「……だけでわかることなど、あると思うか…?」
一度だけでは言葉の意味を正確に理解できず、ディスプレイの中の人影は首を傾げた。
「は…?」
「触れるだけであなたがわかる、というフレーズがこの曲には含まれているが…」
片方だけヘッドホンを耳にくっつけたまま、新しい商品のイメージソングとして推挙されたディスクを聞き入っていた炎山が詰まらなさそうに目を細めた。
薄く陽が射している室内で、わずかに低い温度の中、辟易した様子を見せる。
炎山は元々クラシック畑の人間だ。趣味の領域は超えないが、一般教養として西洋楽器を扱えるだけの技量がある。母親がそれらに関わる仕事をしていたという経緯もあり、幼い頃から弦楽器の音色で耳が慣れていたため、単純な音律しかない電子音を掻き合わせたようなポピュラーソングというものはよほど肌に合わないと感じているようだ。
本来ならニューミュージックと称されるポップなクラシックを推していたのだが、若年層向けという配慮から、話題の人気歌手にイメージを定めてしまったのがよほど気に入らないのだろう。
「一般的な解釈についてであれば、断定はできませんが」
わずかだが機嫌を損ねているにも関わらず、無表情を取り繕っている白の面を見つめる。
「炎山さまに限ってであれば、確かにあり得るかと」
そう結んだ語尾を聞くや否や、炎山はあからさまに柳眉を顰めた。
「俺は、超能力者じゃない」
読心術は交渉上の駆け引きの手段としてある程度心得ているが、触ったくらいで相手の考えがわかるような特異能力者ではないと断言する。
誰だとて、人より優れていると表される類いの人種になれるものならなりたいだろう。異能を持ち得た者の幸不幸など知るはずもないが、他人に不可能なことが可能である事実によって、多少の優越感を覚えるのが真実だと見越しているからだ。
「では、証明してみせましょうか?」
許しを得る前に、ディスプレイに映った人影が実空間で形を得る。
足元から電子の小さな粒が輪郭に沿って組み立てられる様は、どこにも歪みがない。実体を得るまでの工程に目立ったノイズが発生せず滑らかであるのは、PETによる処理動作が格段に飛躍しているからだ。
「ブルース」
反射的に、突然現れた者の名を呼ぶ。
銀色の長髪を携えた赤いナビは、椅子の上から立ち上がろうとする小さな少年を見下ろすように眼前に立った。
薄く笑みを宿した口元が、淡い光の中降りてくる。
引き寄せられるように顎が上向き、気がついた時にはそこから目が離せなくなっていた。
一瞬、息が吹きかけられたように感じたのは、近づくまでの素早い動きが寸前で急に撓んだからだ。突如として起こった反動が、周囲を満たしていた空気に波を生じさせ、吐息が触れたように錯覚したのだ。
それから表面を掠めるように唇が色づいた肌の上部を滑り、軽く啄ばむように口の先端で音を立てた。
かすかに触れてから、角度を変えて深度を増すやり方は、常套ではあるが飽きが来ない。むしろ、ゆっくりと時間をかけて互いを確かめ合うには、少しぐらい勿体振った方が効果的だ。焦れるような神経が、ちりちりと首筋の裏で肌膚を粟立てるような感覚を持て余しながら、炎山の身体は自然と椅子から離れ、いつしか瞼も閉じていた。
緩慢な時間が密度を増した二人の周りを流れ、腰から下の触感が違和感を覚えるまで上り詰める。
昼間からそこまで密着した験しはなかったために、日常的な交渉だろうと考えていたのが甘かったらしい。初めから、ブルースは欲情していたのだ。
そう、思うことにする。
強かな愛撫からようやく解放された唇は、肩で息をする度、そこに宿した光の加減を多様に変化させた。
「わかりましたか…?」
覗き込むように顔面を注視され、自身が何を考えているのか、正しく伝わったかと再度問われる。
「……………」
目の光は多少弱まっているが、少年の意識は鮮明なのだろう。だからこそ、明らかに思考が正常であることを実感する。
ブルースが求めている以上に、こうされる前から心のどこかで自分もこの結果を望んでいたのだとは口が裂けても言えない。
けれどもし、件の表現があちらにも当て嵌まることであるならば。
「………確信犯め」
火照った頬の熱を隠すように、せめてもの反抗とばかりに炎山は近距離の黒いグラスを睨み付けた。
-2006/11/07
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