ももの日
 女の子はいつだって綺麗にしてなくちゃ。
 そう言って、炎山の次に大好きな人からプレゼントをされたのだと、幼い娘は頬を高潮させながら微笑んだ。
 無論、親のナビ同様、オペレーターである炎山が一等好きではあるが、二番目はブルースだ。つまり、父親と同じくらい好きだと公言する相手から、ドレスアップチップを貰ったのだと少女ははにかんだ。
 戦闘用ではなく、娯楽であるそれは、多くは女性専用に作られている。一つのチップで一度しかその効果は得られないが、だからこそ念入りに吟味して買うのだと、ロールなるナビのオペレーターである桜井メイルなどは力説していた。
 今や普通に手に入れられるようになった、ネットナビをメイクアップするチップの類いは、世界の有名どころで季節ごとにファッションショーが開かれるたび、新作を発表し続けている。
 ほのおが手にしているのは髪飾り用の小さなものだが、相当な額の代物だ。なぜなら、それはまだ公式では未発表のデータだったからだ。
 オペレーターである彼に無断で、今はまだ同居状態であるブルースのPETに送ってもらうことはできないから、わざわざやいとのところから持参したのだと言って、ほのおは両手でチップを目の前の人物に差し出した。
「装飾品程度なら、おまえが持っていても不都合はない」
 椅子に座った炎山の脇に佇むブルースからそう告げられ、ちらりとその横の人影を一瞥する。
 優しい眼差しでこくりと頷くのを確認すると、やったと小さく声に出してほのおは満面の笑みを浮かべた。
「…つくづく、やいとはほのおがお気に入りだな」
 今はまだ妊娠中期だが、辛い悪阻が去った途端、暇を持て余し、グライドを使って少女を呼びに来ることが専らだ。
 恐らく少女型のナビが珍しいというだけでなく、ほのお自身を気に入っているためだろう。本当はメイルのように女の子のナビが欲しかったのだという、グライドに対するあてつけではないとはいえ、その歓迎振りには首を捻る部分がないわけではない。
 だが、炎山の正妻である旧姓綾小路やいと本人に言わせれば、頭の固いブルースや炎山と一緒にいるよりも、女同士の方が打ち解けやすいと考えているのだろう。実際、姉妹か親友のように色々な物事を相談したりしているらしい。
 考えてみればほのおは彼女にとっては、恋敵と夫との間にできた子どもなのだが、それ以前に少女自身を殊更お気に召したようだ。
 馬が合うのか、波長が合うのか、ただ単に根本的に似通っているだけなのかは定かではないが、子育てにあまり関心を示さなかった実母に対して甘えられなかった経緯があるため、当時を髣髴とさせるようなほのおの姿に同情や親しみの念を抱いたのかもしれない。
「俺と炎山様からの贈り物はこれだ」
 浮かれている少女を呼び寄せ、手にしたチップを取りに来いと命じる。
 ブルースから受け取った金属の破片が何であるかを悟り、ほのおはびっくりしたように大きく目を見開いた。
「まだおまえには扱えないかもしれないが、持っていても損はないだろう?」
 口数が多いとは言えないブルースに代わって、炎山が代弁する。
 レアチップとしては価値がなさそうな一般的なカスタマイズのプログラムだったが、確かにこれがなければ成長は望めない。たった一〇〇ぽっちのヒットポイントを上昇させるアイテムだが、小さな少女にとってはなくてはならない素材だった。
「炎山さま、ブルース。ありがとう…!」
 思わず眼前の膝に抱きつき、二人の子どもで良かったと臆面もなく告げる。
 途端に咳き込むブルースを横目に、炎山は肩を揺らして笑いを堪えた。
 今日ほど、女の子に生まれて幸いだったと思わない日はないだろう。大好きな人たちから好意を与えられて、それを胸一杯に吸い込むことのできる幸福。
 大切な人たちに見守られて、自身の成長を噛み締める今日。

「ほのおは、どんな大人になりたいんだ…?」
 膝の上に愛娘を乗せた炎山にそう問われ、青い眸を振り仰ぐ。
 いつのまにかブルースの腕が線の細い青年の背後に回り、支えるようにその温もりに触れている。例え実の娘であっても完全には炎山を独占させないという腹積もりかどうかはわからないが、少女は純粋に思ったことを口にした。
「ほのおは、やいとさまみたいになりたい…!」
 元気で活発で強くて優しい。
 そんな彼女を想像したのだが、どういうわけかブルースは額を押さえたまま机に向かって突っ伏してしまった。
 炎山はと言えば、噴き出しそうになる笑いを必死に堪えてこちらを見下ろしている。
 柄にもなく切れのある双眸が涙目になっているのを不思議な顔で見つめながら、ほのおはやっぱり無理かなあと独りごちた。
 やいとのように、とは、勿論少女の中で尊敬の対象として見ている姿だ。間違っても子どもの頃からの腐れ縁である炎山らの回想の中の彼女ではない。昔の話を聞いても実感が沸かないし、そもそもやいとの少女時代というのはグライドの思い出話で玉に聞くくらいだ。苦労しました…、と言うだけでいつも具体的な話題を避ける年上のナビを見上げながら、炎山も苦労をしているのかなと思ったくらいで気にはしなかった。
 でも、結婚しているのだから、そこが良いと思っているのだとばかり考えていたのだが。
「…確かに、それがあいつの味と言えばそうなんだが…」
 今度は苦笑いで言葉を濁しつつ、ぽんと炎山は小さな頭に掌を置いた。
「俺は、今まで通り素直で明るいほのおでいてくれれば良いと思っている」
 そっと額のある場所に口付け、数回に分けて頭を撫でた。
「ブルースも、そう思う…?」
 視界の影に隠れてしまった赤いナビを気遣うように炎山の背後を覗き込めば、ようやく立ち直った長身に指でおでこを小突かれた。
 呆れたような、諦めたような声音。けれどその中には突き放すような冷たさは少しもなかった。
「おまえらしさを失わなければそれで良い」
 ブルースの言を受けてそうだな、と目元を綻ばせる炎山に触発されたように、ほのおはまたふふ、と微笑を浮かべた。
 炎山さまも、ブルースも、大好き。
 チップの御礼とばかりに伸び上がって二人の頬に接吻をすると、照れくさそうに顔を見合わせて、自身の最も身近な人たちは互いに肩を竦めた。


-2007/03/13
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