試練2
 荒い息遣いは、無論、睦み合う片方からしか聞こえては来ない。
 生身ではない存在は、呼吸という動作自体を備えていないのは勿論のこと、身体機能の働きはある部分では簡略化されていると言っても過言ではなかった。
 上から覆い被され、胸で硬くなった突起を弄るように舌で転がされる。先端でのみ愛撫されることもあれば、薄い肉を摘まむようにして引っ張られ、盛り上がった先の色付いた部分に、円を描くように丹念に汗を絡められた。
 深い挿入を受け入れ、全身が性感帯にでもなってしまったかのように、忙しない鼓動と反応に眩暈がする。がんがんと耳奥で鳴っている音すら知覚できないまでに、神経が与えられる愉悦に磨耗していた。
 もう駄目だと絶え絶えに終着を促せば、もう少し、と更なる継続を求められる。
 身体の奥深くに居場所を得て、その上で尚も時間をかけたいと願うのは、持続力が人間のそれとは比較にならないからだ。
 以前であれば、欲しがる刺激を的確に与え、肉体の高まりとともに解放を許してくれたのだが、今はブルースにも充足という概念がある。植えつけられた、というより、持ってしまったというのが適当であるかもしれない。際を得るという貴重な行為を、相手のためと自らのために充分な準備を施した上で行いたいのだろう。
 確かに、際限なく責められたいと望む意思はある。
 本来貪欲ではないはずの性質が、ブルースに関する事柄にのみ異なった趣向を持っていると評されても、そこに異論を挟むつもりはない。許してしまいたいと願うのも真実なら、こうして繋がり、深く穿たれていることも紛れもなく、自らが欲求した結果だったからだ。
 けれど、満たされる時間が長ければ長いほど、現実に休息という暇が削られて行くのも事実だ。衣食住が、人間が生きる過程で不可欠であると同時に、安眠が欠けては、生命活動そのものが成り立たなくなる。
 ブルースとこうして性交渉を続けること自体が嫌なのではない。反対にもっと、と要求する欲望すらある。しかし実際問題として、これ以上コミュニケーションが過ぎれば、死活問題になるだろうことはもはや疑う余地がなかった。
 だからこそ祐一朗に、あのチップを作成してもらったのだが。
「…っブル…ス………」
 無意識に動く腰に合わせて、心地良いリズムが体奥に刻まれる。
 痛みなどとは縁のない、だが過度の快感は相応の認識をどこかに植えつけてしまうかのように、汗を刷いた眉間を険しく歪ませる。
 欲しいのに苦しいなどとは、人である自分しか抱かない感覚なのだろうか。
 赤い項へ回していた腕を解き、炎山は懸命にベッドサイドに置かれたPETに手を伸ばした。
 しかし、そこへ至る前に、黒い指が弱弱しく広げられた白い掌に重ねられる。
 握り込まれ、軋むようにその一点と背筋に新たな負荷がかかった。
 注挿の角度を変えられ、強弱と深さが次々と加えられる。悲鳴のような嬌声を放ちそうになった瞬間、ぐるりと向きを回転させられた。
 後ろから戦慄く尻を貫き、シーツに這った両手を上から押さえつける。完全に動きを掌握してしまったかのように、炎山の前へ一切触れることなく、ブルースは激しく結合部を突き上げてきた。
 駄目だ、と何度頭の中でそう唱えただろう。
 口に出して懇願したことも、命令したこともある。
 けれど、ブルースは利かない。わずかな手心を加えることはあっても、打ち込んだ楔を完全に退けることはなかった。
 オペレーターの意思に反することは、ナビとしてタブーであることは疑いようがない。倫理と常識というものを学んでいるからこそ、それを実行する者もいれば、カスタマイズ以前に絶対服従のプログラムが組み込まれているネットナビもいる。
 では、今のブルースは、自身の本当の願望を忠実に再現しているだけなのだろうか。
 ここにあるのは自分の浅ましい欲求だけで、ブルース自身の欲望はないのだろうか。
 拘束するように生身の下肢に絡んだ長い足が、ぎしぎしとベッドへ追い討ちをかける。交錯するように、体内とその入口を出入りする質量が纏わりつく体液を容赦なく掻き出した。
 もう限界だ、と思った瞬間、頭上でかすかに乱れた呼気を、過敏になった肌が拾った。
「炎山さま……」
 少年が吐き出し続ける熱い吐息が移ってしまったかのように、見えない場所で肉欲を貪る獣の気配を感じる。
 しかしそれは、誰よりも身近にある、機械が模した別の人格だった。
 まるで杭を打たれたかのように手の上から押さえつけられた箇所に、更なる痛みが走る。PETへ伸ばそうとしていた側の掌を、強靭な力で握り締められた。
 腰を突き動かす律動が加速し、性急に内部を押し広げられる。塗りつけられるように絡んでくる硬質な体積に半ば窒息しそうな錯覚に囚われながら、炎山は囁くような声を感じた。
「……申し訳ありません…」
 懺悔のような、それでいて蹂躙される側を蠱惑するような、低い音。
 普段の、PETから音声を淡々と発した時の抑揚のなさなど微塵も感じさせない。
 ブルースの、隠された真実がそこにはあった。


 大きく胸を喘がせ、滝のように溢れる汗を拭うことすら忘れて仰臥する。
 干上がった喉から漏れる呼吸は、幼い動物のか細い鳴き声のようだ。
 それが自分の口元から漏れていることなど忘れ、炎山は肉体の奥まった箇所から内臓の圧力を受けて溢れ出して来るブルースの放った熱を感じた。
 熱い、と思ったのは単なる思い込みだったのかもしれない。けれど、挿入された時点で熱されていた物が、過度の摩擦によって収めていた精をも加熱させたとしても不思議はなかった。火傷するほどではないにせよ、肌膚が感じる違和感は、不快とは程遠い。
 炎山さまの体内の方がより熱いと。自身でもそこへ指を入れた経験がある以上、ブルースの言葉に偽りはないのだろうが。
 上気した頬を黒い視界から隠すように、炎山はごろりと身体を横へ転がした。
 腹部から胸にかけて、自らが放った欲望の証も残っているが、構っている余裕はなかった。
 そのうつろな視線の先には、先ほど届かなかった赤いPETが、わずかな距離を保ったままシーツの上に横たわっている。
 激しい振動を受け、ここまで転がってきたのだろう。今なら、曲げた関節を伸ばしさえすれば容易く届くだろうと、ぼんやりとした思考で知覚する。
 寝台を覆うくらい大きなタオルを足元から引き寄せ、手早く自らの処理を済ませたブルースが少年の身体を抱き込んだ。
 温かい、しっかりとした実感。きつ過ぎぬ抱擁に、急速に眠気が襲ってくるのを感じた。
 意識を手放す前にシャワーを浴びたいと思ったが、自由にならない身体ではどうしようもないだろう。
 明け方、汚れを一気に洗い流してしまおうと考え、瞼を閉じる直前、後方にあるだろう、ブルースの顔に向かって声を放った。
「………すまなかった、な…」
 掠れ、普段より低まった声調は、少年の喉の奥で磨り潰された。


→試練3

-2006/05/30
TOP↑materials by Kigen
Copyright(C) HARIKONOTORA midoh All Rights Reserved.