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くら闇の下で1
 デイン国王アシュナードに占拠されたクリミア王都奪還を目指す行軍の途中、別々の宿営にいながら、いつでもそこには一対の眼差しがあった。

「ライからの伝言だ」
 それは、先の戦いでようやく合流したクリミア正規軍の面々と話し合いをしている最中の出来事だった。
 新しく戦列に加わったメンバーとの顔合わせを済ませ、テントの外での立ち話ではあったが、これからの軍の指揮についてジョフレやユリシーズらと意見を交わしていたのだ。
 数ヶ月前、エリンシア姫から正式に爵位を授かったとはいえ、幼い頃から傭兵団で育った自分は作法に疎かった。彼女の臣であるクリミアの重臣たちをあまり刺激しないよう簡単な手ほどきを受けていたのだが、そこへ割り込んできたのはその国と王族間で親交のあるガリアの女戦士だった。
 なぜか肩で息を切らしたレテが、すまない、と顎を引いて詫び、離れた場所からこちらに注意を促した。
 進軍の途中ではあったが、時間は夕刻に近い。ペースを上げてはいるが、これ以上進むのは無理だろうと判断され、この地で夜を明かすことが決定したのはつい先刻だ。夜営の準備を整え、その足で来たのだろう。
 ガリア軍がテントを張っている土地は、ここから大分離れている。ラグズの足にかかればさほどの距離ではないと言われたが、耳の良い彼らがけたたましい喧騒を避けるためには、それくらい離れている必要があったのだろう。
 無論、カイネギス王の命令で参戦しているとはいえ、ベオクに対する偏見がある者も多い。一定の範囲で、不可侵の距離を定めたことは互いにとって有益なことだった。
 その彼女がここまでやって来るということは、よほど折り入った話なのだろうと早々に見当をつけ、一言添えてアイクは仲間たちのいる場から離れた。
 羽織ったマントを翻して、小高い丘の上で待つ、少女のような見目をした戦友の前へ参じる。
 駆け出しの傭兵であった一年前とは装いが異なり、今は慣れない鎧を身に着けている。部分的に、ではあるが、最初はたったこれだけの装備でさえ動きづらいと感じたものだ。
 もう少し機敏に動き回れるよう、軽装をしたいと考えたこともあったが、周囲に示しがつかないからと窘められて現在に至る。将軍職に就いてしまった者の定めだと諭され、承諾したが、もし戦闘に支障が出るようであれば自らをさらに鍛えれば良いだろうと思いつつも、鉄の匂いに敏感な彼女たちの前ではなるべく鎧を外すようにしていた。
 だが獣牙族とはいえ、彼女はそれほどベオクを差別していない。出会った当初は全身で人間を拒絶していたが、戦場でともに戦っているうちに、いつしか仲間としての信頼の方が勝ったのだろう。同盟国であるクリミアの王女とも頻繁に接するのは、ガリア国の代表として関わっているレテの責務だが、王に好意的なエリンシアの影響も少なからずあったのかもしれない。ベオク、殊にグレイル傭兵団に対する態度は、日に日に柔和になってきている。
 その彼女が、何かに見かねたような物腰で、口早に要件を告げた。
「これから二三日。長ければ一週間、会うのを避けてくれ、と言っていた」
「?」
 ライからの伝言だと前置いた台詞を単刀直入に伝え、どういうことなのか、事態がよく飲み込めていない友人を凝視する。
「何かあったのか?」
 彼女の予想通り、一足飛びに、顔の見えない親友に対する懸念をアイクは示した。
 言ったことの真意を質すのではなく、単純にその身を心配しているのだろう。
 大事があったからこそ、ライが見えなくなったのではと直感的に感じたからこその問い。いつもならば、毎朝支度をしている時分必ず彼の元へ出向いていたのに、今日は一度も姿を現さなかったからだろう。
 その不安を払拭すべく、問題はない、とレテは言った。
 断言するからには、恐らくガリア軍の機能がそれによって低迷するわけではないのだろう。むしろ、彼女たちにとって、ライがこちらに姿を現さないこととは無関係であるようだ。
 しかしそれは、質問に対する正確な回答ではない。
「詳しいことは、モゥディに聞いてくれ。…この件に関して、私が説明をするのは難しい」
 視線を逸らすことなく語る独特の雰囲気に真剣さを感じ取り、ここはただ黙って頷くしかないとアイクは判断した。
「わかった」
 こくり、と頭を縦に振る。
 この物分りの良さがアイクの最大の美点だと、薄く目を細めたレテが思ったかどうかは定かではない。


「アあ、ライのコとなら知ってイる」
 ラグズの宿営地からすこし離れた場所で、ガリアの戦士、モゥディは腰を下ろして寛いでいた。
 本来なら、森や草原で小さな生き物たちに囲まれて過ごすことが最大の気晴らしになるのだろう。しかし静寂とは無縁の戦場では、そうすることは至極困難だ。
 彼らは皆、時間を持て余すということはしない。齷齪働くことがないことと等しく、無為な時を過ごすという生き方もしないからだ。他人と関わっているよりも、独りの空間を楽しむ術に長けている。
 ガリアの陣営を正面から突っ切り、大股でやって来たベオクの年若い友人を迎え、ライよりも柔らかい風合いを持つ大柄な虎の戦士は口元だけで微笑んだ。
 獣牙族の特徴である耳も尻尾もない異質の存在は、姿形は他と隔しているのに、さも違和感がないといった風情でラグズの間を歩いてきたのだろう。どこか足早である人影を、幾人かは不審に感じたかもしれない。けれど、祖国の街中を進む時と同様、態度が些かも卑屈ではない人物に、大抵の者は傍らを横切ったことさえ気づかなかったかもしれない。
 困ったような笑いを受けて、果たして危惧していたような状況ではないことをアイクは確信した。
 敵陣の偵察中に怪我を負ったとか、進軍中に不慮の災難に巻き込まれたわけではないようだ。
 先ほど見た軍の様子から察するに、普段通りと評しても差し支えないのだろう。
 だったら、なぜ、会えないのか。
 回りくどく、レテにそれを伝えさせた理由が不明瞭だと思った。
「…ライは、イま、はつじょうきダ」
 だから、おまえは会うべきではない、と妹のミストとも親しい友人は語った。
 耳慣れない言葉を聞かされ、一瞬アイクの目が点になる。
 クリミアに学業を修めに行ったセネリオほど見識は深くないが、父親のグレイルや兄のような存在であるオスカーたちから、恥ずかしくない程度の知識なら教え込まれている。それでも、アイクの脳はモゥディの告げた内容が半分も理解できてはいなかった。
「発情…、とはどういう意味だ?」
 思わず聞き返してしまい、現代語にあまり精通しているとは言い難いモゥディを困らせてしまった。
 要するに、男の機能が発達して、自由が利かない状態なのだと説明をされる。
 語彙が足りず、誤解を受けそうな表現しかできなかったが、彼にとっては最大限の努力をした結果なのだろう。困惑した表情を浮かべた仲間を、アイクは自身の不甲斐なさを反省しつつ見つめ返した。
「…よくわからんが、そんな状態で戦場に出られるのか?」
 真摯な問いに、相手を安心させるよう、背を丸めた大きな頭が首肯を返す。
「戦うコとは問題ナい。生活も、デきる」
 軍がこれまで通り円滑に機能するとレテが言ったのは、やはり間違いではなかったようだ。
 部隊を任されているライに何事かあったとしても、それは影響しないとモゥディは言った。
 だとしたら、何が原因で自分を避けなければならないのか。
 将軍としての職務に従事する若き英雄を気遣うように、モゥディは慣れない共通語を操った。
「はつじょうきハ、ライほどノ歳にナれば、大したコとはなイ」
 要するに、慣れてしまうのだと優しく諭す。
 意のままにならない本性を、本能だと人は評す。そういう、理性では制御が不可能なものを体の中に飼うことになる時期が、稀に訪れるのだという。期間は一定ではなく、周期的というわけではない。すぐに終わってしまうこともあれば、少しばかり長引くこともあるのだそうだ。日常の活動には影響を与えず、他者にそれと知られずに過ごせる者もいる。
 ただ。
「すきな相手がイると、つらイ」
 だからこそ、ライはレテに言伝を頼んだのだろう、と。
 まるで経験があるかのような口振りに、アイクはただ目を見張るしかなかった。
 衝動が、あるのだと言う。神経が麻痺してしまったかのように、そのことしか考えられなくなる。
 その相手のことだけで、身体中に電流が走るような乾きを覚え、獰猛な赤黒い気が爪の先から毛の一本までをも満たしてしまうのだと。
 気配を感じなければ、平素と変わらない生活を送ることができる。であれば、近づかないことが最良の方法なのだろう。
「………………」
 どこか釈然としない、味のない砂を噛んでいるような気分が沸いてくる。
 陽気に、快活に。年齢など関係なく、分け隔てなく接してくる、青い姿が脳裏によみがえった。
 人の心の機微に聡く、時に道理に通じた先輩のように接することのある親友が苦しんでいるのに、何もできないのだろうか。
 父を亡くした夜の、胸騒ぎとは似ても似つかない。しかし、明らかな焦燥が胸の内にある。それを抱えたまま、果たして就寝することができるのだろうか。
 無表情のまま、アイクはつと、地平線へ沈む夕日に視線を馳せた。


-2007/06/08
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