ゆきの届けもの3
 端末用の機械の隣には、省スペースを考慮して開発されたPETを立てかける室内用ホルダーが置いてある。ナビマークが施されたそれは、父親からもらった特注品だ。
 パソコンの大きな液晶画面に向かって、至極ご満悦に先ほどから大きな笑い声を漏らしているのは、無論その部屋の持ち主に他ならない。
「いっやあ〜、俺ってやっぱり、心が広いって言うの?」
 こんな休みの日に、わざわざ炎山をネット・バトルに誘ってやるなんて、人間ができているっていうか。
「ロックマンから宿題をやれって言われている逃げ……、何だっけ…」
 工場、と違う文字が浮かんで、そう、それだ、と一人納得する。
「『逃げる工場』じゃないことは間違いないけど」
 それを言うなら逃げる口実、と冷静なツッコミが遠くから聞こえてくる。
 完全な言い逃れであるにも関わらず、炎山も時には羽根を伸ばしたいだろうと、若年でありながらすでに社会的地位に就いている友人の身の上に心底同情をする。
「…ブルースに聞いたら、友達一人もいないって言うし」
 特定の、であって、社交的な付き合いならないわけではない。むしろ、ある筋には顔を知られ過ぎている節がある。完全に先入観も入っているのだが、ひとり合点しているような少年はまったく気にした様子もない。
 やっぱり俺たちが何とかしてやらなきゃ駄目だよなあ、と繰り返し頷きながら、どんどんその中身が別の次元へと発展して行く。聞かせる相手がいないからこそ、誰も止めないのだということは確かめようもない事実だろう。
「こんな時こそ、あらゆる人たちとお友達になれる俺が助けてやんなきゃな…!」
 実際、コイツとはよっぽど反りが合わない、と思いさえしなければ、仲良くなれなかった相手はいない。他人の特徴を見極め、長所に敏感で素直であることが要因なのだろう。
 それに比べて頭の固い炎山やライカは、友達付き合いの悪いことと言ったらない。これじゃ、どう転んでも友人が増えないだろうと、前々から心配していたのだ。
 ならば、彼らの仲間である自身が尽力する以外にないだろう。
 よくわからない使命感に燃え、ぐっと拳を握った。
 そして、はた、と我に返る。
 長時間力説していたわけではないが、先に出かけたナビの動向が気になり出したのか、水色のバンダナを巻いた少年はのけぞっていた椅子の上で腕を組み直した。
 親友のロックマンにはただ用件を告げるために伊集院家へ出かけてもらったのだが、返事を貰ってくるだけでこんなに時間がかかるだろうか。遅いなあ、と呟き、子供用に深く作られたキーボードを叩いて端末につないだPETを操作しようとしたところで、眼前の画面に開かれた小さな窓に、見慣れた青い姿が映し出された。
「……ただいま…」
 どこか悄然としたように、PETと同じ装飾が施されたウィンドウ枠に縋るように、彼のナビ・ロックマンが疲れきった声を絞り出した。
 思わず、オペレーターでなくともどうしたのかと尋ねずにはいられない様相に、熱斗君と呼ばれた側は身を乗り出した。
「一体どうしたんだよ、ロックマン!?」
 まさか、自身が独り芝居を演じている間に、ネット上でウイルスと鉢合わせになったのかと問う。信号を送ってくれたら、すぐさまサーチして回線をつなげたのに、と案じ気味に顔を覗き込む。
 それに浅くかぶりを振り、躊躇いがちに青いナビは口を開いた。
「え、うん…。いや…、そうじゃないんだ」
 何か釈然としない返答にさらに首を傾げると、自身の言動をフォローすることさえ忘れ、ぽつりぽつりと緑色の眼をしたナビは事実を語り出した。
「熱斗君に言われたことは、ちゃんと伝えてきたんだけど…」
 はあ、とあからさまなため息を吐いて、がくりとうなだれる。
 益々おかしいと勘繰りつつ、面を顰めて続きを促した。
「どうしたんだよ?…炎山は良いって?」
 いつもと違って元気のない姿を不審に思いながらも、話の先を促す。
「………炎山じゃなくて、ブルースが」
 ロックマンが言うには、炎山のアドレス先を訪ねたところ、出迎えたのは確かにブルースだったのだが、もしかしたら自分たちの知っているブルースではなかったという。
 間違いなく友人兼ライバルの彼なのだが、普段と少し違っていたというか。…いや、むしろ、かなり。
 さっぱり的を射ない話を要約するに、電子媒体に現れた来訪者をベッドの上で実体化したブルースが見つけ、炎山はまだ就寝中だと言って相手に取り次いでくれなかったということのようだ。
「何だよ、炎山の奴。まだ寝てたのか?」
 ベッドの脇にある愛用のデジタル時計の数字を確かめ、信じられないと言うように少年は眉間を歪めた。
 あまりの寝坊助っ振りに、自身のことを棚に上げて呆れ顔を見せる。
 どうやらブルースが実体化していたことについては、さほど気にならなかったようだ。
「寝てたっていうか、少しは意識があったのかもしれないけど…」
 時々うんとか言っていたし、と漏らしながら、否否と首を横に振る。
「とにかくブルースは、炎山を放したくなかったみたいだよ!?」
 なぜか顔面を赤らめつつ、語尾をまくしたてるように早口で言い切った。
 それを聞いて、途端に少年は憤慨したようだ。
「俺とのバトルより、ブルースとの特訓を取るのかよ!?」
 それ以前に、炎山に明確な意識があったかどうか定かではなかったのだから、熱斗君の誘いを聞いたわけではなかったのだけれど。
 用事を告げる前にブルースに早々に立ち退くよう宣告を受けたも同然だっただけに、炎山自身の意思はどうだったのかはわからない。恐らく本件を理解しても、動けなかったのではないかとロックマンは推測した。
 大体、昼間であっても寝室から動かなかったということは、昨夜から…、と考えてもあながち的外れではないだろう。そこで何をしていたかといって、何を、と問われて明確に答えられるはずがない。答えたくない。むしろ、想像したくないというのが正解かもしれない。
 憤る熱斗の解釈は少しも当たってはいないが、とにかく深く追求されるよりはマシだろうと決意し、ロックマンは曖昧に頷いた。
「何なんだよ、最近ほんっと、付き合い悪いなあ〜〜!!!」
「ブルースに取られちゃったね…」
 はは、と笑いながら、ライバルよりやっぱり熱々な恋人の方が大事だよね…、と口中で呟く。
 ブルースと炎山がどんな関係であるかは、当人たちでない限り正しい判断は下せないが、二人が必要とし合っていることは何となく想像できる。具体的にどこまで予測し得ているのかは不明だが、友人や仲間とは違った関係であることは間違いないだろう。
 クリスマスは二人きりで過ごせる時間を作りましょうねと、笑顔とともに誘ってくれたロールの姿を思い出す。
 オペレーターに隠れてデートのお誘いを頂戴していることに、多少の罪悪感を覚えないわけではないが、友達という枠組み以外の世界を持っている者にとって、季節のイベント近辺は忙しないものであるようだ。

「あったま来たから、これから家に乗り込んで行ってやろうかな…!」
 実力行使に出ようという発言を聞くなり、ロックマンは目を剥いて反論した。
「だっ、駄目だよ!絶対に駄目!!熱斗君の目には悪いから!!!」
 妙なことを口走っていることにすら気がつかないほど、明らかに慌てふためいている。その必死の形相の裏で、先ほどの光景がよみがえった。
 あんな、ベッドの上でうつ伏せになった炎山の上にブルースが乗っかっているところなんて、見せられるわけがないじゃないか。それも、朝からずっと続いているみたいだったし。
 炎山の体力は大丈夫なのかな。僕たちに合わせてたら、絶対に持たないよ…。
「何か変だな…。ロックマン、俺に隠してることないか?」
 胡乱そうな目線に晒され、さあっと蒼褪める。
 ロールにブルースに炎山。様々な回想が目の裏をよぎり、不本意ながら真実と反対なことを弁解せざるを得ない羽目に陥ってしまう。
「あ、あ、あるわけないじゃないか!熱斗君に僕が隠し事なんて!」
 完全にどもっているとも知らずに、ぶんぶんぶんと首を勢い良く振る。
「な〜んか怪しいな。本当のこと言わないと、今年の冬休みは俺勉強しないからな!」
「え、それは困る…。って、それは熱斗君が困ることじゃないか!」
「げ…、もう立ち直ったの!?」
「僕が油断している隙に約束を煙に撒こうとして…!金輪際、熱斗君の宿題、手伝わないからね…!!」
 ぷいっとそっぽを向き、口を尖らせる。
「うわっ、それだけは勘弁!ロックマン〜〜!」
 両手を眼前で合わせ、泣いて縋るように画面にしがみ付く少年に、静かにしなさい、と嗜める実母の声が階下から響いた。




 薄曇の外は、ちらちらと雪が降り続けている。
 明確な光を得ない空間では、まどろみの中、睦み続ける影があった。
「ブル…ス……」
 はい、と耳奥に息を吹きかけるような低い声が鼓膜を突く。
「先刻、ロックマンが来ていなかった、か…?」
 はあ、と深い呼吸の隙間から声を絞り出し、浅く身体を突いてくる動きに喉を震わせ、狭い気管から細い音を漏らす。
 それすら神経を昂ぶらせるだけの媚薬だと知覚しながら、赤いナビはシーツの上で握り締められた手に黒い指を食い込ませた。
「夢です、恐らく…」
 昨日の夜から時折意識を失っては目覚め、重なり続けている所為だと。
 至福のうちに夢想と現実の区別があやふやになっているのだと告げる。
「そ、うか…」
 ほっとしたように微笑み、再度瞼を瞑って後ろから突き上げられる律動に身を任せる。
 ん、と短く喉で音を切り、シーツの下で蠢き続ける下肢に満足したように言葉を継いだ。
「つながっている、んだな…」
 ずっと、こうして曖昧な時間の流れを共有しているのだということを、心でも身体でも確かめ合う。
 幸福な時を享受し、薄く口元に笑みを宿してベッドの横たわる炎山の横顔を眼下に収めつつ、数分前の出来事を思い出し、ロックマンがこの状況を目の当たりにしたとは口が裂けても言えないとブルースが考えたのは言うまでもない。


-2006/12/24
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