「て、おまえが犯人だったのかよ!?」
膝の上で仁王立ちした人物が、大きく目と口を開いて叫ぶ。
「はあ、どうやらそうみたいですね」
破天荒、と名指しされた者は些かも困惑した様子を見せず、しれ、と返事をした。
「どうやら、って…」
きょとんとしたように、青い瞳が丸くなる。
さっきまでセックスの余波を受けてぐったりしていたはずだが、暫く男の膝に抱きかかえられていたためか、俄然元気を取り戻したようだ。無論、くたくたになっていることなど、滅多にないが。
立派なトゲを斜め後ろへ伸ばし、向かい合った者の顔をまじまじと見返す。
あれだけ事の仔細を述べることができたのだから、途中で気づくのが普通だったかもしれない。残念ながら、首領パッチの神経はそこまで鋭敏にできてはいなかったようだ。
感情や感覚のアンテナのように、無数に生えた身体のトゲが、びくびくしたりぴんと張ったりすることは破天荒とて知っている。ゆえに、全身で驚愕を表わしている姿を目にしても、見下ろす側は些かの変調もなかった。
「もしかして、覚えてねえのか?」
腕を組み、立ち上がった場所からオレンジの姿態が見上げてくる。
ズボンの上から土足の靴の感触が伝わっているだろうに、踏まれている者は気にした様子もない。慣れた光景なのだろう。
「俺はいつも、おやびんを××したいって考えていますから」
どこら辺から妄想ではなくなったのかの区別が、判然としないのだと告げる。
後頭部を掻きながらいけしゃあしゃあと吐露する風貌は、反省の欠片もなかった。
本来なら強姦罪で訴えられてもおかしくはないというのに、却ってうーんと、男の保護者であるべき立場の被害者の方が怪訝な面持ちで唸るばかりだ。
どうやら、真剣に悩んでいるらしい。
どんな状況であろうと、その場に見合った適宜のハジケを模索する時のように、滑らかな額に浅い皺を刻み込む。
「やっぱり、自分で自分をお縄にしなくちゃならないですよね?」
一応、一日刑事をやっている身としては。
名誉ある役柄だったが、今だに続けているので、事実上のハジケ村の駐在さんと言えなくもない。ただ『一日』であることを忘れられているだけなのだが、当人はとっくに、役目から降ろされることを諦めているようだ。
「んなのは、どーでも良いけどよ」
害を被った人間として、相手を厳罰に処す手続きを取ることをあっさりと辞退する。
むしろ、問題として捉える価値すらないと言わんばかりの口調で首領パッチは切り捨てた。
「公共の場所で、おやびんをぐちょぐちょのどろどろにしたのに?」
なぜそこで擬音を繰り返し使うのか謎過ぎだったが、汚れたのはおまえの所為だけじゃないと被害を受けた者は言い切った。
「半分くらいは俺も出してるし、それは良いっつーか」
戦利品だった諸々の下着も、自分が着込んでいた愛用のらんじぇりーも。
泥と精液だらけになった責任は、破天荒だけにあるわけではないと諭す。大体、大半は自分の物じゃない。
それに、先刻も相手に体を綺麗にしてもらった口だ。
幾つ携帯しているのかも定かではない、おやびんラブと刺繍された大量のハンケチのおかげで、漏らしたものの始末はすでに滞りなく終わっていた。
妥協ではなく真実を見据えた上で漏らす台詞は、ハジケ組の大親分の名に恥じない潔さがある。
漢らしさも、ここに極まれりだ。
単に思考能力が下の下だというのは、知らなくても良い事実だが。
「じゃあ、訴えなくて良いんですか?」
この男が、抵抗する私を無理矢理襲ったんです!、と悲劇のヒロインを演じなくても良いのかと質す。
服に縋りながらパチ美の恰好で号泣されたら、裁判沙汰になっても構わないと言わんばかりだ。
刑務所に放り込まれたとしても、男にとって、娑婆と特段の違いはないのだろう。
どうせ首領パッチは、自分がどこにいようと神出鬼没だということを理解しているのだろう。
永遠の別れが来るのだとしたら、首領パッチに本当の意味で見放された時だろう。自らが相手から遠ざかることはないと、確信しているかのようでもある。
「めんどくせえから、却下」
子分が子分なら、親分も然り。
あっけらかんとした物言いに、はあ、と明らかな溜め息が頭上から聞こえた。
「んだよ。何か問題あるのか?」
顔を顰め、軽い調子で睨みつける。
いや、と即座に否定が返った。
しかし、それに続くように声を発する。
抱えるように、両腕をその背後へ回した者は、おのれの本心を呟いた。
そっと引き寄せるように、あるかなきかの力を込める。
「そんなに甘やかしたら、俺はまたいつおやびんを襲うかわかりませんよ?」
今回と同じように、所構わず陵辱するかもしれないと告げる。
「りょーじょく?」
聞き慣れない単語を使われ、発音を繰り返す。
アクセントが異なるので、語尾はジョークに変わっていた。
「おやびんを、えっちな液で汚してしまうってことです」
制止を叫ばれても意に介さず、無理矢理目的を遂げてしまうと説明する。
どうやら、首領パッチの中では無理や矢理という形容自体が意味を持たないものであるらしい。
自分にとって無理なことはないし、矢理は先っぽが痛いし(それは槍)、としか認識できないのだろう。
それの持つ意味合いが、直接脳味噌に入ることがないと表すのが適当かもしれない。語句そのものが、首領パッチの世界には存在しないと言っても過言ではないだろう。
それは首領パッチ自身に能力の極限が設定されていないことの最たる理由であるかもしれないが、とにかく、その言葉が表わす事柄が重要ではないことは確かだ。
首領パッチの中で無茶は当たり前であり、無理は絶対にないことだと断言できるのだろう。
「そりゃ、あんなにぶっ飛んだことをしょっちゅうやられたら、持たないっつーか」
所所、具体的な表現を省きながら答える。
思案しているようでもあり、あまり小難しいことに長い間構っていたくないと物言わず主張しているようでもある。
何が維持できなくなるのかという問いに関して、肉体を当てはめることもできるだろうし、もしかしたらハジケ精神が危うくなると言いたいのかもしれない。気持ち良過ぎて、というのが、始めから終わりまで、一貫した根拠であるというのは密かな事実だが。
「じゃあ、適時に襲うってことで」
徐に、破天荒はマフラーに腕を突っ込んだ。
取り出したオレンジ色のスケジュール帳に、文字か丸印のようなものを書き込んでいる。
さながら、危険日はこの日だと、チェックを入れる恋人か愛人のようでもある。
「おう。俺は抜き打ちでも全然構わねーぜ!」
堂々と受け止めるぜ、と親指を眼前に突き出す。
正々堂々受け止められたら、陵辱という言葉自体が意味不明になるのだが。
しかしそれも、この次襲う時には忘れ去っているだろう。短絡的な思考であると同時に、記憶が長時間保たれた験しがないからだ。
「わかりました。むらむら来たら、遠慮せず押し倒します」
清々したような表情で、メモ帳をぱたんと閉じた男は笑った。
今度こそ、心の底からの笑みだったのだろう。
「どんと来いってんだ」
ふ、と首領パッチの口元も綻んだ。
自由になった身体で、床へ降り立つ。身軽な動作で、かつりと堅い地面に足を付く。
どこへ行くのか尋ねる声に、丸い影が振り返った。
その肩には、風呂敷に詰め込まれたボボ子自慢のラージサイズのらんじぇりーが背負われている。
「こいつを、ボーボボに返してくる」
そうすりゃ、裁判で訴えられることもないだろう、と白い歯を見せる。
それって、逆効果。
敢えて止めなかった破天荒の脳裏に、葱臭いと叫んで卒倒する黄色いアフロの同郷者の姿がありありと浮かんだ。
おやびんに下着を貸さなかった奴が悪いのだと、無感動なまま思いながら、気の毒だとの気持ちはこれっぽっちもなかった。
いそいそと帰り支度に精を出している頃、当然の如く、首領パッチはアパートの前で門前払いを食っていた。
その後、受け取ってもらえなかったと泣きじゃくるオレンジ色の人に、我慢が利かなくなった破天荒が『この次』を実行したというのは、また別の話。
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