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息をするよりも自然2
 ねむっているとき、こいつはいつもおだやかなんだ。

 乱れた前髪は滲んだ水滴に濡れ、先細りした筋がいくつも白い額を覆っている。
 それを宥めるように、長い指を伸ばして横へ流す。あまり日焼けすることのない肌の上に引かれたような蒼い線は、まるで彗星の尾のようだ。
 目を瞑り仰向けになった姿態に、伏せていた身体を寄せる。覗き込むように表情を窺い、整った呼気がその鼻筋から漏れていることに目を細めた。
 こうして交わりを持つことに違和感は抱かない。
 同性、という以前に、ラグズとベオクに果たして身体の相性があるのかという疑問もないわけではなかった。けれど、自然と吐かれる呼吸は密度を増し、互いが重なる行為そのものに微塵も抵抗を感じなかった。
 手にした人肌のぬくもりは、今までのどれとも異なっていた。自分自身が異性との関係をあまり持たなかったのも原因かもしれないが、アイクの身は妙に生々しい。毛づくろいをしたくなるような同質の気配ではなく、食欲を沸かせるような、一種の獰猛さをつれてくる。
 なぜ、そんなものが身のうちに沸き起こってくるのかはわからない。猫の民の性質上、たとえ家族であっても対応は淡白であり、必要最低限のかかわりしか持たない。単独でいることを好む傾向にあるといえば丁度良いのか。なのに、アイクはそれをさせない。もっともっとと欲しくなる一方の、強かな思いを抱かせる。
 これは、正なのか、負なのか。
 どちらにも分けられない肉体の欲求は、抱いている感情をはるかに凌駕する勢いを持った。
 触れなければ、愛しい。
 恋慕に似た情感を抱かせ、近くに在ることをこの上もなく喜ばせる。
 なのに、触れたいと思う。
 指先だけ。ほんの少しだけ。距離が詰まり、流れが止まる。ほのかなぬくもりを辿るように、目線を合わせず傍らに放置してあるかのように映る手指を絡め合う。払い除けもせず、繋がる。ごく平凡な、心地良い甘受。
 それとは別の、乾いた動機。
 長い間ジャングルを走り続け、木々の間を縫い、水を欲して口端から零れる涎を拭うように、ひとつの名前と存在だけを求め、願う。
 俺はアイクを見つけてしまった。

 閉じられていた瞼がゆっくりと開き、眩しそうに顔を顰める。
 石壁には、一つだけ窓がある。光を取り込むだけのそれには、戸が付いていない。国土が温暖な気候ゆえに、雨風を凌ぐ必要がないからだ。
 何時だ、と乾いた声調で尋ねられ、鼻を利かせて昼は過ぎたと告げる。
 アイクは無造作に上体を起こすと、腹が空いたと予想通りの感想を漏らした。それに苦笑を返し、脱ぎ捨てられた衣服を拾い集めて持ち主の下へ戻る。
「本当は、一回で終わらせるつもりだったんだけどな?」
 お互い、時間がないことは熟知していたから、あっさり退こうと思っていたのだ。しかし、そうできなかったのは、そもそも向こうに責任がある。
 受け取った下着をてきぱきと身に付ける青年を見上げながら、再び寝台に腰掛けたライは思い出すように目元を細めた。
「お前が、あんまり好い反応をするからさ」
 くっくと喉を鳴らせば、憮然とした表情で見つめ返された。
「そんな、怒るなよ。こっちだって、気が昂ぶって化身しそうになるところを抑えるのに必死だったんだぜ?」
 過度の興奮は、ラグズの心身のバランスを崩させる。
 人の憎悪や怨恨などによる負の気の影響よりははるかにマシとはいえ、さすがに行為の最中に獣の姿になるのはまずい。一度や二度、そうなってしまった経験があるとはいえ、アイクにとっては歓迎できる状況でないだろう。ただでさえ半獣として忌み嫌われる理由を、こんなことで増やしたくはない。
 困ったように眉を顰めていたが、やがて小さな嘆息とともに、耳と尻尾を持たない友人はいとも容易く放言した。
「せめて、俺が正気じゃない時にしてくれ」
 相手が自分なら、どんな姿でも構わないと告げられて、思わず面食らいそうになる。
 どうしてこう、こちらの理性を突き崩すような発言をしてくれるのか。
 間違いなく本音だろうことは火を見るよりも明らかであるから、尚更立つ瀬がない。むしろ、ここは大いに喜ぶべきところだが。
「お前って、ほんと……」
 口を抑え、今度こそ背中を丸めて笑い出す。
「ベオクにしておくのは勿体無い逸材だよ」
 恐らく、彼に関わったラグズの誰もが同じことを感じているだろう。
 意思が堅固で剛直。その上、受け止め方も豪胆であるから、嘘偽りがない。
 けれど、どの民にも属さない。
 獣牙も鳥翼も竜鱗も、相応しいと思える部族が見つからない。それは、端的にアイクという魂がすでに一つの形を取っているからだ。
 俺はお前を失いたくない。
 おのれ、を指しているのがこの世界そのものであることはもう大分前から理解している。
 多分、動乱の時代を迎えたこのテリウス大陸そのものがアイクを求めているのだ。混乱にしろ安寧にせよ、アイクという鍵がその中心に求められていることは、身近に接している自分だからこそ認識できるのだろう。
 予言でも理想でもない、あるのはただ塗り固められたような確信。
 時の流れよりも何よりも、真っ先に失ってしまうだろう真実を連れてくる者。
 俺のために生きてくれ、なんて言えないよな?

「多分、オスカーが俺の分も残してくれていると思うが」
 客分であるにも関わらず、自炊をするのはグレイル傭兵団の仕来りみたいなものだろう。
 ラグズの国である以上、ベオクの料理を作れる者はいない。必然的に、と言った方が正しいのかもしれないが、それでも嫌々ながらやっているようには見受けられなかった。
「ん?もしかして、俺も食事にあり付けられるってことか?」
 身支度を整えもせず寝台で足を伸ばしたまま、片目を瞑って尋ねれば、振り向いた眼差しに捉えられる。
「良ければ、俺の分を少し分けるが」
 見かけによらず大食漢である傭兵団長は、スクリミル並みによく食べる。
 摂取するのはほとんどが肉類で、野菜を食べているところは滅多にお目にかからない。一体あの量がこの身体のどこに収まるのか、改めてアイクの頭の先から爪の先までを眺めてみても答は出なかった。
 まあ、間違っても食が細そうには見えないけどな。
「…そうだな、ご馳走になるか」
 先刻まで彼らのリーダーを充分に賞味させてもらっていたのだが、グレイル傭兵団にまた厄介になるのも悪くない。
 くしゃりと顔を綻ばせると、拾い上げたバンダナを額に押し付けられた。
 先に行って待っていると告げられ、そのまま部屋を出て行く。
 服から剥き出しになった肩が廊下を仕切る扉代わりに張られた布に隠れるまでを、眩しそうに見送った。
 何でそんなに、特別ではないことのように。
 自分の一部であるかのように、不自然ではない言葉で、動きで、傍らにあるのか。
 何のことはない。自身が彼を必要としているからだ。
 体も心も血脈も何もかも異なるはずが、最も近くに在ってほしいと求めているからだ。
 簡単に支度を整えられるガリア独特の服を拾いながら、ぽつりぽつり思うことを辿って行く。
 何度認識しても、機転が早いと言われる優秀な思考回路を幾度回転させても、行き着く答は同様。
 俺と同じだ。世界もあいつを求めている。
 戦乱の渦中に身を投じ、その先を拓いて行く運命にある者。
 破滅にしろ、平穏にしろ。アイクが望んでいるものはそんなところにないのだろう。
 ただ、歩いて行く。
 進む先に、見えるものを信じて。
 だから、自分は。俺は、本能のままに思うんだ。
 側にいたい。
 知覚されなくても良い。気づかれなくても良い。願わくば、お前のすべてを見守らせてくれ。
 それが感傷であることを十二分に理解しながら、空気のように、相手も自身を受け入れてくれているならと願った。
 そうすれば、不自由を強いることはなくなるだろう?

 叶わぬ夢を思う。
 その側に居続けられたなら。


-2007/05/26
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