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くら闇の下で3
 器用に牙を引っ掛け、次々と衣を取り払う。
 防寒用のマントの下は夜着ではなかったが、アイクのそれは重装備というほどでもなかった。
 肌着の上に上着を一枚しか纏っていない身なりであったため、外套を剥ぎ取ってしまえば一般市民と同じような服装だった。
 唸るような音を喉奥から発しながら徐々に皮を剥いて行く猛獣の色違いの眼に、下方から覗く蒼い双眸が映る。宝石のように透明度のある眸ではなく、星が地上に落とした鉱石ように深い色。固まったようにそれが見開かれているのは、この状況にどう対処すべきか見当も付かないからだろう。
 すでに獣化し、空と同色の体毛で覆われた親友を下から見上げ、部分的に露にされて行く肌に、いくばくかの後悔の念を抱いているのかもしれない。
 だから、近寄るなと。こちらを挑発するなと、レテを介して警告したつもりだったのだが、願いも空しくそれはアイクの決断によって徒労となった。
 けれど、心のどこかで、こうなることを望んでいた事実を認める。
 穏やかな風のような平素とは様相を異にする、本能の権化。ただ目の前の獲物を喰らい尽くしたいだけの、衝動の化身。
 餌を投げ与えられただけで、解放されたと感じる自由と、裏腹の業。
 どうやっても自分の意思を止められないと悟りながら、その一方ですまないとも思う。
 すでに止められないところまで来ているのに、どこかで詫びる気持ちを手放せないでいる。
 それは、多分、失いたくないからだ。
 今まで培ってきた友情を、信頼を、愛情もすべて裏切ってしまったと思う。掛け替えのない存在。関係、つながりであったはずのベオクの友を、いとも容易く反故にしてしまえるなんて。
 こんなに、悔やまれることはない。対等な人として接する稀有な人間であった青年を、自分の手で切り捨ててしまうなんて。
 なのに、今も尚それを欲望の対象として知覚し続ける野性がいる。欲求の根源で、動機そのものの相手を組み伏せ、蹂躙したいと考える雄。
 これほど強烈且つ決定的なまでに、自我が崩壊するとは思わなかった。同族の間でさえ、否。だからこそだろうか。ラグズではないからこそ、狂ったように求めてしまうのか。
 柔らかな生地を鋭い牙で引き裂いてしまわないよう極力暴走を抑えながら、ベルトのバックルを噛み砕くように歯をかけて外し、ぐいと外衣を引き下ろした。
 布の合わせ目から引き摺り出した下肢の一部は、夜闇の中にあっても視界に白く浮かび上がった。空気に触れたそこに鼻を寄せ、愛撫もなく圧し掛かろうとする影を目撃し、身を硬くした側から突如声が放たれた。
「ま、待て。ライ…!」
 上も下も中途半端にはだけられた恰好のまま、手を伸ばして足の間を隠し、異なる方の手で押し伏せようと重なってくる下肢を押し戻した。
 何もしない状態で受け入れられるほど、アイクは男を知っているわけではない。それでなくとも、化身して通常の何倍も大きなものを見せ付けられているのだ。今までさしたる抵抗もなかったが、軽い怪我では済まないと考えたからこそ、抗ったのだろう。
 それに獣は一瞬剣呑な表情を向けると、五指を開いて阻まれた状態を気にするでもなく、開いた両足の付け根に雄を宛がった。ふわふわとした毛で覆われた下半身を無遠慮に押し付け、持ち上げた腰を刺し貫くわけではなく、溝のある内側へと猫科特有の伸びた男性器を擦り付ける。
 行動の意図がわからず、アイクは眼を見張るようにしてそこを眺めていたが、及ぼされる動きが振動となって前へ与えられる影響に遅まきながら気がついたのだろう。ふらふらと所在無げだったアイクの根元が、芯が入ったように膨らみ始める。
 アイクの内腿は傭兵稼業で鍛えられているだけはあり、張りと弾力に満ちていた。幾分骨が太く、筋っぽい肉の質が、摩擦に平坦ではない変化を与えた。
 いつしか先走る液でぬめるようになった男根の先を、滑らせるようにつと指の隙間の窪みに宛がった。上からぐっと押し付けるように挿入し、重なった拍子に、アイクの背が弓なりに反り返った。前足を屈めてさらに深く折り重なれば、首から胸へと続く長い白毛の下で喘ぎ、声にならない反応を示した。
 頬が一気に上気し、無様に開放された口がぱくぱくと動いた。酸素を求めるように浮ついた唇を見つめ、獣は獲物を仕留めたかのように舌なめずりをした後、そこへ長い舌先を差し込んだ。
 ゆっくりと、しかし確実に、律動に合わせて交合の深度が増して行く。密着しただけの一点が、食い込む体積を受け入れるにつれ、じわじわと結合にすり替わる。圧倒的な感覚を受けながら、アイクの口からは悲鳴の一つも上がらなかった。
 ただ、動揺を抑えるような、くぐもった音が喉奥から漏れる。口中をざらついた獣の舌で舐め回されながら、息をする度、襟首から覗いた肌の上に透明な汗の粒を浮かび上がらせた。
 剥き出しになった胸を何度か大きく上下させた後、アイクはようやく下からこちらを見つめ返した。完全に収めきったわけではないが、受け入れる側の体勢が整ったという点でそれは合意だったのかもしれない。後ろに宛がわれた凶器をひくつく柔肉で包み込み、押し出そうとする反動と懸命に戦っている。
 構わず、大きな動作で腰を打ち付ければ、反射的に漏れる嗚咽のようなものにアイクは心底悔しそうな顔で歯を食い縛った。
 きりりとした眉間を寄せ、どんな難敵と対峙しても怯まない、強い眼差しを歪める。押し寄せる熱の波に抗うような、決定的な反応に、無意識にぐるると喉が鳴った。
 地面の上で身体を二つに折り曲げられ、内臓を突き上げてくる男の質量に何度も頭を振り、アイクは声を絞った。霞んだ目で正面から見下ろしてくる一対の眸を見返し、いつしか苦痛に抗うように土のついた外套を掴んでいた手を差し伸べた。
 ぐらぐらと上から揺り動かされながら、ふうふうと口端から牙を剥いて猛り続ける雄に、迷うことなく額を寄せた。
 獣化していない時と同様、表面に引かれた濃い青の文様に添うように、顔を近づける。
 ライ、と。
 名を呼ぶ声は、熱量に溶けて密やかだ。濡れたように熱を帯びた掠れ声は、誰でもない自身を呼んでいる。明瞭な響きは、歌になって、その耳で溶けた。
 ぴくぴくと青い耳朶が振れ、もっと深く相手と繋がるために、下ろす腰の動きが加速した。
 ぐちゅぐちゅと。まるで性器と性器の性交に取って代わったような音を下半身から立て続けに放ちながら、アイクは柔らかい体毛で擦れる自身によって明らかに快感を得ていた。
 呼吸が浅くなり、一突きするたび理性が失われて行く手応えを実感する。それほどこの身が冷静ではないことを充分に理解しながら、外気に晒され高潮した首の付け根に顔を摺り寄せた。
 開いた大きな口で、急所を抉るように浅く噛み付き、そこを力点におのれをさらに食い込ませる。苦しい姿勢であるにも関わらず、アイクは何かに耐えながら、どこか満足げな表情をしていた。
 どんな苦難に遭っても道を見失わない。
 自分を相手に、それほどの価値があろうはずがないのに。
 そんな当たり前のことを、ふと思い出した。


 一際大きなストロークを受けて、その最奥で張り詰めたものが濡れた壁に突き刺さる。固定し、見極めた先で、たっぷりと獣の精を吐き出した。
 最後の一滴まで搾り出すように律動の余韻をじっくりと味わっていると、同時に果てた側が、少しずつ平静を取り戻し始めた。
 繋がったまま、ああ、と嘆息のような息を吐き出す。
 外で土砂降りにでも当たったかのように濡れそぼった前髪を手の甲でかき上げ、ゆっくりと頭部を動かす。同じ体勢を続けていた手前、どうにも身体を動かしたくて仕方がないのだろう。しかし、髪の毛同様肌に張り付いた布地が鬱陶しくて堪らないようだ。ある意味、余裕があるのか、横柄と捉えられても仕方がないような仕草に、またしても治まりかけた火が疼き出した。
「ライ、もう…」
 良いだろう、と確認を促そうとしたところで、引き抜かれなかった陰茎に突如興った変動を感じ取り、身動きを封じられたようだ。
 しばしの休憩を挟んで、体力が戻りつつあったのか、口調だけならいつもの調子だ。しかし、どうやら一度では足りないらしいことを感じ取り、やおら表情を硬くした。じわじわと広がって行く痺れに軽い興奮を覚え、アイクは彼にとっては珍しく、大仰とも言えるため息を吐いた。
 発情、の意味が何となくわかったような気がする。そう言いたげにまだ化身したままの相手を見上げていたが、すぐに腹を括ったのか、それ以上口を開くことはなかった。
 その代わり、この体勢は普段から辛いと考えていたのか、足だけを横に倒し、腰から上を地面に這う形に移動させた。
 羞恥は、勿論感じているようだ。それでも、人の何倍もある体積と重さに長時間圧し掛かられるのは正直堪えるのだろう。現状に見合う最も良い方法として、体位を変えただけで、そこにそれ以上の作為はない。
 なのに、誘うような行動だと思うのは、自身の僻目なのだろうか。
 力を入れた拍子に局部がきつく締まり、咥え込んだ雄を刺激する。
 そんなことを考えている間に、どす黒い気配が再び全身を支配し始めた。獰猛で、それがおのれ自身から生じたものであっても、決して手綱を持たせない、意識の内外にある存在。
 それも、自分であることに変わりはない。生殖欲に名を借りた、求めることを選び、実行する本心。
 閉じそうになる足の間に後ろ足を割り込ませ、再び交合を再開すると、先刻よりも幾分大きめの呼気が身体の下から聞こえてきた。
 しかし、それもすぐに、浮かされたような忍び声に変わる。
 少しでも離れている距離を縮めようと全身を伏せると、更なる負荷が相手にかかった。
 それでも、やめられない。
 この瞬間だけは、手放すことはできない。
 獣の視界の中、揺れ動く炎のような蒼い髪を見下ろしたまま、熱く滾った情欲が、アイクに向かって太く鮮明に注がれて行く過程をずっと見守り続けた。


-2007/06/15
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