長話
■
|
古の土地に住むものたち。 彼らのことを紹介した本は、そんな下りから始まっていただろうか。 深い山奥に住む、素朴で情に厚い一族と。 この大陸に住む者は一様に情けや義に厚いと思っているから、その表現はあまり適切ではなかったかもしれない。 山道を、岩を飛び飛び降りてゆく。 慣れたもので、降り道という危険はない。 白い体躯に黒の”ひだ”。 伸びきった尾の先も黒く、太いものが蛇か何かのように足の後ろをついてゆく。尻尾の腹が地面すれすれでそこにつかないように、微妙なバランスが保たれている。 大きな、一瞥されただけでは人食い虎と形容されそうな大型の動物。 丸い耳の先も墨をこぼしたように黒かった。 ただ目だけは金色で、お月様のようだとよく人に言われたものだ。 綺麗な縞模様の”李(レイ)”は、無言のまま山を降った。 下から吹く風にまぎれて、油の匂いが混ざっている。 歩を止め、頭上を見上げてぴくりと鼻を動かす。 鳶が鳴きながら、大空を自由に飛びまわっているのが見えた。 この匂いから察するに、俗に言う『車』というやつらしい。 山の中にある村を降りれば、その手の機械社会の産物とお目にかかることも少なくない。それらが頻繁にふもとの町にやってくることも多いご時世だ。 人里で頼まれた買い物をすませるため、彼はとりあえずけものの姿をやめることにした。 一族特有の衣装をまとった姿に変わると、森の中から出て市場のある通りへと向かった。歩いている間も、きょろきょろと辺りを見まわす。 人だかりが出来ているところから先ほど鼻についた匂いが洩れてきて、恐らくそこに都会から来た人間でもいるのだろうと思った。 物好きな奴もいる。 軽くため息をついて、同族の少女に頼まれたお使いのネタを探し始める。 今回が初めてというわけではないので、勝手がわからぬわけではない。 お使いの楽しみと言えば、ただひとつ。自分の持っている小銭で人里の食べ物を買って食べ歩くことくらいだ。 兎や野ねずみの肉がまずいというのではない。 人のえさはどれも不思議と味が異なる。それが面白いと思っていた。 淡白なものを食していれば、誰だとて時には変わった味を食べたくなるものだ。李の趣向は、そんなところから来ていた。 単に食い意地が張っていると言われたこともあったが、それは、まあ。そうなのかもしれない。 いいんだよ。食べ物くらいこだわったって。 李の意見は至極単純なものだ。 虎はよく貪欲の類いに例えられる。あながち間違ってはいないんだろうなあ、と他人事のように感じながら、買い物のついでに今日は何を食べてみようかと市場の出店を物色する。 当てどなく歩を進めていると、どうやら人だかりの輪の中に入ってしまったようだ。すでに片手に抱えた食べ物の包みにかじりつきつつ、背の高い人たちに囲まれた中心人物の顔でも拝んでみようかと少し背伸びをしてみた。 ”なり”は大きな虎でも、まだまだ若い人虎族の少年だ。 見かけどおりの歳ではなかったのだが、人間年齢で換算すれば見た目どおりということにしても差し支えあるまい。 虎から見れば長命だろうけど、人間と比べれば大して変わらないからな。 一族がどんな成り立ちでこの世に登場したかなど知らない。 彼らの出生を研究している学者もいたらしいのだが、世に認められずに不世出のままこの世を去ったと聞いた。だから今でも”牙族”は地元でもあまり知られていない一族だったし、もともとこの国自体多民族国家なのだから、無名に近い血族が一つや二ついたところで何ら不思議はないのだ。 それに、幸いなことに科学とやらの領域はここではあまり力を振るっていない。昔に比べれば少なからずそれらが蔓延してきたようにも見られたが、李たちを脅かすほどでもなかった。 幸いだと思わなければならないだろうさ。 場所によっては似たような擬人の一族が、人間に追いたてられて非業の死を遂げたなんて話も聞く。 似たような境遇を持つ者たちの血を絶やされるのはたしかに面白くないが、人間たちの言い分もわかる。 これだけ密接に彼らのすぐ側で生活していれば、いやでも人間たちの考えが浸透してくるので、頭から悪い奴らだとは言いきれないのだ。 だから俺は変わり者だと言われるんだろうか。 人間の食べるものに興味を持ち、好んで市場に降りては買い物を楽しむ。 特別愛情を感じるわけでもなかったが、だからといって大げさに恐がるような代物ではないのだ。 いくら伸びをしてみてもどうにもお目当ての人物が見えないな、と思いながら人々の視線が集中する先に、黒い大きな塊があることに気づいた。 何だ、あれは。 細長い、多分何かの本で見たような外国製の車のようなものだった。あんなものでよくこの山道を来ることが出来たもんだと思いながら、李はまたひとつ紙袋から饅頭を取り出してかじりついた。 うん。コレは行ける。 などと思いながら。 |
Copyright(C) PAPER TIGER(HARIKONOTORA) midoh All Rights Reserved.
|