子供の元気の良さにはついていけないわと、紅はこっそりと吐息を漏らした。
日中の任務であれだけへばっていたのに、祭りとなれば現金なもので、疲れという言葉など知らないとでも云わんばかりに跳ね回っているのだから。
自分の受け持ったのは、比較的手の掛からない面々だという事は誰に云われなくても承知していたが、それでもまだ子供だったのだと痛感せざるを得ない。
キバは赤丸を定位置に据えてご満悦という状態だし。
無口で何を考えているのか掴み所の無いシノも、いつもに比べて落ち着きが無いように見える。
ヒナタはというと、自分の影に半分隠れるようにしていながらも辺りをきょろきょろと伺っている。何か気になるものでもあるのか、見たいものでもあるのか…
そして私はといえば…と、またしても吐息が漏れそうになる。
数年ぶりに出した浴衣に袖を通して、疲れているわけではないけれど子供のお守りね…
祭りだもん、紅姐さんも行こうぜ。
云った後で、キバはあっと口を押えていた。姐さん。キバが自分の事をそう呼んでいるのは知っていた。他の人間がいる前では先生と云っていたし、自分の前でも先生と呼んでいた。が、仲間相手には姐さんと。
いいけどねと、口を押えている頭に柔らかく手を置いて。
奢りはナシよと云ってやると、あてにしていたんだけどなぁと笑う顔は子供だったと紅は思う。
まあ、祭りだし。
綿飴の一つぐらいならいいかもねと、夕暮れ前の鍛錬場でそう思ったものだった。
しかし――この人の混み具合ときたらと、思わず一歩も二歩もひけてしまう。
賑やかなのは嫌いではないが、どうしたって好きになれないものがあるとしたなら人の波だ。次々と押し寄せる、人間の波。個々の意思の感じられない、人間の群れ。
それらをするりとかわして歩くのは当然できるが、ヒナタが手を繋いできている状態ではちょっとねぇと考えてしまう。どうせだったら仲間を頼りなさいと思ったものの、根が賑やか大好きなキバは多分連れを振りまわすだけだろうし、シノはこういう時はあまり頼りにならない。彼が身裡で飼っている蟲達を宥めるのに神経の半分ばかりを持っていかれているのだろう。
普段は比較的手のかからない下忍達は、下忍として以外ならば手のかかる連中だったのだ。
どこで鳴らしているものなのか、耳に届く神楽太鼓はなかなか威勢が良いものだった。
立ち並ぶ露店から漂う匂いは少々甘ったるくもあるが、紅にとっては懐かしく、子供にとっては食欲に繋がるもの。
冷えようとしている空気の中で、人が放つ熱がそれに逆らい、神社は仮初の熱気に包まれている。
「しっかしあいつら、おっせぇなぁ」
灯篭の傍で呟くキバの頭の上で、赤丸が立ち上がってあたりを伺っていた。そうしてさえも、赤丸の目線――ひいてはそれがキバの視線になる――は大人の域にようよう並ぶか並ばないかといったあたり。一人と一匹が一人前になってしまったら、多分ああやって遠目をきかせるのだろうなと紅は思いつつ、自分の袖にしがみついているヒナタに目を向けた。
「待ち合わせなの?」
「あの、サクラちゃんやイノちゃん達と…皆で行こうねって…あ、あの、先生達が来るかは、聞いてなくて…」
カカシは来ない。
それは紅でなくても云えたろう。カカシを欠片なりとも知る者ならば、そう云える。
アスマは、と考えて…半々だろうなという気はする。何だかんだ云いつつもあの子供嫌いではない男が、先生もと手を引かれては来ないはずがない気もするし、いつものように面倒くせぇと一蹴する気もするし。
あれで時々思いがけない事をしてくれる男だからと、ヒナタの肩に手を回してぐいと自分の前に押し出した紅は、似合っているわよと浴衣を褒めた。
家の中で居場所のない状態であるヒナタに足りないのは、何より自信なのだと知っていると思うので、それがどんな他愛ない事でもいい、口に出して褒めてやるのがいいのだと。
同じ事をキバにしたなら増長してしまう事は間違いなく、シノに至っては眉をひそめるだけだろう事も承知していたが。
欠片ほどでもいい、自信が必要なのだと紅は思う。
自分を好きになれない人間は、自分を大事にしない。自分を大事にできない奴が仲間を大事にできるはずもない。
些か乱暴な論法だとは自分でも思うが、それが事実の一端であるという事は過去に経験済みだった。
「お前等、おせーよ」
駆け寄ってくる影に向けて面白くないと云いたげな声音でキバが云う。ああまた元気の塊が増えたなと、紅は頬を緩める。
スリーマンセル時代の仲間は、どれほど時が経とうとも仲間でいられる貴重な存在だ。
同じ組でなかったにせよ、こうして共に過ごす時間があれば。それだけでも充分に。
後はあんた達だけで充分でしょうと、ヒナタの背を押しシノの肩に手を置いて。
「明日の任務に支障のないようにね」
人込みは嫌いなのよと自分に対して言い訳めいた呟きを落として、紅はそこから静かに消えた――
なんだって子供というのはあんなに甘いものが好きなんだろうかと、帰るつもりでいた目の端に映った光景に首を捻る。お前も昔はそうだったろうと云われたら、そんな昔の事など覚えてはいないと返すだろうし、今は辛党だ、だから甘いものの良さなど判らない。
あんなに口いっぱいに苺飴だとか林檎飴だとかを頬張ってるんじゃあ、明日の鍛錬は少しキツメにしてやろうかしらなどと、キバあたりが聞いたら冗談キツイぜと一歩も二歩も引きそうな事を考えていると、また一軒の露店の前で子供等が足を止めた。
腰を落として何やら覗き込んでは歓声を上げている。
ああ、と。
笑みをこぼした紅は、懐かしいなと後ろにあるはずの灯篭に背を任せようとした。
下忍になる前――アカデミーの頃までは、自分もああして金魚すくいをしていたものだ。
しなくなったのは、厳しかった自分の師が無益な殺生を慎めと口をすっぱくして云っていたからだ。師の厳しさは、情け深さからだった。お前達も一人前になれば、やがて嫌でも生き物を殺める日がくるのだからと。
どうせ、露店ですくった金魚はすぐ死んでしまうんだよ。
師の言葉通り、紅はすくった金魚が長く生きたのを見たことはない。だから師の云うように金魚すくいをしなくなって――それに、もうそんな歳でもないしねと背を灯篭に預けようとして。
「おう、行くぞ」
傾けた背に大きな手が添えられて、前にそらとばかりに押し出される。
ああ本当に、あんたっていう男は時々思いがけない事をしてくれるわねと斜め後ろを見上げた紅は、僅かばかりに非難がましい目をして見せたが、それだけだった。
「あの子達と待ち合わせてたんじゃないの?」
「ぁあ? んな、ガキ共の交流会に混じってどうするよ」
面倒くせぇにもほどがあるってもんだろう。
じゃあなんであんたがここにいるのよと、思った事を顔に出さずに背を押されるまま前に出る。面倒だの何だの云いつつ、結局心配が手伝ってここまで足を運んだのだろうに素直じゃないわね…などとは云わず。
もう一度振り仰いだ顔は、いつもと微妙に違っていた。その違いが口にくわえているものだと気付いて吹き出しそうになったのを、男は気付いたのだろう、何だよと眉をひそめた。
煙草のかわりに、鼈甲飴とは。
この人込みに遠慮しているのは判っても、本当に思いがけない事をしてくれるものだと笑いがこみ上げてくる。
「旨いんだぜ」
食うかとまだ二三残っている袋を差し出され、子供じゃあるまいしと紅は目線を逸らした。
「買い食いしている間はいいけどな、金魚程度で熱くなられちゃ迷惑だからよ」
何が迷惑なのだろうと小首を傾げる紅に、アスマは男の子ってぇのはそんなモンでなと苦笑した。何が「そんなモン」なのかと、今度は眉をひそめて見せたがアスマはにやりと笑うだけで言葉を紡がなかった。
代わりに、そらと指し示す。金魚が泳ぐ、白いビニールで作られた四角い容れものを。
逃げ場の無い白いそれの中で、鮮やかな朱の色をした小魚の形をしたそれらが動き回るのは、まるで逃げ惑う人間の群れと同じようだと紅は思った。逃げて逃げて、結局捕まってしまう者もあれば、逃げ切ったとしても次の保証などない人間と同じだと。
ああ、だから金魚すくいなんか嫌なのよと、口の中だけで呟く。
自分の教え子達が嬉々として紙でできた網を振りかざす姿を見て。
「やだ、破れちゃった」
「私もぉ」
「へへ、じゃ俺がサクラちゃんにとってやるってばよ」
「いいもん、サスケ君にとってもらうんだから」
「私もサスケ君にとってもらうからいいんだもん。ね、ね、あの出目金、いいなぁ」
「術使うのはナシだぜ、ナシ! 正々堂々、実力勝負だかんな!」
何が正々堂々で実力勝負だと云うのかと、それよりあんた達の先生が二人揃って後ろに立ってるのに気付きなさいよと、紅は些か呆れ果ててその光景を眺めていた。
発展途上の卵達が、狭いそこで頭をつき合わせて賑やかに金魚すくいに興じる様は、微笑ましくもあり、苛立たしくもあり…そうか、私は多少焦っているのかもしれないわと、ふと思い至った。
一人前にする事ばかりに目がいって、焦っているのかもしれない…
ある意味それは、仕方の無い事だと云える。下忍を育てられないような上忍など、その実力を舐めてかかられても文句は云えない。己を律し、尚且つ他をも律する――それができてこその上忍。
この男はそんな事を考えた事があるのだろうかと、隣でにやにやと成り行きを見下ろしているアスマを振り仰いで――あったはずだろうが絶対云わないだろうと思った。
そんな事、話すことすら面倒だと。
一笑に伏しておしまいのような気がしていた。
「ぜってー、ズルだっての!」
手首を返すだけという動作で何匹目かの金魚をすくい上げた口数の少ない子供に、キバが食ってかかる。
ひっきりなしに菓子を口に運んでいたはずの子供が、存外繊細な動きで大きな出目金をすくい上げる。
誰かが追っていたのを逃れた金魚を要領良く待ち構える形ですくい上げる子供もいれば、騒ぎすぎて手の届く範囲には一匹もいなくなってしまった子供もいる。
こんな子供等を自分達は一人前にしようとしているのだと、紅は薄く笑った。笑って…
「あんた達、下手ねぇ」
呆れ混じりに漏らした言葉に、はじめて師の存在に気付いたのだろう、びくりと振り返る姿はなかなかに楽しいものだったと紅は思う。
ただ、下手だから頑張ってるんだってばと顔を口にして喚いた子供がよしと腕まくりをしてやっとの事で一匹をすくい上げた時は、違う意味で口元が綻んだが。
ほどほどにしなさいよとだけ声をかけ、明日はどんな訓練をしてやろうかと思った事も楽しいものだったが。
「一本頂戴」
背越しにあがる歓声を聞きながら差し出した手に、鼈甲飴が乗せられて。
甘いわねと顔を顰めたその時に、祭りの味だろうよと失笑してきた相手と呑むこれからの時間も楽しいだろう。
二人して、あの落ち着きの無い元気の塊共を鍛え上げる話をする、神社の片隅に設えられた小さな居酒屋で過ごす時間が――
先生にもたまには休みが必要よね。
云った言葉に、そりゃなぁと、返す男の口に酒と一緒にいつもの煙草があったのは、何となくだが安心するものだと思う紅は、明日になったら金魚はどうしたのかと聞いてみようと考えた。
もしかしたら誰かの家で、運良く生き延びるのがいるかもしれないと思いつつ――
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