ノックの後、招き入れると同時に挨拶が届く。 「こんにちは」 一字たりと間違っていない、同じ返答を返す。 こちらは若干色をつけて。目を細め、敬意を表す意味での笑みを、口元に浮かべながら。 挨拶を終えて、来訪した主が視線を背後に彷徨わせていることから、『お目当て』の見当がつく。 「マイクロトフでしたら、ここにはいませんよ?」 大方道場にでも顔を出しているのではないかと付け加えると、少年は困惑した顔を浮かべた。 あからさまな態度に、怪訝に眉を潜めることなく、文字通り大人びた男は微笑を湛えたままやんわりと促した。 「何か、ありましたか」 理由なく軍の首領が、一配下の部屋を訪れることはあるまい。 とはいえ、自分たちにとってはまだ子どもと呼ぶに相応しい年齢だ。特に彼や彼の義姉のような目鼻立ちであれば、暇だったから、と言われても、怒りはしないだろう。遺伝の所為もあろうが、幼く見える風体というのは、割と得なことが多い。 しかしここは相手を立てる意味で、前者だと捉える。でなければ、最初から歯切れの悪い態度を取るわけはないだろう。 果たして、その勘は的中し。 実は、と少年は腹の内に収めていただろう内情を語り始めた。中に入って椅子を勧めようとする好意を敢えて断り、立ったまま頭上の男を見上げる。 黙ったまま、言うに任せて片手を戸口の脇に置く姿には、長年の集大成というか、成人男子の余裕が滲み出している。カミューは時折軽く頷き、話が途切れてしまわぬよう細心を払った。 要約すれば、その内容は、とある理由からどうやらよく知る親友を怒らせてしまったらしく、少年自らがここまで謝りに来たのだそうだ。 少々相手の見解に誤解があるのではと感じつつも、大体はそんなところらしい。口にはしないが、自分の知るマイクロトフという青年は、おのれの意見に熱弁を振るうことはあっても、主に対して怒る、という真似は決してしないのだが。 とはいえ、彼らの頭目が私室まで謝りに来なければならない理由はないだろう。非があるのは、むしろこの場にいない当人と見るべきだ。 「彼には私から言っておきますから、盟主殿はどうぞご安心ください」 マチルダ騎士団を預かる一人として、同盟軍の中でも注目すべき人物であるとはいえ、将の一人一人に統率者が気を遣うというのもおかしなものだ。 野外での実戦経験は少ないとはいえ、厳しい軍律という囲いの中で育った経緯から、目下の者はそう認識するのが自然だ。恐らく、少年を補佐する某軍師どのに言わせても同じだろう。 余計なこと、とはっきり明言はしないと思うが、確かに上の人間がすべきことではない。 そういうことは個々で対応するのではなく、組織全体で対応するように。 と、それをここで言ったところで、この小さなリーダーには正しく理解されることはないかもしれないが。 「じゃあ、お願いします」 意を決したように、少年の頭が下げられた。 姿勢正しい浅めの会釈。 すぐに顔は上げられ、来た道を振り返って駆け出してしまったが、立場が上とはいえ礼を弁えているところはさすがと言うしかない。 年功序列というか、階位はどうあれ、年上には礼を尽くすのが道理。よく躾けられているというより、本人の性格に因るものかもしれない。 意識せず、悪意を持たれない処世術を心得ているというか。 まあ、そういった人間が成功するのは当たり前だと解釈しているので、彼がこの同盟軍を率いて行けるのも半ば納得できるというものだ。 話を戻そう。 とにかく、自分たちを束ねる人間が謝りたいという旨を自分は相手に伝えなければならないようだ。 伝令役、というより、すでに仲介者の気分に近い。面倒事とまでは言い切らないが、折角の休日に予定外のお使いを引き受けてしまったものだ。 長い付き合いから自分の目論見では、彼は立腹しているわけではないのだろうと思う。 多分。 荒れ狂って道場で剣を振るっていたら、それはまったくの見当違いで終わるが。いや、気を鎮めるのは愛剣を振るのが一番だと豪語する手前、当たるか逸れるかは五分五分といったところか。 世話が焼けるとは思わないが、観念しきったような観はある。 つまり、それは。 結局、相手の魅力の一端だと認めざるを得ない代物だった。 陽が傾きかけた午後、やはりお目当ての人物は道場の外に。 屋外の練習場で長い裾のコートを木の枝にかけ、木人相手に一心不乱に大きな剣を振るう姿が目に入った。 名を呼ばれ、すぐさま反応が返る。 振り向き、上段に構えていた腕を下ろす。 鈍くはないが、素早くもない動きだった。 大分長時間、それに打ちこんでいたらしい。 鍛錬に勤しむ時は、事前に軍師に報告して予定を空けてもらっていたのだが、今回は急だったのだろう。その証拠に、練習にお供すべきタオルは案の定影を潜めていた。 よって、突如場に引きずり出されたのは、胸のポケットに仕舞われていた少し大きめのハンカチーフ。 差し出されたことに気づき、相手が目でこちらを窺う。 そんなことのために来たのか、と訝しむ目つき。 「そんな顔をするものじゃないよ」 わずかに苦笑を含んで、手にしたハンカチをそのまま相手の頭部に押し付ける。 正確にはこめかみの近く。 流れ出た汗がやけに陽光を多く反射していた。 乾いた絹の感触を無意識に避ける仕草をしつつ、若干こちらよりも背丈の大きな青年はかぶりを振った。 「何をしに来た、カミュー」 ここで何も、と返答すれば、一足飛びに機嫌を損ねるだろうことは明白。 場所が場所だけに人目が多く、用件を切り出すことも憚られたが、躊躇えば不審に変わることを見越しての言。 「おまえがいないうちに、盟主殿が私たちの部屋へいらっしゃったよ」 何か反応があるかと思い、これだけ汗を流しても赤みを見せない色白の表面を注視していたが、瞳を動かしただけで取り立てた動揺は見せなかった。 なぜだ、と返され、こちらの方が面食らう。 「言い争いをしたと申されていたが、我らが青騎士団長には心当たりはないのかな?」 あからさまに眉間が寄るのを目の当たりにし、練習で吹っ切れていたらしい記憶がどうやら戻ってきたようだ。普段から笑うことの少ない口元が、小さな形のままかすかに突き出される。 その仕草はやけに幼い。本人に自覚はないことなので、敢えてからかいのネタにもしないが。 「組み攻撃についてのことで意見したのだ」 ぶっきらぼうに一言だけ発される。唇が動いているのかいないのか判断に苦しむような、端的な物言い。 だから、それが子どもっぽいというのに。 無論、そんな態度は仕事上では絶対に見せないことも承知している。 「組みというと、私とのことでかい?」 ペアを組んでの同時攻撃は長期戦などで用いられる。 協力することでリスクが小さく、体力の消費も少なく抑えられるため、なるべく時間を合わせてともに稽古をすることを命じられた。息が合えば、それだけ破壊力が増すからだ。 「そうではない」 否定されて、選択肢のもう一つが必然的に残った。 マイクロトフが参加する別の部隊というと、例の。 なんとなく読めたことを、肩を竦める仕草で示唆する。 ばつが悪そうに、相手は視線をはずした。 決して責めているわけではなかったのだが、どうやらそう取られたらしい。 口元に常駐している微笑が、また若干深みを増す。 人はその形を苦笑、と呼んだ。 「美青年何某、の件か」 それだけで事の真偽が窺え、やはり苦笑いを口中で深くせざるを得なかった。機嫌を損ねているの理由は名称の『青年』、の前につく『美』という文字についてだろう。 相手にとって、最も縁のない形容。 その言葉に関して誤解があるのではと思うのだが、いちいち注釈をつけて説明してやれるほど真摯に取り組むべき問題ではないように思えた。 自らが語っているのではないのだから(他人の言うことなのだから)、気にするのも間が抜けている、と。 「俺は、そんな類いの人間ではない」 ぼつり、と途切れる。 臍を曲げているのではなく、どちらかといえば恐縮しているのだろうか。 マイクロトフという人間を熟知している側からすれば何のことはないのだが、本人が嫌がっているのは単に気に入らないだけなのだという事実を出会って間もない主君に細かく説明するのは些か骨が折れる。 いずれを諭すのが手っ取り早いかといえば、臣下である以上、目の前の当人を丸め込むほかはない。悪く言えば、相手は意地を張っているだけなのだから、そんなものを軍のリーダーに強要するのは無理があり過ぎるというわけだ。 役回りは決まった。 同時に、カミューの腹も決まる。 「身体が冷えると大変だからね。とりあえず、部屋へ帰ろうか」 汗で濡れそぼった肌に張り付く服を背中から軽く叩き、道を促す。 不承不承、ではあったが、相手は素直に言うことを聞いてくれた。 友人というか、兄貴分でもありそうな人間の言うことは、なんとなく絶対であるらしい。 「そんなにこだわることではないと思うけどね」 簡潔に切って捨てる。 うだうだと考えを巡らせるのは性に合わないからだとは口が裂けても言えないが、真面目一辺倒の気質が災いして思い悩むことも少なくない者を前にしての手段としては、最も効果的だった。 同レベルを決め込んで一緒に頭を抱えてやるのも不毛だし、第一悪いのはこちらなのだから膝を折るべきは当然眼前の青年だ。 備え付けの小さなテーブルを挟んでの睨み合い。 視線が合っているのは、残念ながら自分の方からだけなのだが。 「それは、おまえは慣れているからだ」 食い下がる台詞を横目に聞く。 目線が戻ってきた頃には、嘆息が姿勢を崩していた。 本来向くべき方向が真正面ではなく曲がってしまったことに憤りを感じているのか、いつのまにか卓の上に拳が握られる。それに一瞥をくれながら、体勢を整えないままカミューは口を開いた。 「慣れているのではなく、私は甘んじて受けているだけだよ」 言ってしまってから、表現が悪かったかと追想する。 甘い、温い、半端は、マイクロトフが煙たがる単語の最たるものだ。それを口上に言いくるめようというのは、やはりどうしても無理がある。相手が納得しないというか、そこまでしなくてもと言いたくなるほど、この言葉に対して敵視していると言っても過言ではないくらい反発をするからだ。 一体、何の因果があって。 過去にそれに関して深い傷でも負ったのかと勘繰りたくなるほどだ。 「美しいとは女性を表すものだ。男に使う表現ではない」 やはりそう来たか、と頭の隅で思う。 体勢は崩れかけた大木に近い。 机の上に片肘をつき、手の甲にどっしりと重たくなった首から上を置いた。目つきは、胡乱そうに黒い側を見据えている。自覚はあるのだが、職務の時のように改めようという気にはなれない。 そんな無礼とも取れる態度に尻込みしないのは、生来の負けん気の強さと一本気な性格のためだろう。 生半可な性根ではない。 そんなことは昔から、すでにわかりきっていることだが。 「『美丈夫』という使い方もされるだろう?誉め言葉だよ」 成人男子に敬意を表すものだと説明すれば、わずかに譲歩する意思が芽生えたのか、剣幕が幾分柔らかくなる。 どうにも、相手の中には独特の、狭義の単語辞書が頭の中に作られている傾向があるようだ。どの形容が男性用で、どの表現が女性用であるかという自費制作の本が。 考えてみればものすごい思考回路だが、お堅い元青騎士団長であるならば、相応だと言えなくもない。信ずるものが、長方形の箱の中にきっちり収まっている、というか。 「だとしても、俺は『美しく』はない」 完全に、人の言うことをすっ飛ばしている。 普通ならば、誉め言葉、で一件落着するところだろう。 結局、自身の容姿に対する自信のなさがネックになっているらしい。『美青年』、に拒絶反応を起こすのは。 脱力のうちに合点して、次なる対策が脳裏に浮かび上がる。 これも、長い付き合いのうちに培われた習性だ。 マイクロトフ専用回路。 すでに改良に改良を重ね、バージョンは今年で8.0くらいになるだろうか。 「そんなことは、自分ではわからないことだと思うよ」 大体、形容詞などというものは、自ら進んでつけるものではない。 私は美青年の元赤騎士団長カミューです。 などと言ったら、呆けられるどころかご婦人たちの失笑を買うのが落ちだ。まあ、理屈を述べたところで屁理屈を心底嫌う相手には理解されないだろうが。 手法を変えよう。 一直線なものの考え方が得意なマイクロトフに、いつまでも同じ方向からの問答は意味を成さない。 「おまえにとって美青年と言われるのが屈辱なら、私やフリック殿が同じ屈辱を受けていても構わない、と言うことかな」 腕を変え、もう片方に頭を移動させて上目遣いに視線を送る。 途端、予想通り困惑の表情が血色が悪そうなほど白い面を掠めた。 「いや、そういうわけではない」 反射的に絞り出されたのは、ごく当然の言葉。 マイクロトフにとって。そして彼をよく理解している、自分にとって。 「だったら、おまえ一人が嫌がるのはちょっとお門違いだと思わないか?」 言葉に詰まり、歪むことの少ない唇が何かを発しようとして硬直する。 考えあぐねている。 そうだろう。 それでこそ、マイクロトフだ。 気分は、掌で踊らされている小動物を眺める神仏の心地に近い。 「恐らくフリック殿も、私と同じようにさして気にはされていないと思うよ」 本当のところは知らないが、とりあえず可能性半々な嘘も方便。あとはなるべく波風が立たないような言い回しで畳み掛ける。 「私やフリック殿が嫌だと思っていないのだから、おまえも承諾するのが道理じゃないのかな?」 しかし、と言葉が飛ぶ。 考えあっての反論ではなく、反射的なものだろう。 心なしか、必死の形相。こんな表情は、部下の騎士たちに見せられるものではない。同じ階位の者にとはいえ、言いくるめられている自分たちのリーダーなど幻滅以外の何ものでもないからだ。 とはいえ、それはそれ。 馴染みの特権とばかりに、問答無用で止めを刺した。 「そんなことでいちいち盟主殿に迷惑をかけて、申し訳ないとは思わないのか?」 やんわりとした口調ではあったが、その内容に相手の頭上には雷というか、大きな剣ががん、と突き刺さったようだ。 はっとして息を呑む。 見開かれた目は、やはり黒かった。 その動揺は、事実申し訳なく思っているという証拠に他ならなく。 『面目が立たない』→『騎士団の恥』→『却下=自分の意思』。 どのような公式が内側で行われているかが手に取るようにわかり、カミューは心の中で破顔した。仏頂面ばかりしているから内心が読めないとよく評される青年だったが、自分にとっては何のことはない。 「すまなかった」 率直に謝罪し、こうべを垂れる。 椅子に座った体勢のままとはいえ、律儀に誠意を伝えてくる。ここまで深く陳謝されれば、気を悪くする者はいないだろう。 誠心誠意。 騎士の本業ともいえるその精神を体現するのは、団長として当たり前のことであり、意識しなければ適わぬ所業だ。 この青年が何を推されて騎士団の責任者の座に収まったのかと言えば、この姿勢に他ならないのだろう。 実直で裏がなく、信頼できる物腰、態度。 彼が至高とする信条も、騎士の理に適っているからだ。 それらを形成したのは見習を経て騎士団に入団した経緯に他ならないが、マイクロトフという人間にはそれが性分であったのだろうと思わずにはいられない。 成るべくして成った。 一番しっくりする、頷ける、役職の鑑とも言うべき人物。 少々頭が固いことも、そう思っていれば決して不快なことではない。 「こうしてはいられない。軍主殿に謝りに行かねば」 結論に納得し、早速席を立とうとする青年に言葉をかける。 「私は明日でも良いと思うが」 「いや、こういうことは遅くなるといけない」 いけない、のは相手が、ではなく自分が、だろう。 それをあちらに置き換えて考えているのだから、マイクロトフの思考回路は複雑怪奇極まりない。 「今は夕食の時間だろう。邪魔になってしまうよ」 部屋のサイドボードの上に置かれた小さな時計の針を見る。 真向かいに座る友人の忠告に、そうか、と思い出したように改め、がたがたと再び椅子に腰掛けた。 忙しい。というか、一度反省してしまうと、逆に人の言葉を聞き過ぎるきらいがあった。 覚えず、苦笑が口元に再来した。 こういう時、決まって無意識に発するのが。 「良い子だ」 ごく自然に生まれる。 微笑は緩やかに、嬉々として。 当然、言われた側は憮然とし。 「子ども扱いをするな」 返され、頬に宿る笑みが更に深くなった。 「したくないとは思っているんだがね」 日頃の態度からは信憑性に乏しかろうが、常々思っている。 それでも、どうしても。 自発的に笑みを浮かばせてくれる相手というのは、人生の中で稀少だ。 その、稀有な存在が目の前にいる。 眼前にいて、同じ高さにいる。 見下ろしていた時期より、ずっと背丈を得た相棒。 下に弟妹がいたので癖になっているのさ、と弁解すれば、やはり諾と頷かれる。一旦引き下がってしまうと、いつでも他人の言を受け入れてしまう姿勢。 単純過ぎる。 それとも、そうさせる力をこちらが持っていると認識されてでもいるのか。 どちらにしろ、悪くない居心地だった。 ここは。 この場所は。 「あのね、マイクロトフ」 食後のひととき。 レストランから自室へ戻り、卓を挟んで向かい合うのは恒例のこと。話題はいつもありきたりなことだ。今日は何の仕事をしていただとか、ある場所での戦闘で指摘すべき点を見つけた時はそれを話し合ったり。作戦会議というほど大仰でもなかったが、至って事務的とも取れる会話がその大半を占めた。 ロックアックスを出てからは、互いのことを口に上らせることも稀ではない。以前は仕事の上でだけの付き合いだったが、ようやくここに来て『友人』らしくなったとも思う。 かけた言葉の応答を待たず、切り出す。 肩幅の広い身体の前に置かれた小さなティーカップの中で、固形の砂糖が溶けるのを眺めつつの弁。 「私に言わせれば、おまえは美しい人間だからね」 反応は閉口。 次に来るだろう台詞を予測して釘を刺す。 「自己評価ほど過小評価するものはないから、しない方が賢明だよ」 最悪、自滅することも多いのであれば。 自分のことは自分が一番理解できると言うが、それは単なる負け惜しみであり、わかっていないからこその減らず口と解釈している。所詮、おのれを形作るのは一番最初は他人が持つ印象なのだ。 そして、その先入観によって良くも悪くも『人格』がどのようなものなのかという道が、呆気なくも決まってしまうことが多い。 わかり合うなどという面倒なことに時間を割く余裕は、残念ながら大人数が集う大人の社会では不可能だからだ。 間髪入れぬ応酬に、黒髪の隣人は不明瞭な視線を送る。何を言いたいのか、まったくもってわかるようでわからないという合図。ここで不満を口に出せば、また言いくるめられることは明白だということを理解しているのだろう。表立った反論はない。 「では聞くが」 どこが、と問われる。 わかりながらも素通りできないのが健気というか、何というか。 「美醜について論じる気はないけど、私の中では好もしいと思われる部類だよ」 当たり障りのないよう、言葉を選ぶ。 相手に目を当てることをせず言い募った。 瞼の裏に思い描くのは、常に見慣れている風貌。毛髪の一本一本までもが純黒というのは、正直珍しい。健康的な張りのある髪は短く切りそろえられ、見る者に清潔感を与える。北方の人間特有の白い肌。通った鼻筋の上に対の双玉が単座し、黒く輝くそれは慎ましやかな光沢を放っている。肉付きの薄い頬。形の良い額。意思の強さを誇張するような、太くはっきりとした眉。形の良い顎には髭の跡すら見受けられない。唇は色艶が良い方ではなかったが、いつも歯を食いしばっているという割には力の入ったいかめしさもなく、却って控えめな形をしている。 演習中、配下に指示を出すためにそこから怒号が飛び出すところや、熱弁を振るうとき大きく開かれるところを何度も目撃しているが、こうしてよく観察していると必ずしも大きい方とは言えなかった。それが尚のこと、本人に幼いイメージを持たせているのかもしれない。 とはいえ、最後の評価はほとんど独断と言っても過言ではないことなので端折ることとして、とうとうと客観的見地から感想を述べた。 どこが優れているのか、率直な意見を聞かされ、相手は口を閉ざしたまま微動だにしない。できない、の間違いかもしれないが。 「わ、わかった…」 苦し紛れとも取れなくもない台詞が、乾いた唇から絞り出される。 「少し顔が赤いようだけれど」 中傷するのではなく、ほのかに桜色を湛えている頬を指し示す。 能面のような白さを誇張するなめし革の上に浮かんだ反応は、殊のほか慎ましげな印象だ。普段見慣れていない者ならば気づかない程度の変化。そこからも、極度に緊張していることが窺える。 自分で言わせておいて、なのだから、こちらからはフォローの仕様がない。 「もう、言わん」 ぎこちなく視線を外し、体裁が悪くなった友人は会話を打ち切った。 「諦めが肝心ということだろうね」 それに、と告ぐ。 「青年、なんて言われるのは今のうちだけだろうからさ」 歳を数えて、ふと思いつく。 二十代も半ばを過ぎていれば、自然とそこら辺の意識が芽生えてくるものだ。少々気が早い気もするが、しかし。 その話題に憮然と答える者がいた。 「なるほど。『美中年』なら構わないかもしれない…」 朴訥とした独白に噴き出し、机を叩く。 そんな言葉は実際にありはしない。首をひねって考えてみて実感が湧かなければ、マイクロトフは『可』を出すようだ。間が抜けた、というか、無邪気な発想とも言えなくもないが。 ソーサーに乗ったカップが振動を受け、華奢な音を立てた。 マイクロトフが自分の分だけ中身がこぼれぬよう持ち上げて、卓上から非難させているのが視界に入る。その動作すら、なぜか心に優しい。 「その時まで、現役でいる気はあるということだね」 眦に浮かんだ涙を長い指でぬぐいつつ質せば、相手は大きく頷いた。 「無論だ。おまえはそのつもりはないのか?」 真っ直ぐで濁りのない瞳が、至近距離からまともにこちらを射抜いてくる。 それに物怖じするものも、後ろめたいものも何もありはしない。椅子に横に腰掛けていた体勢を立て直し、こちらも真正面から受け止め見据える。 両の眼がかち合った。 緊迫する、独特の高揚感。 そこには充足も追従する。 場所はここ。眼前の、拓けた空間。 それ以外あるものかと強調するように。 「そのつもりさ。これからも」 答に納得したように、口元に運んだカップ越しに黒い瞳が静かに微笑した。 |