小さな炎
 ねえねえ、と頭上で小さな声がする。
 か細くはないが、開けっぴろげではないそれは、すでに心地良い類いのものとして自身に記録されていた。
「ブルース。炎山さまは、お忙しいの?」
 あまり慣れているとは言い難い丁寧語を駆使しながら、真横にある赤い頭部へ手を伸ばす。
 登頂の鶏冠に触れないのは、幼心にそれがナイフのように危険なのではないかと懸念しているためだろう。
「それは、何度も聞いたな」
 今日という日付に変わってから、今という時刻に至るまで、幾度も聞かれた内容だ。
 相変わらず単調な答だと言われそうだが、冷たくあしらっているつもりはない。
 できるだけ気持ちを込めているつもりでも、どうやら自分は自身の主に向かうのとでは、口調というか、態度が一八〇度異なるらしい。それと比べれば、確かに感情のない作られた声音だったろう。
 傷ついたように、だってえ、と幼いナビは丸い面を俯けた。
「早く、会いたいんだもん」
 ブルースのように、プライベートはおろか、仕事にまで一緒に連れて行ってもらえるわけではないから、自分の方から働きかけない限り、相手にしてもらえないことを不満に思っているようだ。
 実際、この子自身は滅多に会えない炎山に対して恨みを抱いているわけではないのだろう。
 けれど、大切だと感じている者と、少しでも長く時間を共有したいという思いは、ブルースとて理解し得る。しかも、肩に抱き上げた子どものナビは、自分にとっても無関係な存在ではないのだから、炎山ほどではないにせよ、少なからず対応には気を配っていた。
 だから、彼女が寂しがらないように自分がここに残っているのだろうと諭せば、だって、とまた言い訳じみた言葉があどけない口元から漏れた。
「ブルースは、ほのおが男の子だったら良かったと思っているんでしょ…?」
 もし男の子のナビだったら、ネットナビとしての戦い方を一から教えられたのではないかと呟く。
 それを聞いて、反論できない自分がもどかしい。
 細々とした事情への対応は、ブルースにとって些か手に余る。ほとんど物事を一刀両断で切り捨てるか、強引に推し進めるかしてきたこれまでの経緯が悔やまれた。
 周囲への対応の仕方は、ほとんど炎山の指示で行ってきたことであって、こちらの意思が働いた験しはない。ゆえにこうして、一対一で悩みを告げられても、おいそれと心の内を明かすことは、即ち墓穴を掘ることに他ならなかった。
 初めて知人友人以上の者が身近にできたことで、ブルースはおのれの優秀さがネットバトルの場でのみ通用することを痛感した。

「ほのおは、炎山さまのナビだったら良かったのになあ…」
 ぐずるわけではないが、力なく肩を落としている様子に、職務から戻った炎山が仕事用のスーツを脱ぎながら首を傾げた。
 一途に慕ってくる少女の期待に応えられないことを見越しての仕草だったのだろう。
「困ったな」
 言っている台詞とは裏腹に、炎山の口元の笑みは消えないままだ。
 本当に困惑しているのなら、もっと厳しい眼をする。ほのおの悩みを、優しい気持ちで受け止めているのだろう。
「俺のナビは、ブルースだからな」
 そう言って、背後で待つナビへ上着を渡す。
 私室のベッドに腰掛けたまま、しょんぼりしている娘の傍らへ向かい、座っている体勢のままぽんと膝の上に座らせた。
 現実世界のナビにはある程度の重さがあるが、ほのおほど小さな身体であれば、さほどの重量はない。
 白と赤の入り混じった頭を、緩やかな動作で撫でる。幼い者をあやすというより、宝物を慈しんでいるような手つきだった。
「それに、ほのおには大事な役目がある」
 そのためにいるんだ、と説く。
 温かい腕に抱え込まれ、きょとんと青い瞳が同色の双眸を見上げた。
「ほのおには、これから生まれてくる俺の子どものナビになってもらわなければならないからな」
 え、と小さな口が開いた。
「ほのおは、ブルースと炎山さまの子どもだよ?」
 自分は、二人によって作られたのだと主張する。
 否定はしなかったが、炎山は柔らかい眼差しを愛娘に向けた。
「俺の子のナビでは不満か?」
 顔を近づけ、囁くように問いかける。
 首を縦に振らなかったのは、ほのおの本心だったのだろう。自分にもオペレーターがいることを、純粋に嬉しいと感じてくれたようだ。
 役目を与えられることは、作られた物質であるナビという存在にとってなくてはならない重要な鍵だからだ。
「いつ、生まれるの?ほのおはいつ、炎山さまの子どものナビになるの?」
 もうじきだ、と答え、身体を寝台の上に横たえた人間の胸元に、少女は縋り付いた。
 丸くなってその位置に収まると、先ほどまでの曇りを一掃して、甘えるようにその温もりに擦り寄った。
「じゃあ、ほのおはもっと頑張るね。その子のために、立派なナビになる」
 ぎゅ、と白いシャツを握り締め、人の子がそうするように目を瞑る。
 誰に似たんだろうな、と呟く音を拾い、衣類を片付けたブルースは広いベッドで横になった一人と一体に近づいた。
 生身の子が寝息を立てるように、炎山の腕の中でほのおはすでに意識を手放していた。眠る時はスリープモードで、メモリの使用を最小限に留めろといつも口うるさく注意しているのだが、炎山はこのままで良いと告げた。
 彼女をカスタマイズする時、形上の性別はどちらでも良いと炎山は言ったが、結局ほのおの言う通り、バトルに於いては若干不利と思われる少女型を選んだのは他ならない本人だった。
 なぜそうしたのかについて、正面から問い質したことはないが、恐らく炎山は自分の血を分けた子どもが男だろうと確信していたからだろう。
 けれど、幼少の時分から誰よりも妹のような存在を羨ましく思っていた彼だからこそ、ほのおのようなナビを作ったのかもしれない。
 炎山が選択した以上、彼女が男であっても文句を言うつもりは毛頭なかった。
 無論、扱いに関して手を焼くのはどの女型のナビも同様だ。苦手というか、反応が直球で四方八方から返ってくるから倦厭しているだけなのだが。
 単刀直入に発言をすれば酷い言い草だと言われ、黙って傍観していれば何とか言えば良いのにと顔を顰められる。生憎ほのおはそういった煩い質ではなかったが、こちらが炎山ほど女の扱いに手馴れていないのは事実だった。
 それでも、炎山が彼女を愛しそうに眺めている様は、決して不快ではない。
 自身の居場所を取られたように感じないのは、自分のナビはブルースだと、今のように断言してくれるからかもしれない。
「…炎山さま。」
 そのままでは身体を冷やしてしまうと告げれば、もう少し、と断られる。
 音もなく距離を詰め、横臥したその後ろへ移動する。
 ほのおをそうするように、炎山の腕に手を添えれば、嘆息のような密かな囁きが届いた。
「可愛いな…」
 我が子を見守るように目を細め、大人びた面差しの元少年は、安らかな寝顔の少女を見つめる。
「俺と、炎山さまの子ですから」
 その答に、そうだな、と抱きしめた白い髪の持ち主は笑った。


-2005/11/06
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