ライというラグズの青年は、生来の性格なのか、他人と打ち解けやすい性質を持っていた。
初対面でも気さくに話しかけ、失言を耳にしても敢えて咎めようとせず、逆に相手を嗜めるくらいのゆとりがあった。
だからだろうか。
普段、あまり口数が多い方ではない自分でも、居心地が良いと感じてしまうのは。
「なあ、アイク」
示し合わせてもいないのに、顔を合わせるなり、団から少し離れた場所で二人だけの時間を作る。
長時間留守をするわけではないので、周囲の人間もさほど気にしてはいないようだ。それほど、お互いに気心が知れた仲だというか、要するに仲間以外、友人らしき者を持たなかった自身に、ようやく年相応の相手ができたと考えているのだろう。父の生前から、ずっと保護者のように見守ってきたティアマトたちに言わせれば、そんなところだろう。
「お前、自分の初恋は覚えているか?」
唐突ではない問いに、自然と顎が上向く。
共通語と呼ばれるラグズとベオクの双方で話される言語は、ライの舌に馴染んで久しいのだろう。
無理のない話の流れが、余計に卓越した話法を髣髴とさせる。
否定する意味で端的な返答を口にすれば、それに気分を害されたわけでもなく、そうか、と男は頷いた。
思い出話というよりも、単に聞かせたかったけなのかもしれない。
ライたち、化身するもの『ラグズ』は、ベオクと呼ばれる、化身をしない代わりに叡智を備えた人種よりも皆長命だ。数歳年が離れているだけのように見える相手は、恐らく父親と同じくらい、もしくはそれ以上の年月を生きているのだろう。
時間は、寿命が長いと言われるラグズの上にも確実に過ぎ去って行く。彼らから見て短命なベオクにとって時の流れが如何に速かろうと、どちらも老いを知る者である以上、人生の長短などさして問題ではないのだろう。
だからこそ、ライは他人に一定の尊厳を認めている。
ゆえに、十代の半ばを過ぎたばかりの自身を、若いからといって軽視したりはしない。
ライの初恋の相手は、白くて美しいラグズだったそうだ。
同じ獣牙族の、耳の先から尻尾の先端まで真っ白な大きな猫だったという。女性であるがゆえに骨格は男性より見劣りはしたが、王宮に就いたばかりのライの心には、強い戦士としての姿が印象深かったのだろう。
戦士である以上、ガリア王の命令は絶対。
様々な任務を与えられ、国境の各地を回っている間に、彼女はいつのまにかいなくなってしまったのだという。
それが、何を表しているのかはわからない。
戦場で命を落としたのか、怪我を負って故郷に戻ったのか。良い仲の男性を見つけて、家族とともに暮らしているのか。あるいは、美しい外見ゆえに、ラグズ狩りに遭ったか。
ラグズ奴隷制の過去は、ベグニオン帝国に足を踏み入れてから知った事実だ。他国の人間を奴隷にするなどという蛮行があったことも知らなかったし、そもそも半獣が『ラグズ』と呼ばれる種族だったということすら教えられなかった有様だ。ガリア王カイネギスによって、妹が生まれるまで父母がその国で世話になっていたと知らされたのもここ一年以内の出来事だ。今一つ時間的な経緯が腑に落ちない点はあったが、ライの口調から察するに、その可能性は否定できないのだろう。
なぜ、そんなものが見過ごされていたのか。当の昔に廃止されたにも関わらず、今も尚裏の世界では横行しているのか。
煩わしい他人との駆け引きや引け目を持たない自分にとっては、不可解で理不尽なことだと思わずにはいられない。
何の反応も示さず、ただ黙したままの話し相手に、青い毛艶の青年は口元だけで笑ったようだ。
憮然としながら、やり場のない怒りに口を閉ざしているにも関わらず、機嫌を損ねることなく一息に深い赤色のマントに隠れた腕を引き寄せる。
まだ少年らしく肉の薄い肩を抱き、長い両腕ですっぽりと身体を包み込んだ。
あまりの手際の良さに反応が遅れたが、そうされて初めて、父親でさえ大きくなった自分を抱くことはしなかったという現実に思い至る。
何かを発言しようとして身じろいだが、それよりも早く、真正面に色違いの眸が近づいた。
「だったら、俺が、お前の初恋ってわけだ?」
ぱちぱちと素早い瞬きのまま見つめられ、一瞬、言わんとしたことを失念する。
そうじゃない、と言いかけて、やはり自分には身に覚えのない経験であることを確認する。
大体、恋愛事を話し合う相手などいなかったし、傭兵団の中で割と年の近い部類に入るボーレなどとは、どちらが先に腕を上げるかを競い合う程度の仲だった。むしろ、ライバルで兄弟のような感覚に近い。顔見知りの面々はといえば、その手のことは遠巻きにしていたような気がする。今ではよく声をかけたりしているが、主立ったメンバー以外とは話をする機会があまりなかったのも原因かもしれない。
「………そういうことになるな」
考えるまでもなく、ライの言ったとおりなのだろう。
真実をありのまま放言すると、にこにこと今度こそ目が笑った。
次いで、顔が近づいてくる。
驚き、後ずさろうにも包み込む腕は離れてくれない。
「おい、ラ…」
空しい声が望むべくして、途中でかき消されたのは言うまでもない。
-2007/05/09
→next_text あなたの顔が見たかった