あいのひ1
 二月十四日の正午、以下のような問答がニホンのIPC本社を舞台に行われた。
「アポイントメントのない来客は、すべてお断りするよう副社長から命令されております」
「そうは申されましても、こちらも綾小路様からご依頼を承った以上、このまま帰るわけには参りません」
 若手ながら百戦錬磨として名が通っている男秘書と対等にやり合える者は、やはりその道のプロということになるだろう。
 この場合、同じ土俵の、ではなく、サービスを行う職種としての、だが。
 尚も断り続けようとする青年の言葉をゆっくりと遮り、黒い礼服に身を包んだ白髪混じりの紳士は、すでに我々には代金が支払われている旨を告げた。
「お客さまから炎山様へ最高級のおもてなしを提供するよう仰せつかりながら、お支払いいただいた代金を綾小路様にお返しするなどという真似ができましょうか」
 一度引き受けたからには、完遂することなく店に帰ることはできないと。そんなことになれば沽券に関わるとまで言われては、肩書きだけではなく派遣されてきた五つ星の店の名を知っている手前、追い返すのは困難だと認めざるを得なかった。
 しかし、午後には外で会議の予定が入っている。充分とは言い難い少年の休息時間を割くことは、スケジュールを管理する者として憚られた。
「良いんじゃないか…?」
 背後から、静かな声音が流れてきたことに、半ば諦めかけていた秘書は救われたような心地だった。
「あいつがわざわざ俺のために用意してくれたというなら、受けてやっても損じゃない」
 丁度、小腹が空いていた頃合だ、と少年は事も無げに告げた。

 白いナプキンで口元を拭い、結構なもてなしだった、と言って炎山は席を立った。
 綾小路やいとの名で依頼されたのは、大陸で超が付くほど有名どころを本店に持つ高級料理店の饗応を伊集院炎山に施すことだった。
 料理もそうだが、出張用に人員を派遣するということは、時間で計算された接待費をも店側に支払っているということだ。出向いてきたのは料理長からメイドまでの、まさに店をそのままをIPCの本社に持ち込んだような豪勢なメンバーだった。しかも、炎山一人を接待するためだけに、高額な諸々の経費を支払ったのだとしたら、一般市民には到底理解し難い現実だろう。
 人を持て成すためならば金を惜しまないのは、幼少の頃からそれが当たり前だと教え込まれているからだ。上流階級の者にとって分相応以上の、更に上回るサービスを相手に提供することは、彼らにとっての興趣でもある。どれだけのことを受ける側にしてやれたかが自尊心や教養の大きな養分となるのだ。そのための出費など、趣味の一環だと告げられたとしても間違いではない。
 そして炎山も、客人として持て成されたことも、それと反対のことをした経験のある階級の人間だった。
「やいと嬢に、よろしく伝えておいてくれ」
 昼食のためだけに貸しきった特大の会議室を出る直前、旨かったと告げ、後に残した者たちが深々と頭を下げるのを待たずに扉の向こうへと消えた。


「どうせ、碌な食事を摂っていないと思ったのよ…!」
 ふん、と勢い良く鼻を鳴らし、PETの画面に映し出されたおさげの少女は強い口調で言い切った。
 確かに社内での仕事であれば、出先でない限りまともな昼食を食した経験は少ない。
「高級料理のケータリングを思いつくとは、中々目の付け所が良いな」
 おまえにしては、と注釈を付ける。
 それに、趣味も悪くない。普段の言動はともかく、こういった類いのセンスを言えば、相手は決して秀でていないわけではなかった。伊達に、キングランドの大学を優秀な成績で卒業したわけではない。
「やいと様はとても賢くていらっしゃいますから」
 素で自らのオペレーターを褒め称えるナビは、彼女の執事兼教育係だ。
 にこにことグライドの笑顔が終始絶えないのは、少女の発案が功を奏したことを率直に喜んでいるからだろう。やいと自身の下心を抜きにしても、単純に誠意を持って他人を優遇する態度を歓迎しているのだ。
「アンタみたいな頭の固い人間には、早々思い付けないアイディアよねえ…」
 先ほどの台詞にかちんときたのか、揶揄するように面の細い眉が歪んでいる。恐らく腸は煮えくり返っているのだろうが、いきなり怒り出したりしないだけ、幼いながらも淑女の嗜みを会得しているのだろう。
「媚を売る趣味がないだけだ」
 接待費は無駄な出費だと言外に含ませ、書類に目を通しながら受け答えする。
 聞くなり、本当に可愛くないと少女は白いハンカチを引っかけてぎりぎりと歯を食い縛った。
「…とはいえ、一応礼は言っておく」
 そのために、態々こちらからアクセスしたのだ。礼儀をわきまえることくらいは、人の好悪を抜きにしても行える。それに、本当に好いていないのであれば、面と向かって一言告げるだけで会話を辞退することも可能だからだ。
「別に、お礼なんかいらないわよ…」
 ぶつぶつと口中で呟き、少女はちらりと電子データの中の少年を一瞥した。
 後方に映し出されたのは彼の執務室だ。種種の職種が収まる事務室とは区別されている空間には、殺風景なオフィスの機材しか見受けられない。
 どこか探るような調子で、どうせ、と言葉を継いだ。
「他の娘たちからたくさん貰ってるんでしょ」
 人好きのするタイプではないと本人は自覚しているが、炎山は女性の目を引く外見をしている。
 それがすべての人間にとって好もしいか否かは別として、謎めいた印象を見た者に与えるためだろう。
 本人は特段意識してはいないが、口数が少ないところや、同年代たちのように大きな声を出して騒いだり喚いたりしないところが、同世代や年下の異性にとっては特異な存在として映るのだろう。
 佇まいが大人びているという以上に、無言で見つめられるとどきどきするというファンは少なくない。
「貰って…?」
 一瞬何のことかと、少年は青い眸を瞬かせた。
 そしてようやく合点したように、そのことか、と椅子の上で独りごちた。
 昨日の午後、一日早いけれどと言って大きな箱を差し入れにやって来た褐色の少女の姿を回想する。
「…そうだな。アネッタの作ったケーキは旨かったな」
 見てくれは最悪だったが、チョコレートでできたスポンジが絶妙な味で、甘い物が苦手な自分でも難なく食せたと回想する。
 さすがに一切れが限界だったが、一緒に食べた女性秘書などは作り方を教わりたいというくらいに絶賛していた。男性社員にも受けが良く、好評だったことを告げようと思っていたところだ。
 途端に画面の顔が、苦虫を噛み潰したような表情に変化した。
「ふん。アンタなんか、チョコの食べ過ぎでお腹でも壊せば良いんだわ」
 実際、同級生の光熱斗は母親と幼馴染の連続甘い物攻撃で壊していたけれど。
 他の女の子から貰ったチョコを食べる前に、自分たちの本命チョコで潰してしまおうと考えるとは、友人の桜井メイルは可愛いながらも凄いことを考えると思う。見習いたかったが、彼女ほど料理の腕に自信がない少女は、自分なりにプレゼントを工夫したのだ。
 今日もこれから綾小路家でパーティが開かれるらしい。
 女の子は一つずつチョコレートを持ち寄り、男の子がくじを引いてそれをゲットするというちょっとしたイベントだ。勿論義理チョコだが、外国から取り寄せた最高級の巨大チョコレートを用意したのだと自慢げに話す。
 内心自分がそれに参加せずに済んで良かったと胸を撫で下ろしつつ、熱斗やメイルによろしくと伝えてくれと言って回線を切った。
 少女は心配をしていたが、バレンタインデーのチョコの受け渡しは極力断ると、社の内外でも公言している。
 他人の主義に口出しはしないが、気持ちだけで充分だという建前と本音があったのは事実だ。それでも親しい者からはささやかな欠片程度の菓子を受け取っている。気分転換に、といつものコーヒーとともに優秀な部下の一人が添えてくれたものも事務机の引き出しに眠っていた。気さくでよく気のつく彼女は、IPCでは珍しい女性の秘書だ。そのうち海外の支社で要職を任されるだろうと踏んでいるが、今現在はその準備段階として本社に勤務している。
 しかし、今日がその日だったとは、まったく失念していた。
 道理で、ブルースの機嫌が良くなったり悪くなったりしていたわけだ。
 いつも以上に一日の予定を確認してきたり、体について気を使うような素振りを見せていた。かと思うと、避けるようにPETから外の回線へ出かけたがる。つい先刻も、ブルース自らがインターネットシティへ出向くことを志願してそれに許可を出したばかりだ。
 もし今日という日にやきもきした気分を味わわせていたのだとしたら、自分は非情なオペレーターだと思われたとしても無理はない。
 今のうちに、少し睡眠でも摂っておこうか。
 そう思わせるだけの和やかな気持ちがいつの間にか胸を満たしていた事実に、炎山は苦笑を漏らした。

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-200702/18 →Blu*En12T_あい
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