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駄話 ■

 騎士見習いたちが通う学校の図書室には、歴史ある書物が多く収蔵されている。その大半がロックアックス城の司書室からの寄贈品で、過去の国情などの資料も数多い。つまりは自国の生の情報を得られる数少ない施設でもあった。
 他所に持ち出しを禁じている手前、閲覧は生徒たちと準騎士である教員らに限られていた。一般公開をせず、寄宿舎暮らしの彼らだけに貸し出しを許すことによって、校外に書物やそれに関する情報の漏洩を防ぐことが目的だった。膨大な量の知識を埋蔵する図書室へ足を踏み入れることができるのは、このロックアックスの地において多大な恩恵に預かれるのと同等の意味を示した。
 見習い学校には、稀に騎士職の高位に就く者が足を運ぶことがある。懐古のためではなく、職務の手助けを求めて資料を探しに来るのだ。白騎士は滅多に訪れることはなかったが、赤と青の騎士服を見かけることは少なくなかった。これが、一般人に馴染みが深く、市民の支持を得ているのが赤と青の両騎士団だということを頷けるひとつの現象だった。必要とあらば、昔の住処やそこに残してきた人脈からも情報を得ようと考える思考は、広い視野を持つ者としては当然の理屈だ。しかし、拓かれていない閉鎖的な環境で育っていれば、そこまで思いつくことも、手段としてそれを選択することさえできはしないのだ。
 騎士見習いとして生徒の登録を済ませた者は、その時点では自分がどこに所属するかは明確には知らされていない。適正を判断するために、赤と青いずれの騎士団に配属になるかは最終的な試験を通過してからでないとはっきりと明示されない。おのれの気持ちの中でどこへ就きたいかが決まっていても、適材と見倣されない限り騎士団の方針に添うのが通念だった。ただ、例外として白騎士団だけは世襲制が多く、貴族であるか土地などの資産の額が上位にランク付けされている出身者である場合は、白騎士としての活躍が約束されているのだ。然るに、将来がすでに決定している彼らがここに通うことは、甚だ無意味であるようにも思えた。貪欲におのれの長所を伸ばしたいだとか、短所を埋めたいだとか願うのではないのなら、早々に『お飾り』と影で蔑称される白騎士様になってしまえば良いのだ。勉学を疎かにすることもある彼らに対して強く言い出せない教員らには一抹の腹立たしさも感じないわけではなかったが、貴族というのはどこの国でも無用の長物として蔓延っているのだと解釈するように努めた。そんな無能者たちに過度の権力を与えている現状が、この地方の欠点だということを冷静に見据えるだけに留めた。
 そんなものを容認できるようになったのは、本当の正義に対して強く思う熱情がいつしか冷めてきたというのが実際のところだったかもしれない。
 人の出入りはさほど多くはないが、生徒は必ず一度は足を踏み入れる騎士学校の図書館は、ロックアックス城を除けば国内随一の施設と言っても過言ではなかった。元々ここを就職の場として選んだのは、騎士を目指す子どもが通うことのできる学び舎があるということを聞いていたからだ。
 自身の故郷や他国では、騎士階級の仲間入りをするのに必要な後見人を見つけ、師事することで騎士職を得る。つまり、準備段階と呼ぶべき学ぶ時間が極端に短く、説明もなしに実戦に借り出されるのが通常だった。言い換えれば、実践方式で学ばせることを目的にしていたのかもしれないが、ゆっくりと整った環境の中で自己を見つめ未来を拓きたいと考える者には適しているとは言い難かった。
 客観的に眺めていると、祖国にも、そしてこの国にも良い点と悪い点があることがよく見えてきた。しかし最良の国を考えるとき、双方の良いところを取ったとしても、その長所が両立するかという件に関しては甚だ疑問だった。それ以前に、誰にとって『最良』であるのかという箇所に議論を持って行けば、その後に付随するだろう長短の存在もおのずと変わってくる。
 今だ二十にも届かない若造の考える頭では、それが自己という観点以外あまり思いつかないのが、悔しくもあり歯痒くもあると感じるのが精一杯だった。
 先週末に借りた本を携え、返すついでに別のものを手に入れ、愚にも付かない物思いに再び没入するかと思われた瞬間、横切る部屋の奥に見慣れた人影があることに足を止めた。愛すべき図書室に、見習いとなってすぐ、そこの常連の一人として閲覧者の欄に名前を連ねた黒髪の友人だ。
 小さな姿態は、ここ最近急激に伸びているかのような印象があった。実際面立ちも急に大人びてきたように思える。まだ幼さの残る眦や唇はそのままに、頬や顎の緩やかな丸みが削ぎ落とされ、落ち着きある風貌へと変化を遂げているようだった。初見から、恐らく年月を追えば甚だしい成長を遂げるだろうと思っていたので、そこに大きな衝撃はなかったが、見慣れていたはずの容姿が時とともに失われてゆくという寂寥たる思いが存在しないわけではなかった。そう実感してしまうほど頻繁に観察していたことに気づき、我知らず浅い嘆息を吐いた。
 割と自由の利く部屋を利用して、借りて来た書物に目を落とす横顔を見つけるのは、もう何度目になるだろう。椅子に座り、光の加減を気に留めながら姿勢を正して文字を追う。一人の時間を邪魔するつもりはなかったのだが、自分も本を読む場所を探していた口だ。開け放たれたままの扉からそっと中へ侵入し、カミューは自分の席を定めた。相手からかなり離れた位置に座ったつもりだったが、不意に視線が持ち上がり、黒髪の少年の意識が本の上から浮上したようだった。
 名を呼ばれ、挨拶の代わりに軽く目を細めた。わざわざ距離を置いて椅子を選んだのだが、存在を知られて離れたままというのも不躾であるだろうと察して、椅子の背を掴んで彼の席の近くに寄せた。微笑うことが巧くできない少年は、近付いた人影に唇を引き結ぶことで応えた。
「今日、新しい本が入っていたのだ」
 先刻借りて来たこれだと分厚い装丁を畳んで見せる。一日に何度も通い詰めているおかげで、一足早く入荷したものを読むことができたようだ。カミューほど交友の枠が広くない彼には、友人らと語らう以外に、自身の時間というものを重要視しているようだった。確かにカミューとて一人の時間を軽んじているわけではない。けれど元から土地に住んでいた者ではない自分にとって、知り合いというものがここに住まう者たちよりもはるかに少ないというのが理由だった。
 人というものを定礎に置くのは、その土地で暮らしてゆくには必要不可欠であり、最上の手段だ。顔は、広い方が良い。しかし交友に重きを置くのは、そう長い間ではない。そろそろ努めるべき方向を元に戻しても良いのではないかと思えるくらいには、土台は固まっていた。だからこそ以前からの趣味であった読書を再開するようになったのだ。しかし、入校してすぐに始めた者の量には、容易に追いつくことはできない。中身を簡単に流し見て、読むに適う価値があると判断したものだけを選別して読んでいた意識はあったが、やはり直に得る情報の方が何倍も効率性や信用性が高かった。その意味で言えば、マイクロトフの助言というのは欠かすことのできない友人の言だった。
「役に立ちそうかな?」
 見せてくれた本の表紙を一瞥し、そっとその表情を窺う。生真面目な面は、急に近寄ってきた体温に対して、わずかな乱れも見せなかった。
「数字が多くて眠くなるが、国勢を把握する役には立つだろう」
 その顔で睡魔と闘っていたようには見えなかったが、どうやら内面ではかなりの葛藤があったようだ。では、自身の登場は彼の正気を保つための助け舟となったのだろうか。
 どれどれ、と内容を覗く振りを装って、そっと傍らに寄り添った。肩口から覗き込むと、色白の首筋が視界に映った。黒い髪の裾とのコントラストがあまりにも鮮やかで、自然と高鳴る鼓動を隠しながら、友人の説明に耳を傾けた。
 城で資料として保存されていたものが、保存期間を終えてここへ収蔵されたのだろう。国外へ流れることを懸念し、処分するのが通常であるだろうに、こうして図書館に収められたのは、ここが城の管轄下にあるということを示していた。試験をパスして入学してしまえば、騎士になるか準騎士になるかの道しか残されていない。もちろんそれを目的に試験を受けて入ってくるのだから、生徒のすべてがマチルダ騎士団の一員としての自覚を持っているのが当然だった。現に、騎士見習いとしての資格を得る段階で、監督官から確認を促されていた。生徒として承認を受けた時点から、自分たちは騎士団の一員になったとの意識があった。
 自身の行動に品や責任を負うようになったからこそ、自分を含めた皆が、体格だけでなく精神的にも大人びてきたのだろうと思う。だがマイクロトフの場合は、その素質が入学前から備わっているように思ったのは、恐らく自分一人ではないだろう。
 初々しさだけでは誤魔化しきれない気品のようなものを、生来から持ち得ている数少ない人物だと感じていた。そしてその解釈は間違ってはいないのだろう。
「マイクロトフは本を読むことを良く嗜んでいるけれど、読書が好きなのかい?」
 昔からそうなのかと尋ねると、さあ、と首を傾けた。その仕草を見ると、まだ子どもから脱しきれていないと思う。しかし言い淀むこともなく、変声期を終えたばかりの透き通った声音を発した。
「本を読むことは嫌いではないが、さほど好きというわけではない」
 どちらかと言えば、室内でじっとしているよりも鍛錬場で剣を振るっている方が好きだと言う。妥当な答だと目元をほころばせ、カミューは白い顔を覗き込んだ。
 短い髪と同様に、整った眉や鼻の形が肌の上に明確な陰影を刻んでいる。視界から得られる小気味良い手応えが、明確な声の張りとともに柔らかく脳裏に吸い込まれる。二人きりの空間が、一人の時間よりも大切なもののように思えた。
「カミューは読書が好きなのか?」
 今度は反対に尋ねられ、微笑を称えたまま優しい口調で答えた。
「そうだね。それ以外に思い当たる趣味はないかな」
 故郷で過ごしていたときから、暇さえあれば父親が集めた本を読んだり、馴染みの店の主人から借りた書物を読み耽っていた記憶がある。目に入ってくる知識や、それに伴う情景を頭に思い描くことのできる本という存在は、自分にとってとても身近なものだったことを認める。他に興味のあることといえば、別段特筆すべきことではない家族との団欒くらいだったろう。
「そうか。カミューは勤勉なのだな」
 学ぶことを無意識のうちに重要であると悟り、物心ついたときからそれを実践していることを素直に感嘆する。マイクロトフは感心したことに対して隠したり程度を緩めたりということをしない。正直に思ったままの評価を下すし、表情にも表わしたりする。これだけ純粋な尊敬と好意を向けられれば、おいそれと煙たがる者はいないだろう。
「マイクロトフだって、立派に勉学に励んでいるじゃないか」
 自分のことを差し引いて何を言っているのかと、若干感じた照れ臭さを誤魔化すかのように言葉を添えると、そんなことはないと否定が返った。
「俺は稽古をしたいという欲望と戦って、本を読んでいる」
 本心から望んでいるのは、暇さえあれば身体を動かすこと、強くなることなのだと。
 あれだけ沢山の書物を読破している者とは思えない言い分に、呆気に取られてその顔を何回も見返した。大袈裟ではなく、自分の約三倍の量は制覇している。それも好きだから、ではなく、努めて読むようにしている努力の結晶なのかと思うと、自身のしていることなど大した労力ではないような気さえしてくる。むしろ、我慢を強いて忍耐と戦った上で実行していることの方が、長い年月の後絶対自身の役に立つだろうと断言できる。そう確信するのは、自分の何倍も先を生きている古い先達から言われ続けたことだからだ。
「マイクロトフは、偉い騎士よりも強い騎士になりたいんだね」
 職位が高いか低いかよりも、実の伴う存在になりたいのだと。理想をすでに胸の内で構築する姿は、自分が忘れたものだったのではないかと今更ながらに悟った。
 決して楽観しているのではなく、かといって悲観しているでもなく。あまり公にしない秘めた志というものを、日々の決め事によって確実に行っている。たじろいだり、できなかったりすることも間々あるだろう。けれど努めて行うようにする姿勢は、野心とはまた別の力を身体に蓄えているということになるのだろう。
 出会った頃からわかっていたことがある。彼と自分は同じスタートには立っていないこと。土地の人間であり、極自然と備わっている素地を持っている者と、他国の人間との間には、出世を念頭に置いたときにはどうしてもそこに差が生じる。マイナスだと、距離を数字に置き換えるのは安直に過ぎたが、要は別の形で補うだけの物を集める必要があった。
 だから、マイクロトフと自分がどちらが先に騎士団に入団し、早く能力を開花させるかという競争には、最初からハンデがあると考えていた。そのことに固執して、自分は野心だけに傾いてしまったのではないだろうか。合理主義に偏り、礎が何よりもしっかりしていなければならないと思い過ごし、理想というものを忘れかけていたのではないか。
 無論、今まで人脈を作るという努力が無駄なものであったと評す気は更々ないが、思い違いをしていたことに改めて気がついた。
 騎士というものに二通りの存在があると言われたことに首を傾げながら、それでもマイクロトフは、うむ、と一つだけ頷いた。
「俺は祖父に胸を張れる騎士になる」
 そうなることが、自分の目標なのだと強い口調で告げた。物怖じしない物言いにくすくすと肩を揺らせ、では、とカミューは椅子を立って前方に拝礼した。
「私はマイクロトフに恥じない騎士になることにしよう」
 突然改まって言われた言葉に、なんだそれは、と白い顔が一気に上気した。慌てて立ち上がったので、膝に乗せていた本が床の上に落ちそうになる。ばたばたと埃を立ててそれを阻止すると、熟れ上がったトマトのように真っ赤になった相貌をこちらに向けてきた。
「俺はカミューのことを、今でも誇れる友人の一人だと思っているぞ」
 だから今更目標にされても意味がないのではないかと必死の形相の中に困惑を浮かべる。責任を担わされたということに不平を感じているのではなく、そんなことで良いのかと更正を正す意味合いがその言葉に込められているようだった。
「マイクロトフ、私の勝手な誓いだよ。だとしたら、おまえが弁護する必要は一切ないはずだ」
 両手を胸の高さに掲げ、困ったように笑うと、息巻いた顔面が更に距離を詰めた。精一杯背筋を伸ばし、近い位置にまで詰め寄ろうと試みる。
「誓いは、もっと神聖で高尚なものにするべきだ!」
 真っ黒で丸い瞳に睨み返され、おやおやと思ってしまう。迫力がないわけではなかったが、まだ幼さの残る顔つきで迫られても一向に動じない。却って唇が触れるのではないかと思しき隔たりに、あらぬことを想像してしまう。
「いくらおまえでも、個人の誓いに口を差し挟むことはできないんじゃないかい?」
 それに略式なのだから、将来に渡ってその有効性は保証されないと片目を瞑って言い足すと、腑に落ちないまでも、むう、と口の先が小さく尖った。内心を穏やかに外へ表わすということをそろそろ学ばなければならないね、と心中で苦笑しながら、相手の結論を待つことにした。とはいえ、もうすでに読めていることだが。
「カミューが本当の誓いを見つけるまでの保留処置であるなら、構わない」
 『が』、と語尾に付け足そうか付け足すまいかを煩悶した末、言わずに台詞は打ち切られた。未来の姿を指し示す予想図に予期せず引き合いに出された側として、不満や疑念は尽きないのだろう。けれどやはり覆すだけの語法を身に付けていないために、それは断念することに決めたようだ。甚だ納得とは程遠い次元で終止符を打ったのだということは、顔色を窺うまでもなく明らかだった。
「永遠に、でも良いのだけれどね」
 ちょろりと本心を口にすると、またしても険しい表情で睨み返された。駄目だ、と声を大にして叫ぶ。飄々と見下ろし、なぜだと問えば、頬を紅潮させたまま一瞬黙り、そして渋々唇をこじ開けた。
「俺が、もっと勤勉にならなければならなくなるからだ」
 今以上の努力をして、更に上の人物を目指さなければならなくなると。現時点ですでに忍耐を強いてるところに、もっと我慢をするようになれば、好きな稽古事にかまけている時間すらなくなってしまうだろう。遊びたい盛りは過ぎたとはいえ、好きなことで自己を発散するのは幾つになっても変わらないというのに。
「では、尚更誓いを改める必要はなさそうだね」
 にっこりと満面の笑みでそう返すと、言葉に詰まったまま必死に何かと戦う様がおかしくて、漏れそうになる声を殺すのがひどく大儀だった。意地悪をしているつもりはあったのだが、それくらいのプレッシャーで押し潰されるような玉ではないことを信頼しての行動だった。が、そうされた当人は相手の真意など知る由もない。ただ内心のジレンマと戦うように、わかった、と返すのがせいぜいだったのだろう。
 マイクロトフが今は珍しいちょっとした求道家であるならば、自分のしたことは間違いではない。
 今でもそう信じている。

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2003.09.25up