貝のやうな
 ものを識別する。
 初めはそれらを象る縁であり、線であり。
 色という存在を知覚し、認識するのは、臭覚と同じ最終的な動作だった。

 体温をセンサーが感知し、数値によって予め定められた電子の色数で画面を染め上げて行く。
 視覚、という動きを機械に教える過程は、人間ほど容易ではない。
 言うなれば、瞼を開いていれば眼前の光景を直接受け止められるのは、健常者だけの特権だ。
 元々それらを行う機能が備わっていなければ、その仕組みを理解し、同じ所作を無機質なデータの塊に処理させなければならない。
 鉛をつなぎ合わせたようなロボットなら、人と同様の設計も可能であるかもしれない。けれど、自身はそれとも異なる次元にいた。
 ナビという、二次元の住人。そこへ作られた模擬の人格。否。感情というものを一切組み込んでいなければ、それは演算処理をするだけのただの計算機だった。
 その人形にも等しい存在が、ある角度から他者を捕捉する。
 見つけた先にあったのは、白いもうひとつの花びら。

 幼い頃の面影を残しているのは、今では恐らく硬質のような、けれど実際は柔らかいその白毛だけなのだろう。
 双眸すら、時の移ろいとともに深さを増し、透き通るような肌膚に存在感を植えつける。
 大人びたと評して差し支えないほど、冴えた真昼の青を髣髴とさせる面差しには、気弱な影など微塵もありはしない。
 幼少の頃。母親を亡くしてすぐの容貌を、映写という形で記憶しているだけの脳裏には、成長と呼ぶべき変容を記録するだけの余裕はなかった。
 無論、時間とともに膨大な数字が蓄積されるだけの記録媒体が、明らかに負荷と断定できる雑多なメモリを持ち続けるだけのリスクを負うことはない。
 しかし、ゼロに戻すことも不可能である以上、自分たちの内部でデリートという作業が行えないのだとすれば、圧縮という手段を用いた荒削りながらも要約したものだけが残った。
 本来は現実に持ち出す機会がない時の記憶というものは、深層などではなく、人格とは別の場所で積み重なるように放置されていた。
 だから、ある一定の時間と今という点を結び合わせ、変わらない部分というものを見つけるのは容易く。呆気ないほど明確な、確たる事実としてそこにあった。

 柔らかい、骨格という、人を形作る根本にあるべき基盤を必要としない形状。それは掌よりも小さく、渦を巻いているように見えて、各々の人間によって多種多様な様相を所持していた。
 炎山のすっきりと整えられた横髪から抜け出し、外気に晒されている肌は恐らく、関節並みに軟弱な部分なのだろう。
 肌理細かな白が埋め尽くす表面は、薄い水の幕を刷いていた。
 そこへ後ろから舌を伸ばし、掬い上げるように上方へ向かって軌跡を辿れば、小刻みな奮えとともに浅い吐息が空気の摩擦を伴って漏れてくる。
 その音を拾うだけでも、あるはずのない琴線が昂ぶることを察知しながら、膝の上で喘ぐ身体を両腕で絡め取った。
 全身を軋ませるような強さではなく、穿つ腰の動きはそのままに、細い四肢を抱え込む。
 撓る背が汗を零しながら鍛えられたナビの胸部に当たり、突き出したプレートの冷たさに反射的な緊張を得る。その度に、流れるような線を描く背後の双丘が締まり、銜え込んだ黒い異物に薄い肉が絡みついた。
 故意に行っていることではないだろうと理解していても、感度良く仕立てられた肉体には休むいとますら許されてはいないのだろう。
 隙を与えず、隅々まで奪い尽くすような責め苦にのたうち回り、強制された快楽は、炎山のひとつの姿だ。否定することでも、誇示することでもない。それが夜の光景なのだとしたら、求められ注ぎ込むことも凄惨な内には入らなかった。
 一際大きなうねりをその身体に感じたかと思いきや、びくびくと下肢が震え、断続的な喘ぎとともに痙攣する肌に白い花が散った。跳ね上がった心拍数を整えるように肩で呼吸を繰り返し、先に達してしまった非を詫びる。
 声は多分に掠れ、もはや普段のそれではなかった。
 今夜は、一段と深く快感を得ているように思う。
 激しく腰を突き上げ続けるおのれだけではなく、炎山もまた、ナビの精を搾り取ろうとするかのように、過敏に、そして巧みに反応を返してきた。
 どんな些細な変調であっても、わずかな数値の乱れからその変異を悟れることを理解していながら、更に明らかな手応えを得ようとしているかのようだ。
 腹を支えるように細い括れを掴んでいた手をそっと持ち上げ、胸の上で首を擡げた小さな突起を捕らえる。
 親指と人差し指を使って擦り、先端を捻れば、後ろに体重を預けるように汗する姿態が反り返った。
「感じているようですね…?」
 ナビにとっての推測など、断定に等しい。
 ああ、と吐息のような音声が返る。
「……おまえを、感じて」
 い、る。
 断片的な音をつなげ、力むように歯を食い縛る。
 整った歯列が唇の奥から覗き、寄せられた眉間の溝からは、連なった水滴がいくつも鼻筋に透明な線を描いた。
「俺がいつまでも衰えないのは」
 精と呼ばれるものを撓る身体の内側に吐き出してしまわないのは。
「…俺も、炎山さまを感じているからです」
 その深くにあって、汗に濡れ、熱した肌膚よりも奥の感触に酔っているからだと。
 存分に味わい尽くしたいと欲しているからこそ、半身に蟠った熱を放出するのを惜しんでいるのだと。
 そうか、と、嘆息と苦笑がない交ぜになったような答が返る。
 呆れているような、けれど心のどこかでそれを歓迎しているような、赤く染まった目元を緩めた微笑は、夜の闇にあってより一層鮮やかだった。
「ブルース…、これは…命令…、だ」
 一言告げる間にも、一定のリズムと緩急をつけて突き上げてくる波に抗えず言葉を切る。
 しかし臆することなく、自らも腰の動きを加えながら、少年は最後までを言い切った。
「俺を、感じて…、俺の、…中に……」
 おまえの迸りを、感じさせてくれ。
 結合した部分が急に熱を得たように、じりじりと痺れ、焦げるような熱さを覚える。
 大きく胸を喘がせ、炎山が何某かを呟いた。
 銜え込んだ箇所が内部の変動を感じ、ひくひくと粘膜が引き攣れる。人ではないものの硬度を備えたそれが、少年の内側で興奮を得たために興った変異を察したのだろう。
 男根の裏側で連なった突起物が、硬さを増すと同時に、突き出すように高度を得たと感じたからだ。目で見てわかるほどの規模ではなかったとしても、体内で存在を得ている側にとってそれらの変容は明らかだった。
 引き絞るように窄められた腰を強引に反転させ、ブルースは一回りも小さな体積を抱きすくめるように拘束した。
 声にならない呻きが喉奥から漏れ、しかしその先にある温かな温もりに辿り着いた瞬間、炎山は深く息を吐いた。
「了解しました。…炎山さま」
 耳打ちするように素早く、低いけれど明瞭な声音を押し付けた頬に囁きかける。
 強く引き寄せ、形振り構わずその内を抉る。
 膝の上で両足を限界まで開き、バランスを取れずに腕を絡ませてくる影を支え、二つの体積の間で揺れる炎山のまだ未熟な果実を指で弾いた。
 それこそ、夜の静寂の中でなければ決して漏れることはないだろう悲鳴を搾り出し、一瞬ぶるりと振れた身体を大きく喘がせ、何度か声を切りながら、炎山は濡れた股の間に自身の熱を放出した。

 窄められた狭い器官から預けていた自身を引き抜き、残留する濁った液を掻き出すように引き攣る体内へ指を忍び込ませる。それだけでぴくりと肩が振れ、閉じたままの炎山の瞼が何度か小刻みに震えた。
 言葉にはしなかったが、まだ快楽を得るだけの余裕があるのか。それとも肉欲が過度の疲労すら覆い尽くしてしまうのかはわからない。しかしこれ以上は負担を強いるだけだと判断したブルースは、手早く処置を終わらせることを選択した。
 汗とともに汚れを拭い去り、極度に熱された身体が冷えてしまわないよう、引き寄せたシーツで全身を包み込む。繭に包まれたように丸くなった少年は、もはや意識を取り戻す気配すらなかった。
 ナビに比べてはるかにか細い姿態をその上から抱き込むようにして身を添え、隠されてしまった炎山の頭部の縁を覗き込む。
 歯を立てれば薄い肉には鮮やかに赤の線が引かれ、弄るように唾液を絡ませれば端から徐々に色を帯びて行く。あからさまな挑発で一瞬にして染め上げることも可能だが、平素の生活では決して変じることのない部分。
 柔らかな肌色は、許した者だけにその正体を知らせた。
 炎山の身体に触れるまでは、手に入れることは不可能だったはずの識閾。連鎖として繋がる、認証という枠組み。
 出会った当初は認識することも受け入れることもなかった、殻という名のもう一つの姿。


-2006/05/26
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