鼓動
 シャツの裾から忍び入った指が開かれると同時に、露な肌を眼下に晒させる。脇腹を滑り、胸の突起に先を引っ掛けるように、黒の体積が表面を掠めた。
 瞬時に小さな痙攣が全身を伝い、密着した下腹部に振動を伝える。例え微弱な変化であっても、結合した状態であれば、それは毒にも薬にもなった。
 はあ、と荒い呼気を吐き出し、少し収まったかと見るや鼻から酸素を摂取する。見計らったように後方から追い討ちをかけられ、食い縛った歯列の奥から切なげな声が搾り出された。
 飽くことのない繰り返しであるはずがないというのに、肉体が繋がっている二人には一時が永遠であるかのように映る。息遣いと衣擦れが静かな空間を乱し、淫蕩なリズムを刻み付けた。そこへ突如、場違いとも思える呼び出し音が鳴り響いた。
 本来、発信元を探知して即座に報せるべき役割の担い手は、ソファでの行為に没頭している。細い体躯を押し伏せるように腰の一点で繋ぎとめ、胸から下の自由を拘束している最中だった。
「……?」
 それらが自動的に受信された旨を理解した青い瞳が、背後を振り返る。
 応えるように、身体を重ねた影はそっと耳元へ、仮面から剥き出しになった唇を寄せた。
「光熱斗とロックマンから、通信が入っています」
 声は普段よりも低音だが、事務的な態度から察するに、ベルが鳴った直後にその正体を感知していたのだろう。
 表面上は些かの変化もないが、昂ぶる意思とは別の場所で、本来の勤めを遂行しようとする基本動作が働いたようだ。わずかに語尾が上擦ったように聞こえるのは、局部を預け、そこに意識が集中している証拠だろう。
 彼らの言うところのリアルワールドで実体化している以上、部分的にとはいえネットナビとて感度は人並みに存在する。更に深く交合し、快感を得たいと感じているのは、貫かれる側だけではないということだ。
「音声だけ、受信しろ…っ」
 一言言うにも穿たれた箇所から過度の刺激を得てしまうのか、途切れ途切れにおのが意思を伝える。
 気取られぬほどわずかな間を置いて、わかりました、と声が降った。

「あ、俺俺、炎山?」
 誰からの呼び出しかすでに知られていることなど充分承知しているだろうに、まるで受話器越しの会話のような挨拶が飛び出す。
 屈託のない調子は、濡れた空気を纏った者が聞くには不釣合いなほど垢抜けていた。
「何か…、用か…」
 極力平静を取り戻そうと、口調だけは平素と変わらないよう努める。だが渾身の力を振り絞らなければ、無意識に語尾が震えるのを抑えられない。
 映像による会話を許可しなかったので、一緒にやって来たロックマンは締め出しを食らわされたも同然だろう。ブルース自らに断りを入れさせるため一度PETへ戻すことも考えをよぎったが、体内に根を張ったように居座る鼓動の持ち主は腰を掴んだ手を離す気配すら見せようとはしなかった。
「何かさ。明日、急な打ち合わせが入ったっていう連絡が来てさ」
 国内のネットセイバーは自分を含めて二人だけだと認識している手前、学級連絡網などあるわけがないことを知っていながら、態々報告のために参上したらしい。
 片方が画面での会話を遮断したために、双方が顔を確認できるような手段はない。そのことに、取り立てて違和感を抱かなかったのだろう。私室や執務室ではない、仕事に関わった所にかけてしまったのではないかと見当を付けたようだ。
 もし商談の場に割り込んでしまったのであれば、早々に用件だけを告げて退散するつもりでいたらしい。殊勝にもあちらに若干の配慮があったお陰で、長話にならずに済みそうだった。
「そうか…。後で、時間と…場所を……メールで」
 ぴたりと波が止んだお陰で、本来の呼吸が回復しつつある。
 しかしそんな心境とは裏腹に、ブルースを銜え込んだ箇所がじりじりと熱い。不動であることが、より生々しい形で相手と繋がっていることを実感させた。
「…メールで、送ってくれ………」
 飽くまで炎山の意思に忠実なナビは、腰骨の位置に当てた手を少しもずらすことなく背後で成り行きを見守っている。
 無感動であることが常態であるとはいえ、その冷静な視界に露な自身の姿が映し出されていると想像しただけで、奇妙な強張りに背筋が震えるようだった。
「え?口頭じゃ、駄目なのかよ…!?」
 途端に、驚いたような疑問が返る。
 ロックマンに文字を打たせるのが面倒だから、手っ取り早く通信という手段を選んだのだろう。改めて、と言われて、それがよほど心外だったようだ。
 熱斗の言い分はわかる。普段なら、わかったという一言だけでこちらも了承の意を示すことができたはずだからだ。簡単な用事なら、わざわざ記録しておく必要もない。PETで管理する明日のスケジュールに、ブルースに命じて書き込みさえすれば事は済んだからだ。
 だが、今は。
「今は…、駄目だ………っ!」
 事情を説明する余裕は、実際にない。
 あったとしても、正直に明かせるはずがなかった。
 こうして、一日の予定が粗方片付いた夕刻、斜陽を窓から浴びながら睦み合っているなどと。
 タイミングが悪かったか、とわずかに落胆したような声が、離れたデスクの上から聞こえてくる。
 一般の友人同士なら遠慮はいらなかったかもしれないが、一足早く社会の一員として活躍している炎山の身を慮っての言だろう。今日は相手の虫の居所が良かったのか、熱斗は潔く親友の要求を呑んだ。
「じゃ、夕飯の後になると思うけど、簡単なメールを送るからな?」
 ちゃんと読んでくれよ、と念を押す。
「ああ……そうす…っ」
 やっと会話が打ち切られるかと胸を撫で下ろそうとした瞬間、押し広げられた内側に新たな負荷がかかった。
「そうするっ!…っ熱斗、切るぞ…!!」
「え?あ?おう!?」
 一方的な決着に慌てながらも、もしかして、と心配げな問いが投げかけられた。
 どこか具合が悪かったのか?、と尋ね、端的な謝罪がその後に続いた。
 だったら無理をさせたとも、寝込んでいたのなら起こして済まなかったとも詫びる。
 これほど、しおらしい少年は珍しかった。恐らく、遠くないうちに熱斗自身が軽い病を患ってベッドに臥してでもいたのだろう。でなければ、こんなに親切心溢れる態度を取れるはずがないからだ。
 それに、違う、と言葉を返したかったが、緩やかに打ち付けられる腰の動きに引きずられ、徐々に喉奥で押し殺した喘ぎが表に漏れ始める。
 回線をこちらから切断しようにも、口を開けば悲鳴のような鳴き声しか出ないことは明白だった。
 幸いなことに、じゃあ、と熱斗から通信は切られたが、それを確認するいとまもなく、ソファへうつ伏せた上体を引き起こされた。
「…っブルース……!?」
 動きに合わせてこみ上げる嗚咽に抗いながら、半ば非難するように背後を睨む。
 身体を支えていた両腕にかかる負担はなくなったが、重力に従った分、結合の深度は深まる。濡れたような音が、ぴたりと重なった下半身から否が応にも漏れ聞こえてくる。叩きつけるような音響を強制的に起こしているだろうことは、もはや疑う余地がなかった。
「炎山さま」
 耳の後ろで声がする。
 興奮に溶け出したというより、どこか覚めたような返答が、揺れる白髪の間から覗く聴覚器を打った。
 下衣だけを脱ぎ、上は私服を着込んだまま、相手の膝の上に座らされる。前面に向かって大きく開かされた脚は、内壁を突かれる都度内股の肉を引き攣らせた。
 堪らず、自分からも収めた雄の角度に合わせ、動きを加える。後ろを振り返り、炎山は両手で真下の黒い足を掴んだ。
「…なぜ………っ?」
 どうして常にあるまじき行動を取ったのかと、幾重にも汗が伝う眉間を寄せ、浅い息を立て続けに吐き出しながら問う。
 浮かされたような問いかけに答えるものがあるとすれば、絡み合う肉体が紡ぎ出す満たされたような共鳴だけだった。
「…わかりません」
 太腿を掬うように下から手を伸ばし、張り詰め、涙を流す象徴を優しく愛撫する。
 両足ごと抱きかかえられるような体勢は、互いの交わりを更に深めた。
 抜き差しに速さを加え、身体の芯を揺さぶる動きに拍車をかける。
 ただ、と赤いナビは続けた。
「早く、炎山さまを…」
 そこから発される言葉はなく、熱した空気が密度を増した。
 世界をはじめに作ったのは光であり、言葉だが。
 ここにあるべきは、絡みつく熱と生命そのものを表すかのような激しい律動だけだった。


-2005/12/11
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