裸の肩に絹の寝巻の上を羽織ったまま、軽く額を押さえて項垂れた人影が見える。
「昨夜、俺は………」
自分の足で私室へ帰ってきたはずだが、と呟いている姿に、すでに夜の痕跡はない。
それからすぐにシャワーを浴びて、早々に寝てしまおうと考えながら夜着に着替えたという記憶までを、自身の頭で回想しているようだ。
指を折り順を追って行く様は、その先へ進むことを拒んでいるように映るのは断じて錯覚などではあるまい。
「……ブルース」
俺はおまえに、何か手間をかけさせたのではないか、と言葉が降る。
飽くまで推測の域を超えない問いかけだったが、もしそうなら、と後に続く形容はそこに付随していなかった。
その質問に、正直に答えるべきか否か。
時間に換算するには短過ぎる思考が、赤いPETの中で働いた。
「いえ、炎山さまはすぐにお休みになられました」
素直に真実を明かせばとんでもない状況に陥るなという計算が、発言の根本にあったのは言うまでもない。
よもや自分やロックマンがメンテナンスに出されて不在だった頃、定期健康診断を受けていたはずの炎山らが科学省の簡易祝賀会に招かれていたとは知らなかったのだ。
何のお祝いだったのか後で調べてみたところ、どうやら某名人の誕生日前夜祭だったらしいが。
「そうか。俺は、一人で寝たのか……」
再び両手でがっしりと額を押さえて前のめりになり、自らの思考に没頭する。
だったらなぜ裸で寝ていたのかという問答は、生真面目な炎山でなくともぐるぐると渦巻いて当たり前だろう。
ブルースとて、その恰好のまま寝させたかったわけではない。だが、そうできなかった理由があったのだ。なぜなら炎山は達した後、自分に抱きついて離れる気配が一向になかったからだ。
抱きしめられて眠る。
人間であれば至福だろうが、本質がデータであるナビにとっては実体を維持しなければならない分、容易とは言い難かった。何とか相手を起こさないよう腕を解き、PETに戻って軽い睡眠を摂ることができたのは、炎山が寝入ってしばらくしてからだ。
しかもプログラムが起動したのはいつも通りの定刻だったため、寝巻を着せるいとまもなかったのだ。低血圧であるにも関わらず、どうやら快眠したらしい炎山が自分の意思で起床したのも、タイミングが悪かったと言わざるを得ない。
「しかし、さっきからここがやけにひりひりするんだが…」
思い出したように、炎山は首筋に掌を這わせた。
「………………………」
しまったと思ったことが画面に出てしまったのか、明瞭な青い目線がじっとこちらの動向を注視した。
「……………ブルース」
「申し訳ありません、炎山さま」
これ以上偽ることはできないと早々に腹を括り、深々とフレームの内側で頭を下げる。
やはり忠実であることがおのれの本質だと自覚している手前、長丁場になればなるほど墓穴を掘るだけだ。こうなれば、責めを負って叱責を受けた方が数倍も増しだと決心する。
炎山は、IPCの副社長としてある程度世の中の理を理解している。避けては通れぬ事態だったと言い訳をするつもりは毛頭ないが、詳細を説明すれば納得してくれない人柄ではない。
許しを得るまで永久にこちらからは顔を上げないつもりだったのだが、ぽつりと漏らした呟きに、思わず赤の登頂が持ち上がった。
は?、と聞き返すような素振りに、人差し指と中指でそこに触れていた炎山は、揶揄するように唇を歪ませた。
「初めてだな」
「……な、何がですか?」
今度こそ、意図がわからず不明を質す。
視線を外し、浅く伏せた睫毛を、炎山は指で押さえた箇所へと流した。
「おまえが、俺に」
こうして、痕を残すのは。
「……………………………………………………」
呆けのように、はい、と呟いた声が、おのれのセンサーに微弱な波長として表される。
その行為が何を示すのかについて、学習していないわけではない。
無論、予備知識というか、余計な知識という類いの代物だが、決して知らなかったわけではない。しかし、他者に自分たちの行いを悟られぬよう配慮していたというより、それは自身がやって良い事柄ではないと自覚していたからだ。今までそうしなかったのは、単なる遠慮であったことは言うまでもない。
端からそれを見抜いていたのか、炎山は白い面をほぐすように、ゆったりと微笑んだ。
「…なら、今回のことはこれで帳消しだな?」
どちらにも過度の振る舞いがあったことで、責めるべき要因はなくなったと告げる。
恐縮して固まったナビに、迷惑をかけたな、と端的な礼が届いた。
「いえ。俺の方こそ、炎山さまにご迷惑を…」
お身体に多大なる負荷を、とは冗談でも口にできない。
体調がだるいのはいつものことだと片付けてしまわれるだろう台詞を、何度も心中で繰り返す。
必死に頭を下げ弁解するナビに、もう良いと首を振り、炎山はそっと枕元のPETを拾い上げた。
これで最後だと、終止符を打つ意味で問う。
何事かと聞く体勢を整えたブルースに、留めの一言が突き刺さった。
「おまえは、楽しんだのか?」
「……………………………………………………………………………………」
間違いなく、この場でイエスと答えるのは間が抜けている。
というか、完全に阿呆だろうと意識が知覚する。
それなのに欺けないのは、おのれが未熟だというより、心底、という事実に他ならないだろう。
観念するような、元よりそんな立場にはないと苦笑するように、音声が偽りのない真実を明かす。
「…そうか」
胸に焼き付けられる表情は、いつも目に鮮やかなその色でしかない。
-2005/11/22
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