しろいはなの名
 ちらちらと降り注ぐ花片のような光を、飽くことなく見つめ続ける。
 その先にあるのは、荒野同然に広がる高層ビルの峰峰だ。ただ、それが何かに覆われるという動きに、感じるところがあるわけではないのだろう。
 室温を最小限に抑えて、ひんやりとした外気の伝わる硝子の側で佇む。
 気分転換だと、社長室のデスクを離れて背後に広がる外の景色を眺望することは日常的だ。だが、頻繁ではない。それだけに、体力的にも精神的にも余裕があるという証明なのだろう。
 思ったよりも、分厚い硝子戸から伝わる冷気が強いようだ。
 今日は一日中降雪があり、底冷えする寒さになるのだろうと見当をつけ、そっと隣へ足を伸ばす。今まで居たPETの中に比べて、やはり炎山の居る場所は忍び寄るような冷たさに包まれていた。
 炎山はこうして外を眺める時、決まって目線を下方には下げない。
 おのれと同一の線で結ばれた点か、はたまたそれよりも上空に視線を馳せる。急な傾斜を好まない眼差しは、安定感を得ながら、上昇しようとする志向を表しているかのようだった。
 こうして、横顔を見せたまま微動だにしない影を傍らから眺めることは、珍しくなくなった。三次元世界に初めて映像として出力が可能になってから、ずっとその姿を見守ってきた。
 オペレーターの指示がなくとも、ナビにやるべきことはある。炎山の立場が大企業の重役である以上、何もかもが山積している。来週の予定どころか、二ヶ月先のスケジュールも管理されているのが当たり前の世界。ネット警察に対しても協力要請があれば直ちに駆けつけるため、休息という時間枠はあっても休日はない。休むいとまもないと炎山自身が弱音を吐くことはないが、本当に安らげるのは短時間の休眠を摂る時だけだろう。
 そして、一人で外界の景色を眺めている瞬間。
 ものの数分で離れることはあっても、今のように長時間沈黙を続けたまま佇むことは稀だ。晴天の日よりも、薄暗い日を好む傾向にある。光の中に見つけるそれよりも、暗い雲雨の中にこそ自らが見出すべき光明の標を得ているかのようだった。
 それでも、本当に心が沈んでいる時は、その双眸に何が映し出されようと、安らぎを得ることはないのだろう。
 今は、穏やかというには若干強い光を湛えたまま、前方を睨むように注視し続けている。
 PETより外の具象を前にして、抱くものがあるのだとしたら、それもナビの心ということになるのだろうか。
 あまり自分は、そういうものを認めようという気にはならない。そんな権利はないと、以前はきっぱりと切り捨てられたはずだった。
 だが、おのれにも意思があることを認め、擬似人格プログラムといえど理屈ではない感情というものがあることを知り得た。元々備わっていたわけではないが、芽生えたものは、この数年間で確実に育ったと言うべきだろう。
 作られた当初からその機能を所持していたロックマンなどから言わせれば、生粋のナビとも呼べる自分たちは、与えられた役割を実行するだけの単なるナビゲーターの役目しか果たせない未熟な機械ということになるだろう。
 勿論、ロックマンがそういう見解など微塵も持ち合わせていないことは承知しているが、昔の自分を顧みても、単調な思考と行動しかできなかった身が詰まらないものに見えるのは事実だ。
 炎山とて、忠実に指令をこなし、与えられた課題をクリアするだけの、本当の意味でのネットナビという姿に徹していた頃の自身に未練はないだろう。

「……俺は、そうは思わない」
 ふと、独白のようにその口元が動いた。
 驚き、顔を上げると、青い一瞥がうっすらと微笑んでいた。
「以前の自分を恥じるような奴は、前へは進めないからな」
 だから、出会った当時から今までで、そのことを後悔するような験しは一度もないと説く。
 例え過失で相手を失い、自らも傷を負った一件があったとしても。
 いや、だからこそ。
 自身の汚点も、頑なに意地を張っていた過去のおのれさえ、受け入れ進むことができると。
「俺に、おまえのいない世界は考えられない」
 最後にそう結んで、炎山は再び窓の外へ真っ直ぐに視線を伸ばした。
「俺もです。炎山さま」
 まるで今時分だけ精神がシンクロしていたかのように、こちらの考えが伝わってしまったのだろう。
 そんなことは戦いの場面でしか起こり得ないとわかっているのに、普段の生活の中でも時々重なる部分がある。
 察してくれる、というのだろうか。人間だからこそ捉えることのできる、見えない部分を炎山が敏感に察知してくれるのだ。
 こちらのように、数字が目の前に並ぶのではなく、肌で感じるという、独特の動作で感知する。

「今日は、積もりそうだな」
 はるか眼下で枝分かれするか細い道路を見下ろし、ぽつり呟く。
「明朝には溶けてしまうでしょうが、今日一日は残りそうです」
 外温がそれほど上昇する気配のないことから、言葉を補足する。
 久しぶりに車を降りて、地に足を付けてみてはどうかと勧めたくなった。
 炎山は、外出をするとしても自由に出歩ける状態にはいない。それこそ、ネットセイバーの任務だと断らなければ、自ら動くこともないだろう。
 親友の光熱斗ほど活発ではないとはいえ、散策程度の趣味はある。実行可能かどうかは別として、外の様子が変われば、それを直に体験してみたいと思うのが人情だろう。
「いつか」
 予期せず口が動いたことに、行動を司る中枢に一瞬の遅れが生じた。
 しかし、それも計算外のシステムが起こしたものだったのだろう。
 ナビにもあって然るべきだと、いつか誰かが豪語した異能。
 合理的ではあるが、それと相反するような作用。動き、心情が。
 それが、自分自身の真情であろうことは疑う余地もない。
「一緒に外を歩きませんか」
 炎山の、透明度の高い紺青色の双眸に収められた景観と同じ場所に居続けること。
 それを願ってやまないのは、こちらの信条。
 そして当然のように、見えない場所に自身の姿が映し出されているのなら。
「そうだな。…誰も、邪魔のいないところでなら」
 賑やかなのも苦手ではないが、どうせなら二人きりの方が良いと。
 小さな花弁の散華を背に微笑った様は、彼が従えた景色よりも一層鮮やかに映った。


-2005/11/24
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