仕方なく脱力した肢体を掬い上げて、寝た子を起こさないよう、首領パッチの身体を綺麗に洗った。自身の汚れは簡単に落として、注意を払いつつベッドまで運んだが。
結局、萎んでしまった欲望は後悔と相俟って、再び兆す気配すらなかった。
すやすやと眠りこけるオレンジ色の相貌を眺めているだけで、下半身以外の欲求は満たされたと言うべきだろう。
幸福そうに微笑んだまま眠っている様を見守り続けられるのなら、それもある意味至福ではある。涎が口端から零れていたり、寝言のような奇妙な笑い声が漏れるのを聞いているだけでも、悪い状況とは言い難い。
最後までしたかったのだという願望には、とりあえず目を瞑った。
そのうち、うとうとと意識を手放していたのだろう。
気がつくと、腕に抱えるようにして眠っていた者が、逞しい体の下敷きになりながら、ぺちぺちと頬を叩いていた。
広げてしまえば割と面積のある掌で、包むようにはたいてくる。硬い皮だけのほとんど骨の感触しかしなさそうなところに触れても、気持ち良くなどないだろう。それでもすぐに起きるとわかっていたのか、三回くらいで動きを止めた。
「…ああ、おやびん」
おはようございます、と目を擦りもせず相手を知覚する。
三白眼であるためいつも双眸を見開いているように映るが、当然本人には自覚がない。しかし、どこか呆れたような口調で言った。
「はようっつーか、まだ朝には早い感じ」
見れば、足だけを残して、上体はすっかり枕の上に抜け出していた。
破天荒にしてみれば添い寝のつもりだったが、いつしか覆い被さっていたのだろう。故意ではないが、まさかそれで目が覚めたわけではあるまい。
だが、そこで尻餅をついた恰好には些か問題があった。無造作に広げられた足の間を目の当たりにしていると、夢の続きを見ているような心地に囚われる。
「大丈夫かよ?」
起き抜けに正気かどうかを尋ねられ、破天荒はあからさまに不可解な面持ちになった。
寝起きが芳しくないのは、今に始まったことではない。首領パッチとて先刻承知しているはずだったが、何となく見上げてくる視線が怖いものでも見るような目つきだった。その理由すら、判然としない。
「すげえぞ、おまえの眉間の皺」
見張ったような目つきで凝視されれば、わずかな動揺を感じる。
すげえなんてもんじゃねえと、その口振りは暗に事実を訴えているようなものだった。
恐らく、封印でも解いた時のように険しい顔つきになっているのだろう。顔面の中心部に深い溝と影が幾重にも刻まれているような、余程凄みのある風体なのだろう。
顔が中心に寄っているようだと表したら、どんな動物かと疑われそうなものだ。
「……………」
何事かいらえを返さなければならない場面だが、思うように言葉が出てこなかった。
機嫌が悪いのを肯定するにしても、取り繕うにしても、どうやらやる気が出ないようだ。つまりは、風呂場での消沈がまだ燻っているのだろう。
なんだよう、と首領パッチは唇を尖らせた。
もしかして自分の所為なのかという疑問を、これっぽっちも抱いていないかのようだ。
実際、さっぱりわかっていないのだろう。
他人の心中に敏感な首領パッチというのも、有り難くはないが。
「…………おやびん」
ようやく出てきた声は内心を如実に表わすかの如く、低く、どすが利いていた。向かう側が、更に驚いたような表情を作る。
「どこまで、記憶がありますか?」
昨日の行為を覚えているかと問う。
前置きのない質問に、あ?、とその口が丸く開いた。
「俺は生まれてこの方、記憶が飛んでることなんて皿にあるぜ?」
その証拠にしょっちゅう忘れ物をしていると、自慢するように胸を張る。
なんとなく破天荒の脳裏には、この子は本当にどうしようもない馬鹿なんですと、サングラスから溢れ出す涙にハンカチを当てながら訴えるボボ子の姿が思い浮かんだ。
朝っぱらから気味の悪いものを思い浮かべてしまうほど、空しい思いに囚われる。
「………そうですか…」
はっきりしない反応に、なんだよ、と益々首領パッチは機嫌を損ねたようだ。
元気がないというか、辛気臭いというか。つまり覇気が感じられないのだが。
ただでさえでかい図体をしているのだから、快活でもなければ単なる粗大芥みたいなものだと考えているのだろう。
人様の邪魔になるだけの存在だと本気で思っているかどうかは定かでないが、似たような理由で腹を立ててもおかしくはなかった。
「言いたいことがあるなら言えよ!!」
目の前でいじいじされては気持ち悪ぃと指摘され、では、と破天荒は姿勢を正した。
長い足を動かしてシーツの上に膝を折る。
正座し、黒いズボンで隠された膝小僧に両の拳を乗せた。
正面から真摯な眼差しで見つめ返すと、枕辺の人はたじろいだ。
「短く話せよな」
長い説教は御免だと顔を顰める。
確かに、これでは親に怒られる子どものようなシチュエーションだ。
実際ハジケ村では、コパッチに畳みの上に座らされて、叱られた経験がある。
破天荒にとって、至上とも言うべき首領パッチに対してそんな不遜な真似をすることなど不可能に近かったが、親分を嗜める能力のあるコパッチは確かにいた。
そいつがどのコパッチだったのかは今以てわからないし、もしかしたらその役目というのは劇の配役が日々変わるように、いつでも一定のコパッチが行っていることではないのかもしれない。ローテーションと言っては組織的過ぎるイメージがあるが、その場に見合った奴が適当に選ばれているような印象だった。
とはいえ、叱り役ならぬお小言係の順番が自身に回ってくることはない。いつでも最下位であり、一番下っ端であるからこそ、自分は親分である首領パッチに気に入られているのだと思っていた。
気に入るとは、無論遊び相手として丁度良いという意味合いでだ。
相手にしてみれば、ハジケ組の一員である以外、誰もが上も下も中もないのだから。
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