どっち
 犬派か、猫派か。
 些細な問題定義は、そこから始まった。

 断然犬派だと主張する者。
 やっぱり猫だと言い返す者。
 いずれにせよ、その意見のすべてが、自分たちが信頼するオペレーターの嗜好に起因するものだった。
「ブルースは、どっち?」
 ピンク色のナビに質問を振られ、思わず顔全体をそちらへ向ける。
 真正面からの正視に、相手はさほど驚いた様子も見せなかったようだ。
 いつも活発な、興味津々とばかりの視線(無論、好意を示しているロックマンには別だろうが)を受け、つと思考を巡らせた。
 データ同士の交流、というのも文字にしてみればおかしな具合だが、ナビという人工知能と性質を保持する者たちには、事実、人格に近い質というものは備わっている。
 外面がたとえ一般的な型を模したナビだろうが、カスタマイズした人間の手が加わっているナビだろうが、そこに大きな優劣は存在しなかった。
 もしあるとすれば、やはり先端技術をいち早く取り入れているかいないかだろう。
 インターネット・シティで直接最新のツールを入手する者もいれば、オペレーターの主義で古いプログラムを長く使用続けている者もいる。ナビの安全という観点から新型のPETが急速に普及するのは至極当然だが、だからといって基盤となる元のデータを作り変えようという人間は少ない。
 彼らにも人格は存在する。長じれば、存在の意義や権利があるのではないかといった議論にも到達することだろう。
 勝手に消されるのも、初期化、修正されて回路を弄り回されるのも。更に言えば新しいナビに鞍替えをするなどということも、彼らに関わった人間であればそれがルール違反であることを熟知しているだろう。対等であるならば、使い捨ての道具だという認識は少ない。
 そして幸いなことに、自身の顔見知りのナビたちは、それぞれ独特な外見や価値観を持っていた。
 いや、持っていてもおかしくはないほど、彼らのオペレーターたちはそういった分野に関して許容範囲が広かった。
 友達である以上、自分と違う考えを持っていても良いのではないかと。
「そうだな、俺は…」
 答えようとして、言葉に詰まる。
 犬、というものも、猫というものも、決して馴染みがないわけではなかったが、実際に飼った経験はない。
 勿論、自身の主である炎山が、だが、これまでのデータを探ってみても、明確な回答を得られるだけの根拠が見つからなかった。
 再び顎を引いて思案し出した友人を見て、あっとロールは何かを思いついたようだ。
「そういえば、昨日学校の帰りにね。メイルちゃんたちが、自分たちを動物に当てはめたら何になるかっていう、例え話をしていたの」
 ね、と相槌を求めるように、その場に居合わせたはずのロックマンを振り返る。
「うん、そう。それで、熱斗君は絶対犬だよね、って話になって…」
 どんな犬だよ、と言われた当人が騒ぎ立てて、頭の悪そうな子犬かもという級友の冗談を聞いて更に怒っていたっけ、と追想する。
「ロックマンだって、そうだと思ったんでしょ?」
 もし自分のオペレーターを動物に例えたら、やっぱり透なる少年の言った通りになるのではないかと畳み掛ける。
 問われ、う〜んと言いながら青いナビは苦笑いをした。
 正直にそうです、と同意するのも、親友に対する侮辱になるだろうと考えているのだろう。しかし、十中八九、ロールに言われたことを肯定しているらしき素振りは否定できない。
 どちらかと言うと、と言い回しを変えることで、友人の面子を保った。
「子犬っていうのは間違いないと思うけど、元気で腕白な、ってとこかなあ?」
 要するに、落ち着きがないということだろ。
 冷静にロックマンの評を分析しつつ、ブルースは無意識のうちに腕を組んだ。
 片手を持ち上げ、マスクから剥き出しになった顎に指を添える。
 考え込むなどという造作は滅多にしないが、同じナビの前では時折その手の表現を使うことがある。
 とはいえ、その多くは炎山に関する事項に占められていた。
 ひとつのテーマを与えられて、それについて炎山をなぞらえてみたら、どんな答に行き着くのか。
 以前なら一言で終止符を打つことができたことが、急速な自己の進化の結果、断言では済ませられないような気がしたからだ。
 本当に、『そんなものは必要ない』、で終わらせられるのか否か。
 今までイエス、と答えられていたものが、そうではないと思うようになってきた。
 詰まるところ、一面だけでなく、炎山という人間の存在を多面的に捉えるようになったためだろう。
 そうできるだけの技術を、自身が手に入れた。キャパシティが増えたのだとしたら、こうして頭を巡らせることも、今更劣等意識を感じるような事柄ではなかった。
「メイルちゃんは、うさぎよね。薄いピンク色のうさぎ!」
 本人が言っていたことをそのまま真似て、浸るような恍惚とした眼差しでどこかの虚空を見上げる。両手はしっかり胸の位置で固定され、よほど感極まっているようだ。
 うんうん、と微笑ましいという風情でガールフレンドの意見に共感しつつ、じゃあ、と話を振る。
「炎山は、どうかな?ブルース」
 その場に居合わせなかった、別の学校に通っているもう一人の友人の場合を尋ねる。
 丁度自身も思案していたことがそのまま回ってきたので、面と向かって問われ、一瞬返答に遅れが生じた。
「炎山様は…」
 言葉を濁すように間を置き、やがて潔く、わからないと明言した。
 答を得られなかったことを失望するでもなく、ロックマンはそう、と口元に笑みを刷いた。自分の問いを無視したわけではなく、ブルースならばちゃんと考えた末に発言してくれたのだろうと納得してくれたようだ。
 隣で成り行きを見守っていたロールも、普段通りの様子で眼をしばたいた。
「そうよねえ。炎山って、いつも無表情だし」
 そうでもないけど、とすかさず隣人から小声のフォローが入る。
「毛色も二色だし」
 そこから入るの?、と気弱なツッコミが入る。
「でもふさふさしてるわけだから、やっぱり犬かも」
「…眸は青いが」
 幼くして亡くした母親の面影を色濃く残した、その造形を思い浮かべる。
 目鼻立ちのはっきりとした相貌は、ロールが想像したような犬種とはあまり似ていないように思えた。
「う〜ん…、犬にはいないかもしれないね…」
 第一、だらしなく舌を出しているところなど想像もできない。
 その場に居合わせた三人は、一様に唸りながら両腕を組んだ。
「じゃあ、やっぱり……」


「猫?」
 いきなり何を言い出すのかという思いで聞いただろう単語を反復し、仕事用のデスクから離れた場所で炎山は背後を振り返った。
「…いえ、炎山さまは動物を飼ったことがおありですか?」
 結びつく根拠というものがどこかにあるのではないかと、自分の認知していない知識について問う。
 ナビとして少年を補佐するようになってから、離れ離れになった時以外、時間を共有しなかった験しはない。ゆえに、見覚えのない事象との接点がどうしても見つからなかった。
 少し考えるような素振りをしてから、ああ、と炎山は自身の記憶の中に回答を得たようだ。
「お袋が」
 幼少の時分急死した実母が、何匹か猫を飼っていたと告ぐ。
「母さんが死んでからは親戚が引き取ったようだが、間違いなくいたな」
 生まれ育った片親の故郷を懐かしむように、当時の状況を簡単に説明する。
 母親の葬儀後、初めて炎山と対面した自分には、彼らがいた事実を記憶できるはずがなかった。尤も、炎山に預けられたとはいえ、数年間は財団に管理されていたため、余計なメモリとして処分されただけに過ぎなかったのかもしれないが。
「そうですか……」
 半分は合点し、そしてもう半分について、ブルースはおのれの思考を働かせた。
「………………」
 どうした、と問いかけられる。
 疑わしいという態度は微塵もないが、なぜそんなにこちらを凝視する、と少年は些か居心地が悪いようだった。
 申し訳ありませんと謝罪しながら、黒いグラスの奥から視界に収められるようになった白い影を見つめ続ける。
 同じように白色と思える肌膚に浮かんだ光彩は、透明なのに深く、記号では表しきれないほどの輝きがあった。
「やはり、炎山さまは……」
 ロックマンたちの言った通りだと合点する。
 青い眼の、白にも黒にもなれる猫。
 中途半端に介入し合うのではなく、恐らくどちらにも姿を変えられる存在。
 あるいは、いずれの容姿に変わろうとも、その内面の形だけは不変だと信じられるもの。
 自らの答に辿り着き、そこでようやく赤いナビは口に笑みを宿した。


-2005/10/15
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