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あなたの顔が見たかった
 らしくもなく、気が昂ぶる。
 戦うことに対する興奮ではなく、その後ろから追いかけてくるかのような焦燥が心を焼いているのだ。
 ぴりぴりと後ろ毛が逆立つような感覚を持て余しながら、我知らず自身の天幕で舌打ちをする。部下や仲間の前では絶対に見せることのできない、余裕のない様。精神的な疲労も、徐々にピークを迎えつつある。
 大したことはない、慣れている、わかっていたさ。
 いつものようにそれを繰り返してすべてを受け流しているつもりだったが、本来の精神はそこまで柔軟にはできていなかったようだ。
 疲れた、と思う。それにも増して逸る気持ちを、化身した獣の姿で毛づくろいでもして宥めたい心地だった。

 不意に、他者の気配を感じて声を発する。
 誰だ、と問う声音は、半ば苛立ちにざらついていた。
「俺だ、ライ」
 険を刷いた風貌が、一瞬にして棘のないそれへと変わる。
 あっという間の出来事だった。
 どうして、彼の存在を察知できなかったのか、疑問さえ湧いてくるほどに。
「あ、ああ。入って来いよ」
 内心の動揺を押し隠せぬまま、出迎えた先には、どんな賢者よりも落ち着いた蒼い眼差しがあった。
 濃い色の眸は、闇の中ではその暗さに染まる。けれど、覗き込むほどに、その奥底に隠された深みのある色彩を見た者に印象付ける。闇夜に溶け込む髪色と同色の双眸は、ラグズの仲間内では滅多にお目にかかれない代物だった。
「…珍しいな、お前が」
 わざわざ訪ねてくるなんて。
 どちらかと言えばこちらから出向くことが専らだったと言うのに、今はラグズ連合に雇われている傭兵団の若き団長が、ここまで足を運んで来たことに自嘲すら感じてしまう。
 自分と同じように掛け替えのない部下を持ち、その命を預かる者が心配するくらい、弱りきった姿を晒してしまったのだろうかと。
 ラグズの中で、とりわけガリアに住む獣牙族の覚えが高いクリミアの救国の英雄アイクは、連合の中で幾人も顔見知りがいるほどの親ラグズ派だ。当人に言わせればそんな派閥に収まるつもりはないのだろうが、無骨でありながら、相手が何者であろうと受け入れてしまうのは生まれながらの素質だろう。
 彼の目には、差別というものがあまり映らない。何かに誇りを持つ者は、一様に他人との優劣と差異を確認して相応の態度を取る。横柄になるか卑屈になるか、要するに偏狭的なまでにそこに固執するのだ。
 だが、アイクにはそれがない。
 過去、ベオクの奴隷であった歴史的背景を背負った自分たちのように、人間に対する偏執もない。また、半獣の蔑称を使って、獣の見目を持つ自分たちを奇異な目で見ることもない。それらをしたことがないのではなく、アイクにとって、おのれと異なることなど、重要な判断の動機には至らないといったところだろう。
 本質の部分で、善か悪かを認識する。正しくはそれは正義ではなく、善意によるものか、悪意によるものかの相違であって、アイク自身に確執的な思想はないのだろう。むしろ、おのれの信じる道を目指し、歩むことが、彼の持つたった一つの信条かもしれない。
 今回のベグニオン帝国との戦とて、セリノス王国を滅亡に追いやったという事実に対する釈明を求めたラグズ各国の要請に応えず、帝国側が使者を斬殺したという非礼が罷り通らないことに共感して参加してくれたのだ。クリミア復興に尽力してくれた友人たちが困っているのを助けたいとの意向もあったようだが、納得ずくで助力を決意したのだろう。
 アイク自身が善良であるかどうかはわからない。
 戦場で何人もの兵士をその手にかけた勇者は、ころされた者の家族にとってはただの仇だ。
 だからこそ、潔いのだと思う。決して弱い心根などではなく、強い心で相手を思いやることを知っている。下手に出たり、策を弄したりすることなく真っ直ぐに対する側を見る。それは、ベオクだから、ラグズだからという枠には当て嵌まらない、もっと根本的な形成に起因しているのだろう。
 つまり自分は、どんな言い訳も無意味なほど、相手にいかれているのだ。

 皮肉な笑みに歪んだ口端を見つめ、ベオクの青年は濁りのない視線を向けた。
 次期国王候補である総大将スクリミルのフォローと扱い、そして部隊の編成と連合国間の仲介役で疲れきった友人を慰めに来たのかと思いきや、そうではなかったことはその様子からも容易に察された。
 返答がないことを不思議に思い、逸らせていた目線を上げて見つめ返すと、唐突に返事が返った。
「お前の顔が見たかった」
「………………」
 それだけだと言わんばかりに、口元に微笑を浮かべると、ゆっくりときびすを返そうとする。
 束の間呆気に取られたが、このまま帰すつもりはなかった。反射的に、片腕が素早く伸びる。
 どうせ、獣牙族の宿営地を抜けても、他国の要人たちと旧知の仲である彼はすぐに他の者に捕まるだろう。
 傭兵である以上、建前上は雇っているだけのベオクの集団の元へ足を向けるのは、仲間として戦った経歴があるレテやモゥディくらいだ。先の戦役で共闘した者でも、グレイル傭兵団をよく知らない者たちも多いからだ。
 それが、あろうことかあちらから出向いてくれたのだ。ラグズに荷担するベオク珍しさに、声をかける連中が後を絶たないだろう。時間があれば剣の鍛錬に没頭しているような人物が出歩いていたら、昔の仲間ならば間違いなく自分の陣地へ連れ込みたくもなるというものだ。
「ちょっと、待て」
 それだけか?、と眉間を寄せながら相手に問う。
 外にいる部下に見られるのは不味いと早々に幕内に引っ張り込みながら、もしかしてと思う。
 気心の知れたレテたちが、自分に気を回してくれたのかもしれない。
 重責を負う役を担った兄弟に、少しくらい気晴らしができるようにとアイクを寄越したのだろうか。
 あるいは自主的に、というのも何だか自惚れているようで、しっくり来ない。
 むしろ、どちらでも良かった。
 都合が良かろうが悪かろうが、こうして会えることに勝る喜びはないと、日々実感していたからだ。
「それだけだ」
 顔を見る以外、目的はなかったと告げられて、思わずがっくりと肩が下がりそうになる。
 いやいや、こういう奴だよ。
 色気というか、素っ気がない。それが純粋だからこそ、尚始末に終えないと思う。
 これで今日まで罪作りな男という浮名が世間に流れなかったのは、複数いる彼の保護者たちによる徹底した管理に因るところだろう。あるいは、朴訥による自衛が功を奏したのか。
「もっと、こう……。いや、違う」
 そうじゃないと頭を振り、聞かせるよりもまず自身の思いを優先した。
 掴んでいた腕を引き寄せ、一気にその身体を抱きしめる。
 立ったままの姿勢では追い抜かされたかのように見える身長も、背筋を伸ばせば大して変わらない。まだ背は伸び続けていると聞いたが、回す手には余裕がある。今更ながらに親に感謝する。長い手足は、いつだって相手を独占してしまえるように生まれついたものなのだろう。
「…抱きしめさせてくれ」
 やってしまってから届く遅い侘びに少々困惑しながらも、ベオクの青年はふっと微笑ったようだ。
 無意識に喉が鳴り、人肌の匂いを嗅ごうと肩口に鼻を押し付けてくる大きな猫に苦笑を漏らし、幼い時分、妹にそうしてやったように掌でぽんぽんと丸くなった背中を叩く。
 温かなぬくもりは、一等お気に入りの匂いを伴って心地良い心音とともに鼻腔に吸い込まれた。
 満たされると思うよりも先に、満たしたいと思う相手。
 意識せずに支え合える友人以上の存在に、感謝と一緒に愛しさが募った。
 ついでにキスをしようとして、拒まれなかったのでそのまま唇を奪った。
 これについては事後、必要だったのかと抗議が上がったが、顔を見るまで消耗していた体力が戻ったので結果的に容認してもらった。

 持つべきものは、ただ一人に対してのみ、隙の多い恋人だ。


-2007/05/13
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