+ ハパチ。 +

03/続・ニャーパッチ物語

「何?」
 肌を這う手が、さっきとは全く別物であるかのように感じる。
 少し湿った、汗ばんだ相手の肌膚が、そう錯覚させているのだと気づくのに時間がかかった。
 ぬめぬめと、体表を粘液で覆った生き物が実際に身体を這うよりはマシだとしても、感じる異常な高温の熱に、ひっきりなしに心臓がどきどきと高鳴った。
「これも、ゲームの一環なんだよな?」
 驚きながらも問い質せば、そうです、と答が返った。
 今のは単なる質問だったので、勝敗の数にはカウントされなかったようだ。
 よし、と気持ちを切り替えようと、体勢を整えるために身じろぎしようともがく。が、巧く安定を得られない。
 それもそのはず。頭上のトゲに相手の顎が挟まり、固定されるように腿の上に座らされていたからだ。
 言葉だけじゃ物足りなくて、ついに実力行使に出たかと内心で合点はしたものの、治まりのつかない動揺のようなものを感じているのは事実だった。
 向こうの緊迫感がこちらに伝わりでもしたような奇妙な心地が、ちりちりと全身を焦げ付かせているようなかすかな感じ。
 今までに味わったことのない違和感。
 その正体は、今以て自分には謎過ぎだった。
「なあ…」
 戸惑いを隠すように、後ろへ目線を送る。
 上下の動きを封じられた手前、動けるのは左右にだけ。しかも、極端に角度が狭い。この恰好に何か特別な意図があるのかと怪訝に思った。
「少しだけ、我慢していてください」
「は?」
 いきなり告げられた内容が判然とせず、無意識に聞き返していた。
 しかし今度は返答のないまま、次の瞬間、濡れた感触がトゲの側面を覆った。
 ひ、と反射的に素早く身を竦ませる。
 熱い粘膜を押し当てられるなんてことは、これまでに経験がない。飼い主と喧嘩をしている最中、そこを齧られたことはあっても、舐められるなんてのは初めてだった。
「…ッ!?」
 けれど、驚きに飛び上がるだけで、決定的な言葉が出ない。
 下手に声を出せば、また『ニャー』を付けなければならないと感じたからだ。
 なぜか事態は、勝負どころじゃなくなってきている。殊勝にも賢いとは言い難い脳味噌が、微妙な雰囲気であることを的確に察していた。
 こちらの反応などお構いなしに、分厚いざらざらしたものが、アンテナのようにぴんと張ったトゲの表を舐め回す。わずかな距離を移動する毎に、滴った水滴が跡を残した。ぬらぬらと続けられる行為に、ぞわりと背筋が泡立った。
 膝の上で小刻みに跳ねる体積を逃さずに、囲っていた腕の一つが脇に添えられた。上腕と胴体の隙間を掻い潜り、前面へとその食指を伸ばす。
 腹でも抱えるつもりなのかと思われた相手の掌は、顎のような胸のような曖昧な位置で、感触を確かめるような素振りをした。
 緩く円を描いたかと思われたそれが、物音を立てずに視界の下方へと移動する。
 ボディがまんま球体であるので、高度を下げられては、そこはまるきり死角だった。どうなっているのかなんて、目の前に鏡がない限りわかりゃしない。
 ふと思いついたように正面を見つめれば、さっきまで確かに電源が入っていたテレビがあった。気づかぬ内にオフにされたそこに映った影に、かすかに目を見開いた。
 軽く開いた二の足に乗せられたまま、無造作に投げ出したオレンジの股の間に、相手の手が忍び込んでいる。
 そんなところを撫でられたって、頭や腹の時と感触は少しも変わらない。違いがあるとすれば、四肢の付け根に近い分、少々感度が鋭いことだろうか。
 手足を引っこ抜かれれば痛いという、それなりの神経が通っている証拠みたいな感じに、少しばかりの感覚ならある。けれどライオンの鬣みたいに蓄えられた十二本のトゲの登頂以外は、それほど敏感とは言い難かった。
 前後に下腹を擦られたまま、まだ余裕のある目付きで、ちらりと背後を窺う。
 密着した身体は、服の上からでも大分温度が高いように思う。くっついているからなのか、密接したからなのか。その差異はわからなかった。
 ぼんやりとした思考を中断させたのは、撫でていた片方の掌だった。
 いつのまにかさっきとは別の場所に、突然爪を立てられた。
 あ?、とか思うよりも先に、つぷりと爪先が埋まる。どこに収まったかと言って、自分の腹部から下は、上からじゃ確かめようがなかった。
 仕方なく顔を上げて、テレビの真っ黒いディスプレイの中央を凝視する。確認するまでもなく、まるでパンツを履いたみたいに、肌の色が異なった影が、自分の股を覆っていた。
 もう一度視線を横脇に伸ばしても、何かいらえがあるわけじゃない。
 てことは、こっちから何かしなきゃならないもんでもないらしい。
 ゲームはどうしたとか、言うべきことがあるんじゃないかと考えながら、先ほどと同じように、途中で考えが寸断される。集中できなくさせているのは、どう考えても予測不能な動きをする向こうの所為だった。
 一際長い中指が、分け入るように下から入って来る気がする。そこは皮膚の一部分みたいに、他のところと少しも相違はなかった。
 あるとすれば、滑らかで張りのある、立派な色艶をした表面と違って、押せばそいつが食い込むくらいの柔らかさがあることだろう。弾力は他の部署よりも若干劣るが、その分、色彩は濃い。まるで口腔みたいに血色が良いから、何か理由があるんだろうと思った。
 大体、自分の身体の構造なんて、いちいち把握しても仕方ない。病気になったら医者の所へ行けば良いんだし、健康体なら家で遊びまくっていれば済むからだ。問題視するような事柄なんかが、この完璧な肉体にあるはずがないっていうか。
 けどもしかしたら、今の自分は、変な病にでもかかっていたのかもしれない。
 だって指を入れられてから、そこから妙な音が絶えず聞こえてくるからだ。
 くちくちと、狭い場所を出し入れされているにしては、普通の生活ではあまり耳にしない音響が届く。変化を見届けたくて画面を注視すれば、いつの間にか股から水みたいなものが垂れていた。
 げ、と思って息を呑む。抵抗があったと勘違いをしたのか、覆い被さった奴がぎゅ、と腕に力を加えてきた。
 全然その気はなかったってのに、対応が敏速で正直面食らった。漏らしてんじゃないかと驚いただけなのに、一体何だと思ったんだろう。思わず服の上から袖を引っ張って尋ねれば、もう少し、とか諭された。
 何がもうちょっとなのかわけがわからねえが、とにかくここをどうにかしたいんだろう。
 じゃあ、ゲームはなしになったのかと思ったけれど、好きにさせてやることにした。
 そのうち片手じゃ足りなくなったのか、開いた脚の間に左の指を伸ばしてきた。
 交互に違う方の指を抜き差しして、粘ついたような俺の漏らした液を玩ぶように弄りまくった。
 ずっとぞくぞくしていたものが、出し入れする太い指の動きと一緒になって、むずむずするような覚束ない感覚に支配されてくる。
 深く差し込まれる度に、普段見たこともないような所まで痒くて堪らなくなってくる。自分で掻いちまおうかと思ったけれど、リーチなら向こうの方が倍くらいある。それにやっぱり肉球つきの手じゃ、爪研ぎ以外の役には立ちそうもねえ。脇の間から腕を突っ込まれて前をいじられている以上、どうしたってこっちの自由にはさせてもらえそうになかった。
 ずっと抜き差ししかしないで、このまま気になる場所を放置されるのかと思うと、焦らずにはいられなくなってくる。苛苛と唸り声でも上げそうになった途端、左腕で上体を支えたまま、空いた右の手で穴の奥を占領された。
 そこに何本入っているかまで、数える暇はなかったけれど、中で何度も壁を擦られて、堪らずくっつけている尻を振った。
 気持ち良いからもっとしてくれと強請るように、支える腕にしがみつく。知らない間に、上から押さえ込んでいた相手の頭部から吐き出される息も、急に忙しなくなっていた。
 こね回されるような、かき回されるような。何されてんのかすぐにわかっちまう音が、手と股の間からこれでもかってくらい沢山響く。尻尾の生え際にこちこちの塊をぶつけられたまま、気づけば、身体の芯から襲って来たような大きな揺さぶりに逆らわず、出てくるものを放出していた。
 時間にしたら、そう長くはなかったと思う。けど、短かったようにも感じない。
 無意識に閉じていた目を抉じ開けて、意識が正常に戻った時、俺はだらりと膝の上で足を開いたまま脱力していた。
 椅子の上からぽたぽたと、透明に近い液を滴らせたまま、呆然と口を開いてディスプレイに映った姿を眺めていた。
 一瞬、自分が丸ごとどっかに飛び出して行ったみたいな気がしたのは、この漏らしたものと関係があるのかまではわからなかった。いっつも腹の中に突っ込まれては零しちまうミルクよりは惜しい気はしないが、無数の水滴を自然と目が追っていた。
 そういえばあっちはどうなったのかと、ぐったりしたまま真上を見たら、深い溜め息を吐くそいつの目線と鉢合わせになった。
「………?」
 元気かとか、起きたか、とか。挨拶すんのも間が抜けていると思いながら、汗を浮かべながら深呼吸する様を見上げる。
 鼻息が荒いってことは、もしかして、これもいつもの奴だったんだろうか。
「…大丈夫ですか?」
 気遣わしげに尋ねられ、それはこっちの台詞だろ、と思う。
 幾分肌が上気して、いつもは生っ白い淡白な外見だけに、はっきりいって気色が悪かった。
「大したことないっつうか…」
 力は入んねえけど、と答える。
 後ろに手を付いて倒れ込むようにして寝そべっていた身体を起こそうとしたら、そこがずり、と移動した。
 何かがズボンに付着して、肉球を滑らせたんだと思ったら、そこにあったのは案の定、毎日飲まされてたミルクだった。
 どこにぶっかけたんだと思ったら、入れるとことは別の場所で済ましちまったらしい。
「…のかよ…?」
 弛緩したような声音で、尻に出さなくて良かったのかと尋ねる。
 それが、普通のやり方だと思っていた。大体、ミルク自体は飲むモンで、尻でも口でも、とにかくどっかの穴に突っ込むのが正当な方法だと認識していたからだ。
 聞くなり、そいつは真っ赤になって視線を伏せた。
「いえ、これは。本来の目的じゃなかったというか…」
 背中のトゲに撒き散らした、汁のことを言っているらしい。
 じゃあ、何をするつもりだったのかと聞いたら、股間をそろりと撫で上げられた。
 まだわずかに熱を持ったそこは、相手の動きに今さっきまでの余韻を思い出して、きゅ、と入口を窄めた。
「おやびんが、…くところを見たかったんです」
 はにかみながら口にした内容は、俺には意味不明だった。
 要するに、これで満足したんだろう。
 よくわからないが、俺が漏らすこととこいつの目的には、何らかの繋がりがあったんだと思う。多分。
 今以てまともな思考ができないのは、力が入らない体と関係がないとは言い切れない。
「………腹、減った」
 ぼつりと漏れた本音を聞き逃さず、普段通りの声が、大きな人影から届いた。
「汚れを拭き終わったら、飯にしましょう」
 夕飯には少し早いけれど、と付け加える。
 どうやら、いつもの調子を取り戻したらしい。先刻までおかしいと思っていたような、妙な動きもしていない。
「やっぱ今夜は、コーラ雑炊な…」
 飯と聞いて、ちゃっかりリクエストを忘れない。
 コーラを加えるタイミングを間違えて、多少炭酸が抜けても我慢してやろう。
 そう妥協してしまうくらい、眠気が一気に全身を襲ってきた。
 疲れよりも心地良さにうっとりするような、本能から欲する眠りみたいな感じだった。
 まあ、猫って奴は、半日以上寝て過ごすのが仕事だからな。
「あ、おやびん」
 呼びかける声を遠くに聞きながら、いつしか俺は膝の上で丸くなっていた。

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