故郷というものを回想した験しは、二度三度。自らの人生の中で、数回はあったように思う。
今となっては断片的な記憶しか残っていないが、出生については仲間内でも詳しく認識されていなかった。
どこから来たのか。どうして、生まれたのか。
とある国に寄生するように、異形と評すべき能力を持った自分たちは彼らとは別格の存在としてそこに在った。何らかの事情で故国が滅んだ後、生き残った者たちは皆思い思いの道を辿り、誰一人そこへ帰ることはなかった。
別れ別れになった血族を案じる気も、再び会いたいと思うこともない。
あの、物体と呼ぶべき一個の生命体によって無に帰したという世界に、未練もない。
命ある者が生き続けている世の中が、元よりおのれにとって憎むべき対象であった以上、自身の手を下さず本懐が遂げられたというなら、いっそ清々したはずだ。現に、その口から奴らはいなくなったと知らされて、胸裡に浮かんだのは同種の思いだった。
獲物を横取りされた気もしないわけではないが、滅ぼしたというならそれで構わない。結果が無でありさえすれば、煩わしいすべてから自身の精神は解放されるはずだった。
なのに、こうして一種のジレンマのようなものに陥っているのはなぜなのか。
我が身すら、この世とともに消してしまいたいと願っていたのに、今あるのは個に対する執着だけ。今まで抱き続けていた野心にも似た、たった一つのものに固執する我。まるで、その醜さこそが真の姿だと言わんばかりに。
そう、実際、それは真実なのだろう。
明かりなど届くはずもない元牢獄の、長い月日を過ごした場所で腰を下ろす。岩と闇に包まれた静寂は、底知れない孤独を象徴すると同時に、封じられていた当時の安息を齎した。
光によって他者を知覚することのない眼は、暗闇であっても、色彩の別はともかく、形のあるなしくらいは容易に判別できる。ゆえに不自由ではないし、繋ぎ止められていた年月の間に、自らの五体のように身近なものとなっていた。
戒められていた鎖を解き、封印を解かれ、自由な体を与えてくれたのは誰でもないあの存在だ。遠い過去に見た地上の太陽のように鮮やかな色を纏った、次元の異なる生き物。
無論、囚われ人を助け出したという自覚はゼロに等しいのだろう。上の世界が予期せずして何もない空間になってしまったから、他の誰かを探しに人が決して辿り着くことのないはるか地下へやって来たに過ぎないからだ。
虚無というべき闇の中から解き放ってくれた恩を感じていないわけではないが、たった二人きりだという現状に満足しているのは、文字通り自分だけだということが、苦みを伴って口中をざらつかせる。一人芝居も良いところだと思いながら、おのれの無力さを痛感した。
何を言っても。恐らく、どう口説いても。
あの口から発されたように、詰まらないものだとの結論にしか至らないのだろう。
不変を退屈だと思わない輩はいない。失うことを恐れているからこそ永久というものを望むのは、一点だけに執着する者にとっての至高だろう。
相手は、自分ではない。その逆も、然り。
だからこそ、侭ならないことに矛盾したような憤りを感じるのだ。
本当に、餓鬼みてえな脳味噌をしていやがる。
言われるまでもなく、どうしようもない我執が理不尽な行動と思考を助長させている。
手綱を握る者もなく、宙に浮いた状態で生き続けているというわけか。
預けられる者もなく、力を有しているがゆえに、生まれながらに独立していたことの付け。
対比する他者が目の前に現れたことによって、結局身の程が知れただけなのだ。他の存在を認め、囚われることを受け入れるということは、相手にとって単なる重荷でしかないのなら。
いっそ、と思う。
どちらかが、束縛を受け入れてしまえば。
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