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無題009

 飽きもせずに、実験のような特訓は繰り返された。いつしか同じ年頃の人間たちの頭数が減ってゆき、自分とユーリだけが施設に残された。表向きは善良な司祭が管理し、少ない資金で運営される修道院。孤児だけでなく、広く世界から報われない子どもたち、戦災孤児や勉学に執心な子どもたちを集めた館だった。表向きは、至って社会に貢献した施設。
 いつここにブチ込まれたかなど忘れ去ろうかというとき、最後に残った2名と、それに付き従うウルボーグが呼ばれた。
 密室。分厚いガラスに仕切られた狭い空間。狭い円柱に入れられた二人は、終始無言で次の沙汰を待った。これまで幾度となく続けられてきた訓練の成果を見せるためなのか、それとも新たな鍛錬の装置なのか。説明もなく、上の口から気体を注入する音だけが耳に入ってきた。
 不審げに眉を潜め、無機質な機器が取りつけられた上空を見守る。同じく唇を引き結んだまま、ユーリが上目遣いにそれを睨んで数秒。こみ上げる嘔吐感が背筋を駆け上がり、全身を襲った。毒ガスだとどちらが先に気づいたのか、その時にはすでにあらゆる汗腺から汗が噴き出していた。
 息苦しく、噎せ、涙が止めど無く溢れる。喉奥をせりあがるものを押さえようと、自らの首に手をかけても苦痛は去らない。歯を食いしばっても、意思とは無関係にあふれ出てくる体内の液体。上がる呼吸と脈拍。体を形成する細胞の一片までもが総毛立つように、精神を困窮のどん底へと追い詰める。嘔吐ガスも規模の大小はあれ、作用を起こす成分が強ければ命に関わる。次第に濃くなる気密。奴らは、俺たちを殺す気だ。
「ユーリ、カイ」
 哀れな生贄を閉じ込めた円柱を中央に据えたホールの中、男の声が響く。もがき苦しむ3つのまだ生存している者たちへ、最後の審判を下すような横柄で傲慢に満ちた声が。
「ここにおまえたちが吸っているガスの解毒薬がある。これで早急に処置をすれば、おまえたち3人のうちの2人は助かる」
 わかるか、と告ぐ。
 残るのは2人。
 暗黙のうちに掲げられた”生き残る”ための条件。
 この狭い場所で限られた時間で戦えというのか。しかも、何の関係もないウルボーグまで巻き込んで。意味がわからない。ユーリの”兄弟”といえど、ただの狼をこの実験に加えて何の得がある。ここを戦場と考えてみれば、敵に対してこちらが圧倒的に不利だった。1対2。数の差は歴然。
 呼吸を止めた状態でなければ舌打ちをしていた。わずかにでも後ろを振りかえった自分自身に。もはや命運尽きたかと諦めかけたおのれに。
 死ぬつもりなどない。ましてや絶望など無縁の存在だ。馬鹿馬鹿しい。自分に最も必要だった者に去られた後でさえ、そんな退廃的な思考に陥ったことはなかった。何より怒りだけが常に自制を働かせていたし、指先から肢体に及ぶような凍った孤独でさえ、いつか打ち破ろうという明瞭な動機の対象にしかならなかった。
 復讐する相手がいる。必ず”わからせてやる”と呪う相手が。自分のしたことを悔やみ苦しむくらい思い知らさねばならない奴が。
 なら。その燃え立つような怒りの炎が身内にくすぶっていると言うのなら。
 こんなところで果てるわけにはいかない。
 ぎり、と歯を食いしばり、口端から血がこぼれるのも構わず壁についていた手を引き剥がした。おのれを叱咤するように。
 まだ、膝を折るには早い。まだ、こんなところで根を上げるには。
 だが、眼前に飛び込んできたのは、おのが”はらから”の首を両手で締め上げるユーリの姿だった。普段の奴からは想像も出来ない悪鬼の形相。引きつれた悲鳴を上げ、ひしゃげた気道で何かを告ぐウルボーグ。骨のごりごりと鳴る音とともに、次第に白い狼の目が裏に回りはじめる。弛緩しきったかのような舌が口からはみ出し、すらりと伸びた両足が無様に捻じ曲がった。硬直した耳と鼻が重力に倣って身体とともに、地面に落ちる。ごとり、と。死んだ小鳥の死骸と同じような、白い骸が足元に転がった。
 そして、俺たちは助かった。
 後から聞いた話だったが、ウルボーグは氷神の化身だったらしい。若い狼の姿の、氷河に住まう神々の手足。ユーリはそいつと接点を持たせるためだけに、極寒の土地に投げ与えられた赤子だったという。神々の気まぐれか、万分の一しかない慈悲深い心がそうさせたのか、ユーリは死なず、ウルボーグによって育てられた。数年が過ぎたのち奴を回収したとき、獣に身をやつした氷神は我が子を守る母親のようにそのあとを付いてきたのだという。ユーリも、その狼をおのれの兄弟のように思っていたらしい。
 かくしてユーリは再び修道院に舞い戻り、鎖につながれることなく自由に館の屋根をウルボーグと飛びまわっていたそうだ。
 だが、獣は”聖獣”。
 死出の旅路から生還したときに拾った土産を、次に殺すことでその力を手に入れた。いや、実際には”奴ら”が再生させた。新たな、連中の意のままに操れる、人工的に形成した神に生まれ変わらせた。
 神を殺す。
 自分を育ててくれた。それ以上の、自身の半身。
 そしてユーリの心は死んだ。
 医療室で手当てを受けている間、ずっと隣のベッドにいたことを覚えている。天井を見据え、自分と同じように仰臥する死人。瞬き一つせず、冷たい塊となった奴の狼のような一固体のように。
 何かが欠けた。大きく穿った。奴は死人も同然だった。
 欠けると同時に、ユーリは最強の”聖獣”を手に入れた。すべてに恐れられるべき氷河の覇王となった。その代償は永久凍土の下にうずもれて、もはや溶け出すことはない。感情すら持ち得ない哀れなつくりものに成り果てた、組織の兵士。
 そうまでしなければならなかった価値が、ウルボーグを手にかけてまで助けた自分にあったのか。あるなら、どこに。
 一体何を、おまえは見た。
 知り合って間のない、人間の小僧に。

「あんまり乗り気じゃないみたいだな」
 臍を曲げたような、拗ねた声が届く。案の定、両頬を捉えられて凝視されていた。愚にもつかない過去のことに思いを馳せていたのは認める。だがそれを安直に”浮気”と決めつけられるのは心外だ。
「おまえにも、昔のことを思い出すときがあるはずだ」
 だからといってなぜ今。
 口を尖らせ嘯く。機嫌を損ねていることは見え見え。人の胸の上に頭を乗せて覗きこむ。管を巻く様からは、普段の純朴さはどこへやらだ。こうなっては悪童と一緒。むしろそれ以下。だから厄介だというんだ。純粋培養を地で行っているような奴は。
「だったら話してくれ」
 聞かせてほしい、と。聞いていたいと。
 ねだるように、肌の上をなぞるように人差し指を立てる。くすぐったい。
「ばか、やめろ」
 身をよじって反論する。
「あいつか?」
 敢えて名を口にすることはない。俺が気にかけていることを知っているのだろう。目ざとい奴。いや、執念深い奴。
「おまえには関係ない」
 お決まりの台詞と、逸らされる目線。完全にそっぽを向く。会話の遮断。話題の終止符。関係があったところで、誰にも触れさせることなどしない。当事者である俺の問題。他人の介入など無用。欲してもいない。
「わかってるよ」
 なだめるような声音が鼻にかかる。完全にこちらを、困った人間扱いしてやがる。手に負えないというなら、早々に諦めればいいだろう。
 それでも続く。ためらいがちに伸びる指。わかっているから。だから。
「なおさらほしくなるんじゃないか」
 わずかに影を作った、責めるような眉間の皺。あまりこいつが公に眉根を立てるところは拝んだことはない。なおさらその原因が全部自分のせいだと言われたようなものに感じて仕方ない。。冗談じゃない。勝手に立腹しているおまえの勝手だろうが。
「ユーリとはこんな付き合い方はしていない」
 満足か、と問い質せば濁したような笑みが片頬を歪めた。
「満足半分、不満足半分」
 妥協できる割合じゃない、と付け加える。何を根拠にか、李は強気だ。
「カイが俺から去ったときの辛さを、あいつも味わえばいいとさえ、思ってる」
 それくらい憎んでいる、と吐露する。吐き捨てる様は普段の穏やかさ。嫉妬じゃない。憎悪だと。言っていることは、えげつないことこの上ない。暴走する理想とかけ離れた本音を持て余し、自嘲する顔はガキの皮を脱いでいた。金李はこんな顔もする。しないはずの、あるはずのなかった夜の顔。大人ぶった面ならいくらでも知っていたし、鼻っ柱を叩き折ったことも少なくない。あまり覆せない、奴の本心。認めたくはないが、苦手な一面。
「無駄だな」
 李が懸念するような心など、当にそこに残してはいない。半身を消したあの日から、すでに目の前の存在とは異なる理由を持った。思考する回路を取り外し、命令のみに忠実な傀儡相手に悋気を興すことこそ不毛。
「だからといって、俺は退いたりしない」
 敵がいないからといって、わざわざ安穏を満喫したいとは思わない、と。進んで戦地に赴くような気概だ。対抗する者もないのに、吐き出してしまいたい暴力の衝動。戦い好きなのは、病気としか言いようがない。恐らく、自分を棚に上げての発想だろうが。
「いい加減にしておけよ、金李」
 視線に毒を含んで見つめ返す。当人のいないところで勝手に対抗意識を燃やされては、こっちが迷惑だ。
「そうだな。それにこれ以上発病したら、困る」
 微笑む。
 一応自覚はあるようだ。どうしようもない、という、手放したような認識は。
 相手の刺など意にも介さず、顔面前面に滲む虹のような笑み。ある種凄みがる。余裕なのか、自信なのか。そこから何かを汲み取るだけ野暮というものか。
「御託はたくさんだ」
 さっさと集中しろ、と頭を抱きこむと、重なった熱が震えた。
 奥深くたぎる熱情がついには自身を捕らえる錯覚に身を委ね、意識を次第に外へと解放する。

 極限状態とはいえ、ユーリに俺を選ばせたこと。
 なぜ奴がそう判断したのかは謎だ。営利主義ではあるまいし、ユーリに自分を生かしておく必要性があったとは到底思えない。
 だが奴は選んだ。身を分けたウルボーグよりも、顔見知りでしかなかった俺自身を。
 だから、奴には借りがある。
 戦わねばならない相手だったとしても。それが例え、弱さに通じる要因の一つになることがあっても。
 俺が、あいつを救い出す。できることなら。
 そんな、虫のいい真似ができることがないことを見越していながら。
 俺は奴に借りがある。
 必ず、返さなければならないものが。

 寒い夜は、必ずウルボーグが鳴いている。
 帰ることのない、閉ざされた故郷を思って。




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