いらない所で器用な男だと、紅は頬杖をついたまま黙々と作業を進めるアスマを眺めた。多分自分がいることを覚えてはいるのだろうが、今はきっと意識の中にはあるまいと思える男を。
声をかけたのは、自分だった。
竹と縄を抱えて歩くアスマに、それは一体なんなのだと。
返ってきた返答に、足りないんじゃないのと目に載せて問うと、煙草を加えた口がにっと笑った。
見ていくか?
云ったのは、アスマの側。
この年取りが近付いた気忙しい中、そんな時間なんかないわよ――云おうと思った時には、すでに男の背が向けられていて。
ついてくるのが当然だといわんばかりのその背に、苦笑を落してから半刻ばかりが経っている。人通りの少ない通りに面した家の前で石を椅子代わりにしてからはその半分ほどの時間が経っていたろうか。
紅の目の前で動くアスマの手には、少しも繊細さなどない。ごつごつしているし、傷も多い。その手に握られたクナイも、何故だか小さく見える。
けれど、今日は幾分か――気持ち程度だろうが――慎重に動いているようだと紅は思う。
無造作に斜めに切った竹が、それぞれ丁度いい長さになっていた時などは、器用ねぇと呆れ半分褒め半分で呟いたほどだ。
切った竹を一まとめにし、それを筵でくるりと包み更に大きな和紙で包みあげ、その上から縄で縛り上げていく動きは、慣れているのだろうと思わせるほどになめらかで。
紅は、寒風に晒されつつも座った石の上から動かずにその手元を眺めていた。
斜めに揃えられた三本の竹の切り口が真っすぐ天を向いていた。
それをまとめる筵は簡素に一重巻。
和紙の端はまるで襟のようにして折っているが、これも余計な装飾は無し。
上から縛り上げている縄は丁寧に三箇所で括られていて、結び目がそれぞれ違う形をしていた。問えば多分、その意味を教えてくれるだろうと知っていたが、彼女はあえて問わなかった。
アスマに意味があるというなら、それでいいのだと思って。
ただ――
「松、どこに飾るの?」
よしと出来たばかりのそれを立たせ、もう一つだなと独りごちつつ竹を切るアスマの横顔に問うたのは、目に鮮やかな緑の色が足りぬと思ったからだった。
「松なんざ飾らねぇよ」
素っ気無く返す相手は、聞きたい事はそれだけかとちらりと紅に目を向けると、返答を待たずにまた作業に戻った。
竹を三本、高さを揃えて和紙と筵で包み、また縄で縛り。
「門松って云うじゃない」
だから松が付きものでしょう。
ついでに、土台となるべきものがいる。
アスマが作っているそれは、土台もなければ松もない、何とも頼りないもののように紅の目には映る。頼りないと思うのに、それだけでどっしりと立っているのだが。
「松は縁起が悪い」
「松竹梅なのに?」
そりゃあなと、火を付けずに煙草を口にくわえる。どうにも落ちつかねぇと。
「松で、仲間が何人かな、死んでてな」
一人はまだ中忍だった頃だとアスマは呟いた。冬の山で足を滑らせ、転がり落ちた先にたまたま折れた松の枝があったのだと。まったく不運というか、忍としては間の抜けた話だが。
里が近ければ助かったんだがなぁと云うからには、肺か腹かを枝が貫いていたのだろう。
「まあ一番多いのは、トラップだろうな。そいつに使われていたのが松って事だ」
「目の前で?」
「目の前で、だ」
俺は運がいいんだろうよと自嘲するアスマに、紅は何も云わなかった。自分だとてそうした事はなかったでもない。仲間の犠牲のおかげで拾った命だという自覚を持てるような事は。
「一人だけ助かった奴がいたが…あいつの場合、名前が良かったんだろうさ」
教えてやってもいいぜ。
云う目元が心なしか笑んでいるようで、紅もほっとして笑みの欠片を浮かべて見せた。この男に、あまりしんみりとした話を聞かせられるのは嫌だった。どういう時であれ、どんなものであれ、面倒だと云い置いていて欲しいとどこかで思う自分がいる――思うだけよと自分に向かって独りごち、紅は話を促した。
「忍としての命は無くしちまったが、まあ普通に動けるしな、今じゃ別嬪の嫁さん捕まえて、双子の親父だ、松に命を取られなかっただけでも儲けモンだが、なかなかいい運だぜ」
「だから、誰よ」
よし、と一対の松なし門松を仕上げたアスマは、にやりと口を歪めてみせて。
「アスマってんだよ、その運のいい奴はよ」
さぁてもう一踏ん張りかな。
首をコキリと鳴らした後に、転がしてあった竹を手に取る。また作業が繰り返されるのだと漠然と思った紅は、遅れてふぅんと囁いた。
「そのアスマさんは、日頃の行いが良かったわけね?」
あんたと違って。
「加えて、名前がな、良かったんだろうさ」
だから俺も簡単にゃあくたばらねぇって寸法よ。
なるほどねと、松のない一対の門松を紅は眺める。
これはその男――元同僚の「アスマさん」へ渡すつもりの門松なのだと。
松のないそれはどこにも売っていないだろうから、わざわざ手作りで。
二人にとって験の悪い緑の葉を無視して。
「こうした方がもっといいと思うけど?」
真っすぐな竹だけを使った門松に、迷う事を潔しとしない性格を見るようだと思う紅は、でもそれだけじゃあ寂しいわよと家に持ち帰るつもりだった荷の中から取り出したものを、そっと和紙と縄との間に忍ばせた。
そして、何をしているのかと振り向いた男の目が、意外そうに見開かれるのを心地良く感じた。
「…悪かないな」
鮮やかなうす紅の花一輪が艶やかな葉と共に竹に添えられているのを眺め――ただそれだけの言葉だったが、悪くないわねと紅は笑んだ。
寒さに耐えて咲く寒椿の、けして派手ではないその色に。
「飾るつもりだったんじゃねぇのか?」
「まだあるわ」
それに、寒椿は一輪飾るのが粋ってものよ。
多分云っても判らないだろうと、紅は言葉を飲み込んだ。この男にそんな事が判るなら、何かが今よりは変わっていたろうと知っていたので。
それでも――そうかとあっさり背を向けられるのにも慣れたし、語られなかった言葉を読むのも慣れた。
慣れというのは困ったものだとどこかで思いつつ、それじゃあねと必要になるだろう数の椿を座っていた石の上に置き自分の用事に立ち返ろうとした紅に、ほらよとアスマは手に納めるには少しばかり大きな竹の一節を放った。余りもんだが使ってくれやと。
節の硬い膜を底にして上の膜には指一本が入るかどうかという穴の開けられたそれを器用に片手で受け取って、何よと声を上げようとした紅は――ああと微笑んだ。
飾り気の無い、いい花器になるわと。
よい年を。
互いにさり気なく言い合って。
二人はその年最後の会話をそうやって終えた。
うす紅の椿が一輪、青々とした竹の花器に納まって、その下で酒を呑む二人の目を楽しませたのは、年明けのある日の事――
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