他人の怒りを買うということは、良いことではない。殊にそれが女性であるというなら、カミューにとっては大いなる奇禍と言っても過言ではない。極力、世の半数を占めんとする彼女たちとの関係に角は立てたくないと願っている。異性に媚びへつらうのではなく、一人の男としての意識がそうさせていた。
その中でも特に、この存在にだけは、と思わさしめる者がいる。一人は言わずもがな、自身の愛する黒い髪の親友だが、それと対極に位置するのがミケーレだった。
無論、恋人と親を混同するつもりは毛頭ないが、もし自身が心の底から心酔し傾倒ている人物を挙げよと言われれば、躊躇いなく二人を名指しするだろう。例え一人だけを選択するよう迫られても、選び抜くことは至難と言えた。なぜなら、互いに同種の尊厳を感じているわけではないからだ。一方は掛け替えのない個人であり、他方は自身を形作った根源なのだ。
完全なる他者と、肉体のみならず精神を構築した主のような存在のいずれかを最上として掲げよと言われても、同じ引き合いに出すことすら誤りであるように思える。
尊敬の念を愛するという言葉に置き換えても、愛という音色そのものの質が違う。仮に欲望という名に置き換えたとして、前者には説明が成り立つが、後者には立たないという、それに尽きるかもしれない。
言うにミケーレは、マイクロトフを差し置けば、彼女が自分にとって最大の愛する者ということになる。
その女性の怒りを買ってしまったのだとすれば、なすべきことはそう多岐には渡らない。覚悟を決め、帰郷してからあまり立ち寄ることのなかった生家へと足を向けた。
出迎えたのは、母の身の回りの世話をする妹のエマだ。明朝顔を合わせたばかりであるので、挨拶は簡単なものだったが、ここを訪れるまでに話をしたことがあるということをミケーレに気取られてはならなかった。あるいは、すでに気づかれているのかもしれないが、礼を言って入ってきた実の息子に、薄い若草色のショールに身を包んだ痩身の女性は浅く目を細めて来訪を歓迎した。
「お変わりなきようで、安心しました」
心底からの敬意を表わすように深い笑みを相貌に称えると、静かな微笑が返った。
「来ると思っていましたよ」
微笑ってはいたが、その口調は厳しい。
幼い頃、故郷を立って北の大地を目指した以前とは対応そのものが異なっていた。一男子として相手を見ていると評せば良いのか、他人行儀な言い回しをするようになった。それが彼女の流儀であることは充分に承知している手前、今更違和感などは感じない。
しかし、言っていることはかなり辛辣だ。
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