+ ハパチ。 +

01/破天荒の恋

 二十年前。
 三歳のあの日、破天荒は恋をした。
 それはどうしようもなく熱く烈しい、明確な思いだった。
 視覚が造作を捉えるより早く、まるで雷に打たれたかのように脳天から爪先まで電流が走った。
 相手は、丸とトゲの物体。全身オレンジな上、手足は綿棒の芯を髣髴とさせるほど白かった。
 出会い頭に名前は、とか基本的なことを質問する前に、どきどきと高鳴る胸がやけにうるさかった。
 その人は、目線より低い位置にいる自分などに目もくれない。喋っている相手は皆、同じくらいの身長の連中ばかり。
 同じ顔をした黄色い奴らが周囲を取り囲んでいるが、破天荒の視線は中心で雪の上を横転するただ一人に注がれていた。
 転倒し、ボードから転げたその人の身体が、ずざざと足元に滑り込んだ。不意に訪れた交流の好機に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
 普通は頬を赤らめ、どきりと心臓が一つ鳴りそうな場面だったが、破天荒は年齢に反して肉体はあまり純情派ではなかった。
 あの。
 声をかけようとして飲み込んだ。
 眼下で倒れ伏したその人がいててと身を起こす。物怖じしたように無言で見下ろしていると、何見てんだよと凄まれた。
 眼球をなくしたように吊り上げてくる三角の双眸が勇ましい。内面の怒りを如実に表わすかのように、十二個ある(数えた)トゲが一斉に逆立った。そして破天荒には到底理解しづらい脈絡のない文句を並べ立てたかと思うと、さっさと元来た場所へ帰ろうと背を向けてしまった。
 待て。
 待ってくださいと言おうとしてやはり言葉にならない。だが身体は動いた。コートのようなジャケットの裾から出た足が、相手の小振りな靴の踵に引っかかった。
 どわあ、と大げさに丸い物体が前面へ倒れる。そこが雪の上であろうと鼻血を出してもおかしくないほどの猛烈な勢いで、両手を上げたまま頭から突っ伏した。
 なんて凄い倒れ込み方なんだ。
 破天荒は訳もなくぞくぞくした。かつてこれほどまでにベタなアクションを示した人間がいただろうか。
 実際には人ではなかったが、それは強烈な新鮮さで、破天荒の幅はないけれど奥底は深過ぎるほどの暗黒の胸を打った。
 案の定、血まみれの顔面を起こしたかと思うと、怒号を上げて胸倉を掴みかかってきた。
 大人げのない振る舞いはやめてくださいと同じ顔をした黄色い連中に止められる様を見つめながら、やはり逸る心を抑えることはできなかった。
 まるで罪人のように両腕を押さえ込まれ、連行されかかる人の背後へ、破天荒は足を踏み出した。
 ざ、と新雪が舞い、つぶらな瞳が一度に振り向いた。
 青い光を湛えた鋭い一瞥が投げかけられたのを確かめ、もう一歩前へ踏み込んだ。
 ぼすぼすと雪上を進み、ついにはその人の真ん前へ移動することに成功する。
 背丈は向こうの方が確かに高かったが、目線はどうやら同じくらいの位置らしい。長くて立派なトゲが凛々しい眼差しの顔から生えているが、本体は子どもの目から見てもそれほど巨大ではなかった。
 わずかに見下ろしてくる目線に促されるように、破天荒は悟られぬようマフラーの奥で深く息を吸い込んだ。そして、一気に言葉を紡ぐ。
「俺は、あなたが好きになりました」
 元々口数は極端に少ない。以前話をしたのはいつだったのかすら、もう仲間たちは覚えていないだろう。
「だから」
 声を告ぐ。
 単語を発する毎に一拍ずつ間を置いているように聞こえるが、本人は淡々と言葉にしているつもりだった。しかし、齢三歳にしてここまで流暢な言語を話す幼児も珍しい。
「だから、何だよ?」
 不貞腐れたような、機嫌があまり芳しくないような表情で、相手が促してくる。
 どうやらそれほど悠長な性質ではないようだ。細い両腕を組み、苛苛と今も靴先で地面を踏み鳴らしている。そんな様子を見て、もしかしたら相性も抜群なのではないかと根拠のないことまで考えてしまう。
 にっこりと、破天荒は両目を曲線にした。
 笑顔を見せたことなど、生まれて三年、一度もなかったというのに。
 犯人を取り押さえるようにしていた彼の親戚のような卵たちも、何事かと両脇で事の成り行きを見守っている。子どもの言うことを真剣に聞こうとしているというより、先ほど告げられた告白がさっぱり的を射ていないようだった。
 そんなことは露ほども気にせず、破天荒は口を開いた。
 きっぱりと宣告する顔には、いっそ清清しいほどの輝きがあった。

「掘らせてください」

 あどけない笑顔が齎した一言に、んがーーーーと白目を剥き出し、取り巻き連中は皆顎を外した。
 掘らせてください。
 掘らせてください。
 掘らせてください。
 スキー場に流れていたニューミュージックが、いきなり問題発言の連呼へと様変わりする。
 言われた当人すら、ええええと大いに驚いているようだった。
 そして次の瞬間、発掘されちゃう、発掘されちゃうと爪先立ちして横回転し、他のスキー客をどつき回った。
 おやびん、盗掘に遭っちゃうのか!?盗掘されちゃうのか!???と慌てふためく黄色い波を無視して、破天荒は徐々に遠ざかっていくオレンジ色の姿を追った。
 倒していた自前のボードの端を踏んで立たせ、向きを変えてからその上に乗る。両手など使わずとも、足技だけでスノーボード及びすべての実践生活が事足りた。
「待ってください、まだ名前を…」
 聞いてないと言いたかったが、猛スピードで坂を転がってゆくその後を追うのが精一杯だった。
 交渉の手始めとしては、名前を聞くのが最も常識的な手法だ。その前に掘らせろと宣言したのは、恐らく少年の本心からの発言だったのだろう。
 末恐ろしい男だと。
 自分たちのリーダー的存在を放置したまま、コパッチたちは心の中で呟いた。


 …三歳児×おやびん。

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