破天荒は至極ご満悦だった。
数年前までは不愉快この上なかった行事が、今は一番の幸せなイベントかもしれないと実感する。
自分が、なのではない。大切な人が喜んでいる姿を眺めているのが幸福だった。
ベッドに腹ばいになって寝転びながら、床に足を広げて座り込んだまま、一人芝居をしてはスーパーで買ってきた安い包装紙の山を漁っている愛しい人の後ろ姿を眺める。
時に妖艶な美女になり、時にニヒルな大人の男へ変貌する。玉に自前の木偶人形を相手に恥らったり怒鳴ったりしているが、目的は一様においしいお菓子を口の中へ放り込むことだった。
首領パッチは、今更説明するまでもなく鮮やかな太陽の色一色に包まれている。目や眉の色彩が異なるのも素晴らしいと思う所だが、ころころと丸い身体は橙色だけに占められていた。立派なトゲを十二本も蓄えているが、陰影がその全体を暗く包み込むことはない。常に明るい光に満ち溢れているようだった。
希望というものがもし形を取れるのだとしたら、きっとどころか絶対確実に間違いなく、首領パッチと同じ形態を取るだろう。それ以外は考えられない。認めないし異論や反論どころか一度でも角度の違う見解など受け付ける気はなかった。
おやびんは、世界のすべてだ。
自分がどうでも良いと思わないもののすべてを取り込んでいる。塵や芥に世界は作れない。また、それを見てもそんな場所に住みたいと思う奴はいないだろう。要するに至上の存在に例えているのだが、破天荒にとって首領パッチはそれ以外では在り得なかった。
その最高の人が、地べたに座り込んだまま一つのことに精を出している。本来、相手の性格は気もそぞろも良いところで、一つに集中することはない。けれど、今日は一年に一度のイベントだからといって、それにあやかって惰性で購入してきたチョコレート菓子の山を面白おかしく食べているのだ。
ただ単に飲食しているのであれば、いつもの通りに傍観をしていられたかもしれない。食卓を一緒に囲んだこともあるが、わざわざ時間を合わせなければならないと思ってはいなかった。
好きにさせておくことが首領パッチの流儀に副うのであれば、自我をぶつけるような真似はしまいと思っていた。それに、単独を好むのは自らの意思だ。元々細胞内に勝手気ままな本能が刻み込まれているのなら、執着を知ったからといって、一から十まで自身の構造が変化するわけではなかった。
だから、べたべたすることはしないつもりでいたのだけれど。
可愛いなあ、と思う。
無意識に感じている事柄であるので、もしここに他の連中が居合わせたとしたら嘆息とともに吐き出していた台詞を聞かれていたかもしれない。頭に溜まった密度の濃い空気を、鼻腔から陶然と吐き出しながら、意図せずに呟いていることすらまったく覚えがなかった。それくらい、重症だと思える事態が目の前で展開されていた。
子どものようにはしゃぎながら、眼前に広がった包みの山を漁っては黙々と食べているようで、その実動作はスマートではない。
潔癖症でないにしろ、破天荒とて無様だと思える仕様は極力避けている。単に無駄を省きたいという前提がそこにあるだけで、身に付いた習性や躾の類いではなかったが、首領パッチはその合理的な思考すらゼロであるかのようだ。無論、見てくれからも高い知性があるとは思えないが、まったく考えのない行動で食べ物を咀嚼し続けている。その全身は、黒い染みで汚されていた。
遊びの最中は決して綺麗好きとは言えない首領パッチが、公園で泥にまみれて転がっている光景を目にしたことは何度もある。時には誘われるまま仲間に加わり、心行くまで相手をした経験もあるが、今の状況はそれとは微妙に異なった。
泥は所詮土が水分を含んだだけだ。乾いてしまえばそれは白く汚れる。これこそが本来の土の在り方だとしても、乾燥してかさかさになったものを表面に貼り付けている姿は、見ていてあまり気持ちの良いものではなかった。
まだ暴れたりないとごねる身体を拾い上げて、水飲み場へ連れて行き、命令を無視してざばざばと流してしまった。それくらい、自分はその様を不快と感じたらしい。
後々になって思考してみれば、それは汚れではなく、くっついただけのただの他人のように受け取ってしまったからだろう。その時は叱られるかと思ったが、すっかり土が落ちた時点で、首領パッチの気持ちはすでに泥んこ遊びには向いていなかったようだ。それはそれで安心したのだが、今回は水で流してお終いにできるような代物ではない。
そこが堪らなく可愛いと思える所以なのかどうかは定かではなかったが、首領パッチが相手にしている甘味物はバターを多分に含んでいた。体温のように、常温より幾分高い温度に触れただけで柔らかく変形するが、液体になるわけではない。こびりついた物も、時間とともに色褪せるような素材ではなかった。
口の周りも手袋も、頬や額、更には腹部に至るまで、ぐちゃぐちゃに黒いもので汚れている。
清潔さを保つために洗うとしても、石鹸を使わなければ綺麗に落とすことは不可能だろう。
首領パッチの表皮はそこいらの人間の肌よりぴかぴかで肌理が細かいので、汚れを落とすのに苦労する必要はないと思われるが、ただシャワーで流すだけで終わらないところが、気分をわくわくと高揚させているものの正体であるようだ。
甘ったるい臭気を放つ固形と戯れては、知らずに自身を汚してゆく首領パッチの仕草を見ていても飽きないが、その後の経過を想像するだけでも、通常は冷静過ぎるほど冷静な神経を堪らなく興奮させていた。
生来甘味を含んだ菓子全般が得意ではないので、本当なら匂いすら鼻について堪らないはずなのだが、どうもその感覚すら麻痺してしまったようだ。部屋には、それ以外は考えられないほど濃厚な匂いが満ち満ちているが、それも首領パッチから発されているとなれば問題にはならない。
そんなことよりも早くおやびんに触りたいなと思いつつ、興味半分でベッドから身を起こした。
わずか数歩で目的地に行き当たり、身を屈める。
覗き込むように顔面を近づけると、今頃気づいたように口端にチョコレートの塊をこびりつかせたまま相手が振り返った。
充満している匂いに慣れてしまったのか、香ってくるものに対する抵抗はない。
「美味しいですか?」
目元を細めて問うと、ナトリウム控えめで生活習慣病に優しいと、尤もな答が返ってきた。
しかし、破天荒が購入してきたのはそれほど高価な品ではない。スーパー側が相応の企画と称して、ラッピングしただけの平凡なおやつと言っても差し支えないだろう。特別目新しいものは何もないが、一度にこれほどの量の同じ加工品を食べること自体が珍しかったのだろう。
いつ飽きたと言い出すかはわからないが、とりあえずバレンタインというイベントを、首領パッチなりに満喫しているらしかった。
今も食い散らかしながら、あーもう俺、チョコ六道の住人になるなどと、わけのわからないことをのたまっている。
間近で嬉しそうな姿を見ているだけで気分は満たされたが、予期せずして視界のど真ん中に突き出された物に一瞬目を見張った。
小さな袋を剥いて取り出されたのは、一欠片のビターチョコだった。
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