夢みたいです、とそいつは言った。
ずっと忘れられなかったんですと繰り返す。
全然、何を言っているのかわけがわからなかった。
だが、ショートケーキを食わせてもらっている立場だったので、文句は言えない。
ここは、ケーキ屋兼軽食屋って感じの店だ。ファミリーレストランよりちょっと小洒落てて、周りにはカップルも多いが、女同士の客も沢山いた。男同士は、確かめなくても自分たちだけだろう。
甘い物は苦手だとかで、向こうは一丁前にコーヒーを頼んでいた。
しかも、ブラック。
ミルクぐらい入れるのが子どもの嗜みだろと思っても、口には出さなかった。要するに、手も口もそれどころじゃなかったっつーか。
波打ったクリームの天辺から一思いにフォークを突き刺し、大きな塊のままスポンジごとばくばくと平らげる。最初にメインディッシュである苺を食べてしまえば、あとはもう遠慮はなしだ。
その黄色い栗坊は、馬鹿みたいに餌に喰らい付く俺をずっと眺めていた。不躾な視線だったが、食ってる最中、他人なんか構っている暇はねえ。
皿まで綺麗に舐めて、ようやく握っていたフォークを机の上に置いた。
時間にして一分ちょい。たった三コマで終了って感じだった。
お次はオレンジジュースだ。甘い物のダブルパンチで、見ている方は胸焼けを起こしそうな取り合わせだったが、それでも凝視をやめない。
意外と、食わず嫌いなんじゃねーの。
そう思いつつ、鋭い目線を投げかける。
別に、相手が気に入らないから吊り上がった目で見てるわけじゃない。
初対面でいきなり奢るとか言う奴は軟派野郎と思えなくないが、単なるファン心理ってやつだろう。
ハジケ村どころか、世界中で有名な俺を慕ってくる奴は、コパッチ並みにいる。単純にそいつらが全員コパッチだっつーオチは、俺の胸の中だけのツッコミネタだってことにして。
ただ、何となく警戒していた。具体的な理由があったわけじゃなかったが、そうさせるものがあったからだ。
奴が首に巻いている、ど派手な赤いボーダーに見覚えがあった。
そうだな。
蚯蚓に似てると言えばわかり易いだろうか。
俺はこいつと、泥んこ遊びをしている最中に出会ったような気がする。
「おかわりはいらないですか?」
殊勝にも、食い終わって手持ち無沙汰なったこっちを気遣っているようだ。
にこにこと、その目元は出会った時からひっきりなしに笑っている。余程この状況が嬉しいらしい。有名人と同席できるなんて、滅多にあることじゃないんだろう。
だからと言って、子どもに奢らせてるのがわかっているのに、二つも三つも食べる奴はいない。普段の俺なら、十皿くらい一気に頼む気もするが。
それより、今はこいつの正体を探るのが先決だった。
「何か、おかしな顔してますか?」
急にそわそわしたように、そいつは瞳をさ迷わせた。
心なしか、顔も赤い。
見られてるくらいで、いちいち落ち着きのない野郎だぜ。
と言っても、まだ餓鬼だけど。
「…どっかで、会ったよな…?」
慎重な口調で話しかけると、驚いたように目を見開いた。
点になった双眸が、白目に穴が開いたように見えて妙に怖いと思ったのは錯覚なんだろーか。
例えるなら、獲物を見つけた時の猛禽類のそれっぽい。
鋭いってーか、刺さりそうなくらい痛かった。
けどそんな違和感はすぐに消し去って、はは、とそれを笑いに変えた。
頭を掻いて、困ったように相好を崩す。
「覚えてないですか。そりゃ、そうですよね…」
もう何年も前だし、と付け加える。
やっぱり、あそこの公園か。
なるほど、と無意識に俺は右手を顎に当てた。
段々、読めてきたぜ。
三年前、おやつを待ちながら砂場で泥遊びをしていた時。いきなり真横にあった藪の中から出てきたのが、こいつだったはずだ。
飛び掛かってきたわけじゃなかったけど、一瞬つちのこと見間違えるところだったのを、俺の脳味噌が記憶していた。
忘れるわけがない。さっきまで、全然思いつかなかったけど。
太くて目立つ、赤と白の縞々。
ってか、えるまーという奴が飼っている竜とかいうのが、そんな模様だったかもしれない。
「あれからもう、随分と経ってるから…」
途端に消沈したように、テーブルの上で項垂れる。
がっくりと落ちた肩には、浅い溜め息がくっついていた。
奴の言う通り、年月は確実に過ぎていた。
絵本でおまえと出会ったのは、俺が何度目かの転生を果たした時だった。
その当時はコパッチもまだ三六〇人くらいで、一冊の本をみんなで奪い合ったっけ。そんでもって布団も一組っきゃなくて、結局畳みの上で全員で寝転がって眠っていた覚えがある。
当時を忍びながら感慨深げに腕を組んで頷いていると、さっきより格段にマシな笑みがその口元に浮かんだ。
「でも、俺の気持ちはあの頃と少しも変わってません」
その台詞を聞いて、え、とか思った。
生憎、俺はえるまーって奴と竜が何をしたかという話の内容についてはすっかり忘れていた。ただ、あの縞々の模様だけは物凄く印象深かったから、思い出すことができただけだ。それくらい、幼心にもインパクトを与えた絵本だったっつーか。
ついでに言えば、その竜って奴の瞳は、黒い点々だったような気がする。
………てか、何か違くない?
そもそも、全身の縞は青だった可能性もある。
どんなだったか、表紙の絵が全然思い出せねえ。
混乱していると、静かだが真剣な声が聞こえてきた。
「俺は、今でもあなたが好きです。あなたと…」
切実なような、けどどこか獰猛な目付きで見据えてくる。
「あなたと、一つになりたい」
語尾を強調し、生真面目に顰められた顔がずいと近づいた。
見返す俺は、それとは全く違うことで困惑していた。
えるまーの友達の竜の縞は赤だっけ、青だっけ。
赤だったような気もするし、青い縞々の絵も目にしたことがあるように記憶している。考えているうちに、どっちのバージョンもあったような気になってきた。いや、事実二種類あったかもしんない。今から、本屋さん行って調べてこなきゃ…!でないと今夜、俺眠れねえッ!!!
がたん、と椅子を立った。正しくは、高い位置で宙ぶらりんだった足を地面に着地させただけだが。
今からでも商店街の本屋へ行けば、その本を探せるだろう。何せ児童書は、昔から俺の良きパートナーだった。多分、ハジケ組にあった本はコパッチたちにぼろぼろにされているだろうから、売ってる所で探した方が見つけられる可能性は高い。
俺は早々に店を出た。奢りと言われていた以上、伝票なんかにゃ構わない。何事かと慌てて追い縋って来る奴に、俺は先ほどの返事をした。
「無理」
なぜなら、俺の心は海豹よりも自由だから。
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