「摩天楼」
へ?、と一瞬目が点になった。
思わず、周囲を見渡す。
ハジケ組の敷地内にある庭の一つ。丁度今時分、直射日光が当たらない、青空を見上げるには最適の場所だ。
鄙びているわけではないが、長閑と言っても差し支えのない村で、そんな超高層のビルが立ち並ぶ風景などあっただろうかと、首を捻りそうになった。
振り返った先には、何もない。
と思ったのは錯覚で、上空を見上げていた目線を背後へ並行に伸ばしても意味はなかった。なぜなら、ここに住んでいる者たちは皆が皆、体格は自分などよりはるかに見劣りしていたからだ。
「じゃなくて四天王、だっけ?」
視線が一向に向けられないことに業を煮やすことなく、呼びかけた側は正確な呼称をぶつぶつと模索している。
気のせいではなく、それは自身の名前だったらしい。
「破天荒、です。おやびん」
『天』しか合っていないなどと、野暮なことは言い返さない。
相手の姿を知覚すると、徐に目の前で跪いた。
曲げた足を片方だけ立てて、正面の双眸を見つめ返す。
「おお、箱天な」
もしかして、頭と口が繋がっていない人なのか。
聞いた音を脳味噌に取り込み、それを言葉として発声する機能が麻痺しているのか。あるいは、これもボケというハジケの一種かと解釈し、早々に用件を尋ねた。
彼が束ねる組織に入って、まだ一週間も経っていない。
与えられた役割は下っ端である以上、掃除洗濯炊事、何でもやらされた。他人は愚か自分のためにさえ経験したことのない仕事の数々だったが、生来要領の良い性質だったので、教えられた通りにこなせば何でも人並以上の合格点を貰うことができた。
指導したコパッチも色んなタイプがいるが、エキスパートと呼べるほど抜きん出た素質のある奴はいなかった。もしかすると、自身が一番手際が良いのではないかという気さえする。少なくとも、この数日間でそれらの腕が格段に上がったことは事実だ。
ただ味覚という点では、食物に対してあまり興味を持たなかったので、首領パッチやコパッチほど貪欲に追求しようとする意識はなかった。
けれど、目の前の人が美味しいものを食べたいと言えば、喜んで料理の腕を鍛えただろう。
「用ってほどのもんじゃねえけど」
畏まって尋ねられ、相手はわずかに頭を振った。
「うちの組には慣れたか?」
首領パッチを慕って彼の舎弟となって以来、幾度か問われた事柄だ。
無論、あちらが気遣ってくれているのは十二分に理解できる。時折声をかけてくれるのは、首領パッチ自身はコパッチと違って、自分に教えることがないから手持ち無沙汰だったという理由もあるだろう。間違っても、新入りとなった男を気に入っているからではない。
「コパッチの兄貴たちが、何でも教えてくれますから」
事欠いていないと告げる。
当然、不満などあるわけはなく。
不安はどうかと問われれば、そんなものは更にない。昔から、その手の要素とは縁がなかった。
気ままなその日暮らし。奔放に生きているのに、一般的な生き方ではないために安定を欠いていると自覚するのが普通の人間の神経なのかもしれない。だが、自身は違った。何もないから自由で良い。束縛するものがないから、心を解放できる。飾らないままでいられることが至高だった。
特定の居場所を得た今も、そこに感じるのは以前とそう多くは変わらないものだった。
「そっか」
何度聞いたかわからない声。
安堵とも違う、単に了解を示しているのだろう。
知ることができれば、それで満足する。その程度の疑問だったのだ。
「ご心配をおかけしました」
ぺこりと会釈をする。
そんな芸当をどこで覚えたかと言われて、自然と身体が倣っただけだ。誰に指図されたのでも、教えられたのでもない。
「じゃあな」
これから自分が何をするのか。その目的を明らかにすることなく、きびすを返す。
少し他人行儀。けれど、完全に見知らぬ存在に対するような、ぞんざいな素振りは一欠けらもなかった。
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