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Aスキン・起
 どんなに強い男にも、思春期というものはある。
 自身がそれを自覚したのは数年前。

 忙しい毎日だった。
 慌ただしいとは違う。めくるめくように、何をしていても時間はあっという間に流れて、そして何をしても充実していた幼少時代。
 子どもの頃は子どもの頃で、それなりに冒険があり、危険と隣り合わせのスリルとともに在った。
 大人ほど経験もなく、知識がなくても、体中で感じ取った本能に任せてそれらを回避し、闘ってきたように思う。
 おそらく今も実際の局面では変わりはしないのだろうが、そんな無邪気とも無鉄砲とも思える時期に、訪れた心境の変化など、今となっては希薄になっているだろうと高を括っていたが。

 巨大で頼りになる相棒、モビー・ディック号を降り、何週間か振りに陸(おか)に足をつけた時だ。
 島のレストランを何件か梯子し、腹ごなしと称してふらふらと路地裏を散策していた時、久しぶりに顔のことを言われた。
 美醜云々の批評であれば、その程度のことかと肩を竦めて済ませもしたが、その肌に浮かぶ無数の小斑点を指摘されたのは何歳以来だろう。
 嘲るように、故郷の町でチンピラに笑い物にされたことなら幾度もある。
 チビのくせに。目つきの悪い。
 その次に出てくるのが、決まってこの面のことだ。
 相手が同じ男であれば、年がどれほど上だろうが体格が勝っていようが、だからどうしたと力で捩じ伏せてきたが。
 生まれながらに肌がさほど綺麗ではないという事実は、生きて行く上で特段気にするべきことではなかった。
 確かに無関心ではいられなかったが、それがプライドを傷つけるほど重要な真実でもなかったからだ。
 しかし、その、老婆とも違う中年の女商いが言うことには、荒れた肌をこの潤滑油で潤せば、幾らか増しになるだろうと。
 そんなことを言われ、ついつい話に乗ったのは、女のような買い物好きの性格が刺激されたからではない。
 充分に吟味し、交渉してから、行商人からだろうと国から認可の下りた正規の販売店からだろうと、構わず売り物を買い込んでは部屋に溢れさせていたが。
 現実に、この広大な海で名を知らぬ者はいないほど有名な白ひげ海賊団という大所帯の一隊長となってから与えられた一室は、収穫物の山に溢れている。
 足の踏み場もないほど広がった宝物を、ガラクタの山だと評す連中もいたが、昔数年かけて行っていた『海賊貯金』なるものから始まった収集癖ゆえか、雑多とも思える金品の類いを集めると妙に退屈が吹き飛んだ。
 好んでいるというよりも、民族的な装飾品というものに自然と手が出てしまうと言った方が相応しいだろう。
 専ら、冒険以外では少ないといえる自身の欲求ともいうべきこの性癖を満たすのは、重量のあるもの。見栄えのするもの。実用的であるものであり、消費すればなくなるといった種類の収集品は存在しなかった。
 それゆえに眼前に持ち上げた無色の液体が入った薄黄色の小瓶は、自分にとって買い物と呼べるほど大袈裟な代物ではなかった。


 思春期はいつの頃だったかと問われれば、多分、世界でただ一人の弟であるルフィと知り合った十歳の頃からだったのだろう。
 掛け替えのない仲間となった、元は他人同士。
 各々が背負った血の重みなど気にかけることなく信頼し合える、大切な兄弟たちと奔放に生きていた時代。
 背中にも、顔と同じそばかすがあることを棲家にしていた館の風呂場で弟に教えてもらってから、そういえば自分にはそんな珍しいものがあるのだと、時折思い出すようになった。
 だから、というわけではないが。
 強大な大海賊であり、偉大な船長である白ひげの船のマークを背後の全面に掘ってからというもの、気にかけることもなかったはずの小斑点がどうなったのかを不思議に思ったからこそ、普段は決して手を出さない買い物をしてしまったのかもしれない。

 すでにトレードマークになっていたかもしれない顔のそれに施すよりも、まずは背中だと。ぬめるが、さらりとした手応えの液体を掌に広げ、腕を伸ばして海賊団の象徴である刺青に満遍なく染み込ませる。
 柑橘系とも言えない、香水と呼べるほど鼻につく香りはないが、心身に何らかの影響を与えそうな特有の芳香が、手の動きとともに徐々に皮膚の内部へ浸透して行く。
 こんな真似をしたところで、忌々しい斑点が消滅をするわけではないが、確かに日に焼けた肌を海風に晒したままの状態で、自慢の海賊旗が映えなくなってしまっては困る。
 都度色を入れれば良いと言われたが、素地である体の方にもそれなりの配慮が必要だろう。
 船の一番高い場所ではためく大きな旗のように輝かしいものだと自負している手前、自分の中で最も優れていなければならない部分だと思い込む。
 風呂に入った時以外、背後など滅多に触ることがないため、意外と塗る面積が広いことに少々の驚きを感じながら、瓶の中身を数ミリ程度使い終えた後、自己満足だな、と心中で呟いた。
 手を出したのは所謂思いつきであったのかもしれないが、新たな視点を手に入れるための必要経費だったのだと思えば決して損な選択ではなかったと思う。
 これからは寝る前や入浴の後には気をつけようと思い、愛用の帽子を置いて自室を出た。



 数分後、自分は走っていた。
 陸で手持ちが足りず、食い逃げよろしく飲食店の店主を捲いた時よりも素早い動きで船内を駆け回り、甲板から階段を下りて食堂、大浴場、船員たちが出入りする共同部屋まで移動しては、その度に扉を蹴破って飛び出し、狭い廊下を走り続けた。
 息を切らせて逃げ続けたところで、すでに船は海の上。
 限られた場所であることは明白で、どこかに身を潜めるしか選択肢はない。
 こうなれば適当に、信頼のできる奴を捕まえて、そこに匿ってもらうしかないことを悟り、丁度視界に入った長身に必死の面体で声をかけた。
「マルコ……!」
 ぐんぐんとスピードに合わせて視界の距離が縮まった縦に細長い顔面には特に驚いたような表情は浮かばず、何か用かというようなことを言われた。
「実は、他の奴らに追われてんだ…!」
 急ブレーキをかけて立ち止まり、裸同然の胸と肩を上下に揺らして言葉を繋ぐ。
 慌てたような仲間の態度に、やはり興味がないとでもいうかのように、分厚い瞼の下の眼を見開いて驚くような素振りも見せず、男は腰に手を当てた。
「悪ぃ、匿ってくれ………!!」
 誰に追われているのかという問答が愚問であるのは、勿論この場が自分たちの家とも言うべき海賊船の中だからだ。
 マルコと呼ばれた男はすべてを察したように無言で何かを指図しようとしたが、その面に浮かぶ目鼻と口がぴたりと動きを停止した。
「……………」
 次の瞬間、悪鬼のような形相でこちらを振り向き、歯を食いしばったかと思うと、間髪を入れずに利き腕を振り上げ眼前に叩きつけてきた。
「!!!」
 一瞬、何が起こったのか理解ができなかったが、頬を殴られ吹っ飛ぶ瞬間、男は唇を大いに歪めて毒を吐いた。
「エース!…おめェ、何仕込んできやがった……!?」
 どかんと壁に思い切りよく背中を打ちつけ、呻きそうになったがそれどころではない。
 完全に血走った眼が、苛立ちよりももっと底の見えない怒りに支配されている。
「…ッ、おれに構わず、行けよい!!!」
 血を吐くように叫び、両方の拳で下履きをちぎれるほど握り込む。
「オヤジんとこへ行きゃ、何とかなる……!!」
「!!」
 怒声を叩きつけるように吐き、そしてわなわなと男は震えだした。
 呼吸が乱れ、心音が直接耳に飛び込んできそうなほどがんがんと高鳴っている。
 まただ、と思い、舌打ちとともにその場を離れた。
 飛び除けるように退き、再び廊下を走り出す。
 気配でマルコが片膝を床の上につくのを察し、畜生、と思った。
 自制心が意思を裏切って活動を停止してしまわないうちに、マルコが行けと言った部屋までの道のり、とにかく全力疾走で追ってくる無数の仲間たちを引き離した。




-2010/06/14
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