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無題010

 獣の姿のままなら許してくれる。一緒に風呂に入ることを。
 生身だとわずらわしいのだとカイは言う。
 子どもの頃から一人で入っていたらしい(直接聞いたことはないが)当人には、くつろぐ独りの空間であるこの場所に他人の呼吸が側にあることなど、邪魔以外の何者でもないようだ。
 自分よりも立てば背丈がありそうなでかい野獣を相手に、それはそれは丁寧に毛を擦ってくれる。撫でられるのは嫌いじゃない。むしろ、もっと。ねだるように体を摺り寄せれば、顔をそむけて相手の全身を覆う泡から逃れようとする。片目を瞑って、眉間に皺。
「調子に乗るな」
 そんなことは知ったことじゃない。虎に戻ると大胆不敵、というか、遠慮がなくなる。人の時分なら、過度の馴れ合いはカイの神経を逆撫ですると良心がセーブを試みるが、解き放たれた飼い猫よろしく、本来の姿に戻ると好きなものにはおおよそ気兼ねがない。本能には逆らえない。というか、逆らいたくない。
 寄せてきた大きな鼻を回避するように首を回し、背後の少し長いたてがみを馴らす。わずかに音が立ち、毛並みにカイの指の波紋が描かれる。
 人間の髪質とは明らかに異なった柔らかさをもつそれをいとおしむように、何度も体全体を往復させる。
 カイの裸なんて、滅多やたらと拝めるものでもない。それにも増して、自分を洗ってくれているという状況に、上機嫌を通り越して神経が極度に昂ぶりそうになる。風呂は好きじゃないけれど、こんなときも良い。無理矢理入れられた手前、最初は渋っていたが、今となっては好条件を得てじゃれるに越したことはない。
 首の周りのぶ厚い毛を皮ごと掴むように揉む。触られていると、お返しをしてやりたくなるのが猫の性分で。
 べろべろと、水滴と薄く滲んだ汗が混ざったカイの横面を大きな舌で撫で尽くす。前足を胸にかけ、爪だけは出して肌を傷つけてしまわないよう注意を払う。一応けだものにも理性はある。というか、人間・金李の名残が。
 人虎ではあれど、人と虎の境というのは自分自身でもよくわかっていない。考えないから、かもしれなかったが、思案するまでもなく、自分は人で、そして虎だった。当たり前のものに対して探求心を興させる魅力など皆無。自身のことに関してであればなおのことだ。そこまでの自惚れはない。
 頭をひねっても、答えなど得られない。実行においてのみ何かを掴むのだと信じているから、無駄なことはしない。自然に身をやつして生きるものは結構薄情だ。なぜなら、森羅万象において、そういうものは存在しないからだ(みな利用し、使用されて生きている)。
 しかし大型動物の体重を支えられるほどカイは成熟していない。大の大人でさえ扱いに困るだろう巨体に寄りかかられ、あやうく壁に頭をぶつけそうになる。よろめいた拍子に、肘を強く打ちつけた。
 すまない、カイ。なんて、思ったかは謎。本当に、今は鳥頭、というか虎頭だから。
 さすがに体勢を崩した相手にいつまでものし掛かってはいれられず、前足を地面につく。それでも顔を近付ける。上体を抱えこむようにして屈んだままで届く小さな苦痛に、耳をそばだてるように。ぴくぴく、と丸いひだが動くのを忌々しげに、それでも優しく見つめ返す。
「だから言っただろーが」
 舌打ちはない。それだけ、動物になっているときのカイの応対には険がない。普段だったら怒声と拳を一発ずつくらいはお見舞いされてる。図に乗ってしまう。そんな甘い顔をされては。
「おい」
 制止とも、呼びかけともつかぬ声。
 何も聞こえない振りでカイの下腹を舐めた。
 途端、上がる悲鳴のようなおののき。
 な、な、な、と数回同じ単語を繰り返して吐き出されたのは、『何しやがる』の定例句。もちろん、聞かれても答えようがない。
 淡い毛で覆われた箇所で執拗に舌を動かすと、上から二つの手が顔を押しのけようと力を込める。
 貴様はそこまで馬鹿なのか、とか。言葉にならない反抗が見え隠れする。本気で嫌ならばんばん叩くはずだから、きっと普段よりはわずかでもマシなのだと解釈する。それが例え動物愛護の精神から来たためらいだとしても、今は前進のネタにしかならない。
 大胆を通り越して、既に不埒。わかってるけど、多分これは純粋な行動だ。カイがしてくれた愛撫のお礼。柔らかい泡で包んで、撫でてくれたささやかな返礼だと思うから。
 とはいえ実際この光景を人間の姿での時と考えてみたら、やけに興奮するものがある。こんなところで事に及んだことがないだけに。霧に煙るもやの中でとはいえ、灯の光がある明るい場所で、一糸纏わぬ全裸のカイに対して取る行動なんて。思いが相乗したのか、舌の動きが一層速くなる。塊を捉えて内側に差し込まれた異物の熱に、刺激を受ける側の喉がひ、と鳴った。
 絡め取るように、扱くように、カイの内股で抜き差しを繰り返す。人の姿でするフェラチオよりも無骨で大雑把なのに、刺激に堪えかねてゆるゆると強張りがとけ始める。腿の内側の筋は張っているけれど、大虎の頭部を受け入れるように広げられるわずかの隙間。
 遠慮会釈もなく鼻先をぐいぐいと押し込めば、目の前にカイの部分が乗っかった。ぱちくり、と目を何度かしばたけば、濡れた前髪に隠れた苦笑が睨みつけるようにこちらを凝視した。
 内心怒っているだろうに、上気した肌が興奮を物語っているようでますます思いが募る。募る以前に、何も考えられない。脳細胞は人間の頃より遥かに劣化し、規模も小さい。だから、思慮には若干の隔たりがある。相手の快感など眼中にないのが獣の習性だ。
 ただ、カイは嫌ではないと思った。そして、自分を害そうとも考えていない。だから、行為は続行の一途を辿る。
 空間を広げた箇所に、長く太い舌を伸ばす。乗せていたものは動きに合わせて鼻頭からずり落ちた。それすら感覚を刺すものになって、カイが歯を食いしばる。洩れ出た苦鳴がいとしい。もっと、どうしたら喜んでもらえるのだろう。そればかりが脳裏を占める。人としての部分がいななく。
「ふ」
 軽く開かれた薄い口元から短く空気が吐き出され、カイの下肢の緊張が一層ほぐれる。膝を曲げて虎の頭の位置に腰を据え、舌の進入に任せる。
 目線はずっとうごめく先を注視していたけれど、上を見る暇くらいあっても悪くなかったかもしれない。肉食獣の哀愁か、それができるほど視野は拓けていなかった。
 まるで怯えたように意のままにならない唇を震わせて、細めた瞼に露を光らせた睫毛が、紗幕のように眦を包む。眉の両端は力なく下げられ、不安定な理性の揺らぎに為す術がないかのようだ。
 そんな、弱いカイは見たことがない。きっと、これからも見られない。腕にかごめた夜の帳の中でさえ、表情は常に強者のものだから。人の目がないことに安堵している。委ねている。まっさらな、カイの本心。
 ある意味心の病である人間不信のカイに許してもらえたのは、人虎であったからに他ならない。でなければ、延々一方向しか向かずに終わる交わりだったろう。どんなに焦がれても、迎え入れてはくれない事実に打ちひしがれただろう。
 良かったと思える。
 幸運だと思える。
 自分の存在。正体などまだ秘められたまま(恐らく永遠)の未完成な自分自身に。
 気にもしなかったことを、今なら感謝できる。
 素直に、厳格に。
 俺の存在を感謝できる。
 他者とは異なる自分を。
 わき目も振らず、舌先にあるものを探るように転がす。どうしてこれほどまでに行為に没頭できるかわからない。頭上の息遣いが一際跳ねあがる。嚢の裏、一番敏感な部分を擦られて、知らずカイの腰がずり上がった。引きつったように膝が笑う。
 感じているのだと思うと、性急に達成させてやりたくて鼻先を押しこめば、カイが顔をまたぐような形になる。不安定な場所に潜られ、バランスを取れず爪先立った。
「…?」
 既に問いは声にならない。霞んだ目線だけが見下ろしてくる。上気した頬や瞼が、瞳と同じ色彩を放つ。そういうとき、カイは存外きれいに見える。女のように、ではないが、滲み出る艶がある。媚びでも哀願でもない、子どものような幼い表情。プライドの高さを物語るような太い眉も、品のある整ったおとがいもそのままに。いとしんでいとしんで、延々抱きしめていたいとさえ思わせる無心の惑いがそこに宿る。
 汗と唾液で潤う先端を上に向ける。角度と舌の強さだけで何をされるか悟り、床についた足に力が込められた。
「正気か、貴様…っ」
 同時に、慌てたような制止が飛ぶ。無理もないことだったけれど、正体を保っていられたらこんな大胆なことはしない。もう、何を言っても言い訳になるだろうから。したいからする。ただ、それだけ。カイが本当に嫌だったというのなら、あとでたくさん謝ればいい。数日間口を利いてくれなくなったとしても、今だけは強行する。いつかは必ず許してくれるという自信や確証があるわけじゃない。でも、カイは欲しがっている。肌で感じたことを実行に移す。それこそ、馬鹿げた妄想だったかもしれない。
 後ろのくぼみを突いて、柔らかく硬質な塊をねじりこむ。突起物が表面を覆う異物の侵入に、カイの顎が次第に上向く。倣うようにしなる前部。スローモーションのように、上下する胸。
 唇からは忙しなく呼吸が吐かれ、濡れた肌の曲線を水滴が伝う。湿った音と、荒い息遣い。性器を挿入しているわけでもないのに、紛れもないセックスと錯覚してしまうほど逼迫した空気。より深くを穿とうと前足を壁にかける。爪を出さず皮膚だけで抑え、後ろ足で立ち上がる。低い位置だったが反動でカイの片足が宙に浮き、体勢がいよいよ苦しくなったのか悪態がいくつかこぼれた。うわ言か、呪詞か。その判別すらよくわからない。
 けだものの頭で、相手の望む箇所に配慮するなどという理性は働かない。人間の時分でさえ、あまり余裕がないと言われたほどだから、冷静な行動というのはもとから期待されてなどいないかもしれない。いつもカイの方が腰を使い、納得のいく位置へ導いてくれる。だから、今回も。
 無意識か故意か、頭を手で抑えつけるようにして小刻みに振れ始める。やはりあまり巧くないのかと思えば、気恥ずかしさとやり切れなさがある。ためらうように、貫いていた距離から遠ざかれば、やめるな、と叱咤された。丸い目をぱちくり。顔を見上げる。
「…っいところでやめるな、バカヤロウ」
 語尾の馬鹿よりも、言われた意味を解すのに数秒を要した。
 カイは、つまり。気持ち良かった、と言ったのだろうか。ちゃんと聞き取れたわけではなかったけれど。確か。
 腑に落ちてから、火がついたように一気に体温が上昇する。人間の身だったら、それこそ全身紅潮。慌てふためいて卒倒しそうな規模の衝撃。あけすけだから、防御壁を講じていないときの効果は絶大だ。それにも増して、倫理的に育てられた自分には決して口には出来ない事象。耳を覆いたくなる発言。性交において饒舌であるのは非礼だと認識しているから。誰に教えられたのでもない、礼儀というか、なんというかだったが。身の上を言えば、カイの方がよっぽど躾が厳しい家庭に育っていそうなのに、組織で過ごしたおかげか生来の性格からか、口の悪いところは下町の子ども顔負けだ。案外裕福には育たなかった自分の方が良識だったというのは皮肉以外のなにものでもない。
 でも、そんなところも。ものすごく。
 べろん、と頬を舐め上げる。
 何事かと一瞬面が歪んだが、構わず愛情を示した。セックスの良さなんて熟達するまでわからないものだけれど、相手が喜んでくれるならこんなにうれしいことはない。

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