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賑わいの夜
 夜道を駆けることを苦と思う連中は、故郷のガリアには一人とて居はしないだろう。
 同じラグズでも、確かに夜目の利かない部族はいる。
 さもそれが特質であると言わんばかりに、天空から標的を仕留める鳥翼族は一人残らず夜間の行動が制限される。
 たとえ地を這う者どもと蔑まれようが、昼夜を問わず活発に動き回れる自分たちは、やはり使者としては有能なのだろう。
 人の気配の少ない場所を選び、わずかな休憩を挟んでは、取り立てた面倒事にも巻き込まれずとんとん拍子でここまで来ることができたのは幸運だったのだろう。
 国境を越える場面ではさすがに大手を振ってとまでは行かなかったが、それでも数年前に比べれば、格段に異種族としての偏見は表面上穏やかになったと言わざるを得ない。
 ガリアの隣国クリミアが、自身たちの王と国交の再開を約束したことが主な要因であることは間違いないが、くにざかいに近いこの地で、いまだに救国の英雄としての呼び名が高い元クリミア軍の若きリーダーが駐屯していることにも起因しているのだろう。
 人型のベオクと獣化の能力を持ったラグズ。
 双方の架け橋として、両者に分け隔てなく接することのできる数少ない人物。
 剣術の腕や潜在的な統率力だけでなく、根本的な人格の部分で混じりけなく素朴な人間性を慕う人間は少なくない。
 当人はおのれを過小評価しているようだが、若干十数年生きただけで、二つの種族の連合軍を率いて大国デインを下した才能と実行力は、歴史に残る偉業であり、傑物というに相応しい功績であったろう。


 夜行性の動物以外、すでに鳴りを潜めているだろう時刻。
 草木が茂る森から人道を通り過ぎようとしたところで、ぴくりと鼻先が動いた。
 聴覚と嗅覚のどちらが優れているのかと問われれば、勿論聴覚と答えるだろうが、美味そうな獲物を見つけたときと同様の反応が興った理由は存外簡単に知れた。
 青く短い体毛に覆われた尖った耳がぴんと立ち、広範囲を探るアンテナのように前に後ろに倒れる。
 拾った気配とわずかに流れ込んでくる微量の匂いに、すんすんと音もなく鼻孔を動かし、相手に気取られないよう歩行を早めた。
 低姿勢のまま、ほとんど地に足が着いていないかのような早足で即座に距離を詰め、獣道すらない藪の中を蛇行しながら目的へと近づいた。
 決して真正面から鉢合わせにならないよう気を配るのは、生来の習性だ。恐らく獣牙族の誰もが、自身と同じ遭遇を経験したとしても、寸分違わぬ動きを見せただろう。
 ただ、一分でも一秒でも、その姿を早く目にしたい。
 開けた視界の中。たとえそれが夜闇の中であってさえ、本物の姿を確認するためなら、すべての神経と細胞を総動員して、体力や精神力をすり減らしても構わない。
 そう、思えるだけの感慨を一緒に連れてくる者。
 立場上は部下ではあるが同期と言うべきレテやモゥディにこの胸のうちを語ったとしても、必ず頷いてくれるだろうと確信できる。
 とても純粋で、濁りのない思いで希求できる。
 そんな、稀有な存在。
 ベオクの初めての同朋であり、親友であるからこそ、強く抱く感動なのだと。
 語ったところで、素直に共感できるのは、共に戦ったベオクの友人たちの中でも、数人いるかいないかだろう。


「アイク」
 声をかけた途端、大仰ではない動きであちらが身構えたのがわかった。
 何者かの追跡を鋭敏に感じ取ってはいたようだが、その正体を掴みかねていたのだろう。
 無理もない。
 月明かりが頭上を覆う木々の葉に遮られ、人間が肉眼で確かめる術など限られているからだ。
 自分たちから見れば、多岐に渡って能力を制限されていると判断せざるを得ない彼らベオクにとって、獣のような身のこなしで素早く距離を縮め、襲ってくるかもしれない敵を素直に受け入れられる者などいるわけがない。
 精精、見えない敵を脳裏に思い浮かべて、防御か攻撃か。いずれかの対処法を模索する以外方法がないだろう。
 無論、それが同じラグズであっても、おのれの力量が一〇〇パーセント発揮できない限定された条件下では、似たような境遇に陥っただろうことは否定できない。
 にも関わらず、結果がわかってからの立ち直り方が、目を見張るほど早い。
 現実を受容するまでの道のりが直線的で短いとでも評せば良いのか。
 変化に直面した後の混乱した体勢が一過のもので済んでしまうのが、この少年と青年の中間くらいの若者の奇特なところだと言えばそうだった。
 一瞬。ほんの束の間だったが、腰に帯びていた剣の柄に置いていた手を引っ込め、瞳を瞬いた次の瞬間、平素の顔色に戻ってしまう。
 無感動というわけではなく、動揺が長く続かない。未確認の接近者が自分だったからこそ、難なく事実を受け入れられただけかもしれないが。
 こちらの名前を呼ぶ代わりに、小さな頭がこくんと縦に振れた。
 いつもは額に巻いた布の上から顔を覗かせるように生えているはずの前髪が、生身の肌にかかっているのが珍しかった。
「元気そうだな」
 一目見ればわかるようなことを、平然と口にする。
 この辺境とも思しき土地に駐留するまでは大層な肩書きを持っていた手前、愛想がないと思われがちだが、実際のアイクは不調法の類いではない。
 対した者が何者であれ、素で相手をしているのだと知れるのは、その目の色に一切の偽りや隠し事がないからだ。
「そっちは皆、変わりはないみたいだな…?」
 人という種族の中で最も寿命が短いベオクは、目を逸らした隙に急激な変貌を遂げていることが稀にあるから。
 そっと、口には出さずに呟いてみるのは、数百年を生きる部族としての感傷などではない。
 出会えたことを正直に喜び、分かち合えた絆を純粋に誇らしいと思っている。
 だからこそ、先に起こるだろう別れなど、単なる無粋な偶像でしかないと断言できた。
 彼が率いる傭兵団には顔見知りが数多い。それほど親しくない者たちから、姉のように慕う女性まで。
 自身をまるで家族の一員のように受け入れてくれる空気が、懐かしくもあった。
「……それにしても」
 わずかに湿った地面にむき出したような土を踏み、まるで長年の付き合いのある友人のような態度で目的の人物の前へ歩み寄る。
 頭の天辺から爪先まで。しげしげと眺め回しても、向こうは嫌な顔ひとつ見せなかった。
「妙な恰好を、しているじゃないか」
 興味本位で質すと、ああ、と当然のように相槌が返った。
 全身黒ずくめ。
 色だけを意識すれば、さながら彼の右腕とも言うべき策略家を髣髴とさせる。
 目元を覆う長い布で作られたマスクも、羽織った外套も、胴を覆う服も。頭に乗せたつばの広い帽子だけでなく、ズボンから靴から、何もかもが墨を被ったように黒かった。
 携えた剣の鞘や柄にすら念入りに黒色が施されているのだから、非常に凝った仮装だと思う。
 そう捉える以外に合点が行かないと直感したのは、平素との違いが歴然としていたからだ。
 唯一布の隙間から覗いた頭髪と双眸だけが、夜空の星のように蒼く瞬いている。
 アイクの話によると、今日はそういう『お祭りの夜』であるそうだ。
 クリミアでは古くから知られている、仮装の祭りのようなものだと知らされ、また一つベオクについての造詣が深くなったような気がしてくる。
 お祝い事というわけではなく、かといって何かの験を担ぐ慣わしでもないという。
 この時期に決まって、子どもも大人も面白おかしく工夫を凝らした衣装に身を包み、踊ったり食事をしたり、話をしたりするらしい。
 あまり詳しくないと前以て注釈をしていたのは、アイク自身が特に楽しみにしていた事柄ではなかったからだろう。
 どうやらおまえは底抜けに賑やかなのは得意じゃないらしいからな、とは口には出さず、気軽な頷きを返すだけに留めた。
「…で、おまえはさしずめ、黒い勇者ってとこか?」
 全体的な雰囲気から察するに、どう転んでも盗賊や野盗の風情ではない。
 相手から滲み出る純朴な空気がそうさせているのかもしれないが、子どもが泣いて恐れるような悪漢とは程遠い印象だった。
 果たして、アイクの顎が内側に引かれ。
「ミストが言うには、『悪のヒーロー』、だそうだ」
 何のことかさっぱりわからん、と言外に含み、少々困惑したように兄として妹の思惑に異論を唱える。
 とにかく、一週間前から準備をしていたのだから着てくれと、半ば強引に着用を強要させられたそうだ。
 思わず当時の様子を想像してしまい、片方の手の甲を口元に当てて小さく噴き出してしまう。
 どんな人間もアイクなる傑物を意のままに操ることはできないが、唯一肉親である実妹のミストだけは、兄を動かすことができるらしい。
 それも、時と場合によるというのは、彼女の口から時折聞かれるささやかな愚痴ではあったが。
「…ということは、ティアマトの姉さんやセネリオたちも仮装をしているってことか」
 多分、兄のために衣装を揃えたミスト自身もそうなのだろうと納得した上で、馴染みになった面々の姿を思い浮かべ、苦笑いのような複雑な表情に顔を歪める。
「ティアマトは、綺麗だったぞ」
 何でも、御伽噺に出てくる妖精の女王をイメージした服装であったとアイクが付け加える。
 白と見間違えるほど薄いブルーのドレスを着させられていたと聞かされ、だったら尚のこと、彼女の長く見事な赤毛が生えるだろうな、と得心する。
 ベオクなら誰もが知っているような昔話の配役を意識して作っていたらしく、ミストは女の魔法使いで、セネリオは善良な白い魔法使いという設定だったらしい。
 さほど想像力が逞しいとはいえないラグズの中にあっても世間慣れをしていると評価される自身の頭でも想像力が追いつかず、知らず短く唸ってしまう。
 この目で一見して、これをレテたちへの土産話するのも悪くはないと思ってしまうのは、それほど思いがけない出来事だったからだ。
 実際、レテとミストは不思議と気が合い、ベオクの料理というものを少しだけだが彼女から習っていた節もあるようだ。
「それは。…是非とも、見てやらなきゃな」
 主である獅子王や古参の側近であるジフカも喜ぶだろうと納得すると、言うが早いか、早速踊りの輪に混ざろうと早口に告げて相手の手を取った。
 どうやらアイクは女性にダンスを申し込むのが苦手で、こんな辺鄙な所まで逃げてきたらしい。
 ベオクの踊りというのは男から誘うのが通例のようだが、確かに若い少年には気恥ずかしい行為ではあろう。
 というより単に、目的とする異性がいないだけなのか。

「ライの分も、あるぞ」
 腕を引かれても特に声を荒げることなく、横を歩く真っ黒な箒星(ほうきぼし)のような若者が答える。
 変装の道具は、招待を受けたわけでもない自分の分もあると言う。
「へえ、そいつは用意が良いな?」
 ミストには先見の明があるんじゃないか?、と茶化しながら、本題である王の書簡は後で傭兵団長としての役割を担った場面でのアイクに渡すことに決めた。
 急ぎの用があったんじゃないかと質してくる心地好い声音を適当に受け流し、森を切り開いたように開けた場所で賑わう人々と炎の輪に混ざった。
 尻尾のある人間と、そうではない人間と。
 色とりどりの衣装に身を包んだ者が、笑ったり冷やかしたりして、丸い形のランプや杯やお菓子を持って談笑をしている。
 本当は、二人きりで語りたいこともあるにはあったが。
 楽しいことに目がないのは、自身もアイクも同じかもしれないと。

 口々に祝辞のような言葉を投げかける人々の中に飛び込んだ英雄の屈託のない笑い顔を見ながら、そんなことをふと考えた。





-2008/10/20
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