年の頃というもの自体、見比べるものが少ない自分には、それらを詳しく判別することはできない。
ただ、その様子を目にして一番に思ったことは、自身とそう体格的に相違のない年頃であるということ。では、少年の内でも更に幼い部類に入るということだろうか。
一目見て思ったことは、小奇麗な容姿であるという認識よりも、一度見たら忘れられない造形だということ。きっと、この子どもは自分たちナビと同じように、半永久的に外見がさほど変化しないのではないかという、過信のようなものを抱いた。
それだけ印象に残る容貌というのは、美醜とは別の、存在感という重みに分類されるのだろう。
これは、自分の中で忘れてはならない姿なのだと。
その子が胸に抱くようにして抱えているのは、赤いPET。それが表すナビの名と、その持ち主の名称を自身は知っていると思った。けれど、ぼやけた景色の中に佇んでいるかのように、はっきりと口に出すことができない。
少年は、その小さな掌には余るほどの大きな端末を大事そうに抱え、何事かを話しかけている。とても、優しい口調だと思った。こちらに声は聞こえてこないのに、話をする素振りがいつもどこかで見ていたような光景だったからだ。
少年は、嬉しそうに話しかける。物言わぬはずの機械の塊に、それはそれは丁寧な口調で語りかけている。
まるで彼にだけ聞こえる応答があるかのように、言葉を切り、ふと口を噤んだ後、うっすらと目元を綻ばせ、そこに浮かんだ青い光をゆっくりと瞬かせた。
何を話しているのか聞きたかったけれど、それは彼らだけの秘密なのだろう。立ち入ってはいけないと誰かに引き止められるような自制よりも、その空気をずっと見守っていたいと願う気持ちが胸の奥を満たした。
自分は、この雰囲気を、世界を、知っている。
灯火よりも柔らかで、急過ぎない速さでゆっくりと全身を包むように広がる温かさ。温もり、と呼ぶには幾分低い温度の。それでも、触れれば感じられる、薄氷に似た陽光。見ている者の心を乳白色の光で透き通らせるような、優しい空間だった。
ああ。
ねえ、炎山さま。
これは、ほのおの中のブルースの記憶なんだね。
ナビは夢を見る。
擬似人格プログラムというのは、その名の通り、人間に近い思考がセットされた、生きた設計だ。
スリープという動作が示すように、それは単に消費電力を抑えるための機能だけでなく、多種多様な情報量を整理し、正確な働きを行うための準備をその間に実行しているのだ。
つまり、人間にとって体力と精神力を回復するのと同様、ナビにとっても雑多なデータを最適な形で整頓するためには、なくてはならない時間だということだ。
「ねえ、ブルース」
いつものように、横から顔を覗き込むようにして身を乗り出し、黒いグラスの奥に隠された双眸を注視する。
ブルースには、素顔がない。あるかもしれないが、炎山も見たことはないと言っていた覚えがある。本人も問題視していない事柄である以上、そのことを言及するような者は、ナビでも人間でもいなかった。
生身という素面がどうしても不可欠というわけではないなら、元よりそれをデザインする必要はない。近年の進化でいくら人間に近づいたからといって、ナビはナビであることが、彼らにとっての存在意義でもあった。
明確ないらえが返ってくることはなかったが、黙っていろと注意をされたわけではないなら、こちらの話を黙って聞いているという意思表示なのだろう。
無言の会話というか、意思の疎通というのは、炎山ほどではないにせよ、近頃自分にも何となくわかるようになってきたようだ。むしろ、ぞんざいな態度の時ほど饒舌であるのが、このブルースという父親の特徴であるらしい。
「ブルースは、ほのおよりもずっと以前から炎山さまと一緒にいるんだよね?」
何を当たり前のことを尋ねているのかと邪険に扱うことなく、前を向いたまま、ああ、と端的な返事が返った。
問いを肯定した横顔は、先刻までの無表情とは異なり、わずかだが口元に笑みが浮かんでいるようだ。
彼の主人の名を口に上らせただけで、機嫌を損ねるにせよ和らげるにせよ、何某かの変化がある。意図してそれを起こさせようと思っていない場合でも、常に一定の波長であるその心中に、波紋を生じさせるのは彼の名前以外にはない。自分のように、即喜色へと転じるよりも、深い思慮がその背景にはあるようだった。
「今より前の炎山さまは、今とは少し違っていた?」
自身でも、おかしな尋ね方だと思う。
しかし、それ以外に心に思う内容を的確に表す方法が見つからなかったので、遠回しであるかのような言い方になってしまった。要点を整理して、賢い言葉使いで質問をしろと、常に注意されているのだが。
わずかな間を置いて、幼い娘からの問いに答が返った。
「炎山様は、炎山様だ」
自分が見ているものに、昔も今も相違はない、とブルースは言った。
相手の言い分は、ほのおにもわかる。ネットナビにとって、人間の成長というのは外見だけに留まるものではない。
基本性能をカスタマイズするのは初期段階だけでなく、成長過程を見て、オペレーターが彼らの特性を伸ばすのも技術の一つだ。
確かに、身長や骨格などの姿形だけでなく精神面でも、人は外側と内側の発達を経て一人前になる。けれど炎山は、自らのナビに手を加えることには一貫したポリシーを持っていたのだろう。
ブルースが彼を彼のままだと言ったのは、偏った調整の仕方も、それを怠ることもしなかったという結果を重視しているからだろう。ただ一つの信念の下に、ナビを捉え、必要としているのだと、今現在も信頼できる姿には、どこにも変化はないと。
そして、もっと深い場所で互いが繋がっている現実には、移り行く時の流れなど無関係だと言いたかったのだろう。
それは、期待していた返答ではあったけれど、少女としては単純に、子ども時代の炎山の話が聞きたかったのだ。
自分のように、小さい時代があったということ。その頃の彼は、何をどう感じ、そしてどんな顔で笑っていたのだろう。
「おまえが見ているものが、それだ」
かすかに頬を膨らませて漏らした呟きを拾い、ブルースは軽く口端を上げたようだ。
「ほのおが、見ているもの?」
目線を合わせず、ゆっくりと歩きながら、長身のナビは自身の言葉を補足した。
炎山は、他人に対して滅多に笑みを見せることはないが、身内や女性に対しては意外に愛想が良い。
体面を要求される場面ではむしろ冷たい印象を与える相貌が、柔らかく微笑を湛える様は決して取り繕ったような芝居などではなかった。自然と齎される、彼自身の内面の厚みを表しているのだろうが、それとも違うとブルースは言いたいようだった。
少女は首を傾げ、自分がよく覚えている、いつもの光景を回想した。
ブルースが炎山のところから帰ってきた頃を見計らい、赤いPETを飛び出し、おはようございます、と挨拶をする。
すでに相手は朝の支度を終えて仕事に向かう体勢を整えているのだが、どんなに忙しい時でも少女のおとないを歓迎してくれた。無論自身も、顔を見ただけで嬉しくなる気持ちをそのまま面に出して、元気良く声をかけた。
そうすると炎山も頬を緩め、青い瞳を細めて、おはようと返してくれる。
微笑みかけるだけでなく、側に来るよう催促して、卸したてのスーツが皺になるのも気にせず、膝に抱きかかえてくれるのだ。着痩せするその腕の中にすっぽりと収まっていると、炎山を独占したような気持ちになって、とても幸せな気分になる。
その至福の上に、聞き慣れた声音が適度な距離を保ちながら、いくつもいくつも降ってくるのだ。他愛のない確認や、日々の様子を尋ねては、一つひとつの応答に目元を綻ばせる。
あ、とほのおはその時点で気が付いた。
ブルースが言わんとしていることは、夢で見たPETに語りかける少年の姿だったのだろう。
幼かった当時の姿は、些かの狂いもなく今も尚存続していること。たとえ現実世界が時の年輪を刻んでも、変わることのない形でそれは目の前にあった。
炎山さまは、炎山さま。
ブルースの言葉を反復し、やがて少女はくしゃりと満面で微笑んだ。
「あのね、ほのおはね。炎山さまの夢を見たの」
小さい炎山さまは、ブルースのことをそれは大事にしていたんだよ。
宝物みたいに大切に思っていたのだと、確信を持って黒いグラスの持ち主に告げる。
無邪気な反応に再び鼻で笑う調子が聞こえたかと思うと、やがて低く、感情の伴った声が漏れた。
普段はむっつりと噤まれている器官が、こんなにも柔らかな音を発することができるということを、初めて知った。
「……知っている」
ブルースが喜ぶと、それは炎山が笑むのと同様の効果があることを少女は悟った。
-2005/12/23
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