチが言ったのは、要するに贈り物のことだ。
 人に物を贈るとしたら、おまえなら何を選ぶかと。
 それを自身に尋ねたのだ。
 持ち帰る先の対象が明らかであれば、何も難しい課題ではない。そうか、そういうからくりかと、一瞬その答が見えたように思った。
 しかし、八百屋へ行き、材木屋へ行き、肉屋も魚屋も回ったが、これはと思えるものはなかった。
 そもそも、故郷で過ごした短い幼少時代でさえ、母親に花を贈った経験はあれど、それ以外はほとんど記憶にない。何かヒントになりそうな話を見知った誰かが口にしていたような気がするが、センスという以前に、破天荒にはその手の習慣がなかった。
 身につかなかったというか、馴染まなかったというか。その思いないし光景、否、感慨にすら、触れたことがなかった。
 何も、思い浮かばねえ。
 短い前髪から覗く額を大きな手で押さえ、いつしか米神に滲んだ脂汗を拭うことすら忘れ、もやもやとした胸の内で唸るように思った。
 突如として自身を襲った絶望感に、恨み言を言う気持ちすら失せた。
 見えかけたと思ったことが、突然無理だと断ざれたと思しき壁にぶち当たる。
 遭遇したのは、無論自分の責任だ。結局、興るものが自身にはない。あるはずの情感が、欠落しているという事実をまざまざと見せ付けられたように感じた。
 贈る。
 何を。
 あの人に。
 何を。
 終わりなく繰り返される問いかけに、事態が一向に進まないことを悟った。
 半ば、絶体絶命だと思った。
 こんな、岩よりも無心な自分に、そんなものを解決するだけの能があるのか。
 人間としての厚みに欠け、まったく人として用を成さない。人形よりも空白で、埋め尽くされるもののない抜け殻。
 辛うじて肉に血が流れているとはいえ、与えられた問題を読み解くことすらできず、探し当てるべき答すら弾き出せないでいる。
 自分に向けて放言した相手は、さも事も無げに言った。
 居合わせたコパッチたちは、それくらいならものの数分とかからずに終わらせられるような、穏やかな顔つきで主の言葉を聞いていた。むしろ、あれもこれもと次々にその口に上らせることができるくらい、表情は快活な笑顔を湛えていた。自分たちが敬愛する親分から役目を与えられて、気の毒だと思う素振りはどこにも見当たらなかった。
 では、こうして煩悶しているのは自身だけということになる。
 こんな、餓鬼でも思いつけるような答が、自分には不可能であるとは。
 ああ、そういえばと、虚ろになりかけた頭の中に、この難問を解く鍵のようなものが思い浮かんだ。
 プレゼントとは、この人なら喜んでくれると思う品物か、この人に似合いそうだと感じた物を選ぶのが良いと、誰かが言っていたような気がする。
 どこで聞いたのかは判然としないが、その言葉を耳にして、当時の自分は放っておいてくれるのが一番有り難いと考えたことが印象に残っていた。なぜなら、頼んでまで手に入れたいと思えるほど他人にも物資にも執心したことがなかったからだ。
 では、あの人に似合いそうなものは。
 いい加減投げ出してしまいたいと思う心を何とか思考へ傾け、その先の答を探る。
 自身で決めて良いことなら、必ずこの中に見出すべき鍵があるはずだと、頭を捻った。
 生来物事に執着せず、何にも思いを巡らせることのなかった男が、今になって避けてきた行為そのものを悔やんだ。
 それと同時に、思いつけるものすべてを、例え破片であろうと導き出すため専心する。まだ自身が生身であるのだとしたら、その証拠に、人と同じような感覚がどこかに残っているはずだと。ただ単に忘却しているだけだというなら、今思い出したかった。教えてくれと、声に出して自らに乞う。
 苛立ち始める神経を宥め賺し、破天荒は考えた。
 首領パッチに似合うもの。彼に持っていてほしいと思うもの。
 一緒に在れば、好いと思えるもの。
 それが、可愛いと思うこととイコールなのかと。
 思い浮かんだ想像と与えられた課題が、瞬間胸裡で交錯したかに思えたが、難しく考えることはしなかった。
 恐らく、感情が伴っていれば、醜いとは判別されないだろう。美醜の相違は自分にはわからなかったが、多分相手には片言の思いだけでも伝わるだろうと思った。



「すみません。今はこれしか、思い付きませんでした」
 夜中になって、もう夕飯は残ってねえぞと言いながら玄関先で出迎えた首領パッチに、手に抱えていた物を差し出した。
 白い包み紙でくるまれたそれは、大柄な男の手から手渡されるにしては幾分慎ましげな風情だった。受け取る側は、些かの喜悦もない。ただ無表情で包みを腕の中に抱え、それと真上の顔を交互に見比べる。
 首を傾げたまま中身を覗くと、すぐに首領パッチは視線を取って返した。
 腕にした物から、頭上の男へと瞳を移動させる。青い双眸は、今度こそその位置から離れることはなかった。
 翳りのない眼差しで見つめられていることを意識して、贈り主は自然と顔を赤くした。
「それじゃあ、おやびんがくれた命令に対する答にはならないってのは、よくわかっているんですけど…」
 フォローを口にしながら、しどろもどろに目線を動かす。
 確かに、無言のまま凝視してくる大きな目には、極度に萎縮を興させる部分がある。綺麗だと褒めようにも、切れ上がった目尻は、正視され続ければ脅されるに等しい威力があった。しかし、本人にそのつもりがないのはわかりきっている。
 わかった、と受け取った側は呆気なく顎を引いた。首はないので、天辺のトゲがかすかに傾いただけだが、それとわかるくらい明らかな返答だった。
 良かったと、破天荒は心の底から安堵の吐息を漏らした。
 その懸命さが伝わったのか、当人からはそれについての感想は一切なかった。
 可と下されたわけではなかったが、退けられたわけではない。
 では、回答としては辛うじて丸の中に収まる範疇だったのか。それとも、行為そのものに意味があったのか。

「明日の朝、コパッチたちと食べようぜ」
 言い、包んでいた紙の口を再び折り曲げる。中身が零れないよう、白い指でかさりと音を立てた。
 微細な動きとともに、声の後、口端が微妙な弧を描く。
 小さな変化だ。感情の篭もらない目付きに付随する、かすかな変事。それが、開けっぴろげな笑顔ではなく、自然体の首領パッチなのだと知った瞬間、もっと大きなものが胸に広がった。
「はい、おやびん」
 浮かんだ感慨が、そのまま自らの面に出ていたことに気づくはずもなく。

 その日から、ハジケ組は自身の帰る場所になった。

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