+ ハパチ。 +

03/続・破天荒の恋

 突然手を掴まれ、物凄い勢いで引っ張られるようにして店から引きずり出された。
 外へ出れば、周囲は格好の散歩日和で、ショッピングを楽しむ若者たちが無数に往き来している。
 陽は随分傾いてしまったとはいえ、空の青と街路樹の緑が眩しいこんな日に、いきなり表情を硬くした子どもに連れて行かれるなんて滑稽も良いとこだった。
 長閑な風景の中、顔の位置だけは自分より高い子どもの背中が行き過ぎる景色の中心にある。
 痛ぇよ、と握られた手の痛みを訴えても、振り返りもしない。
 唇を尖らせてぶーぶー文句を吐き出しながら、大股に前方を突き進む影を見ていた。
 そこで、ようやくあることに俺は気づいた。ていうか、初めからそうだったのかもしれない。
 てっきり俺は、相手のマフラーの色は赤と白だと思い込んでいたが、よく見ると違った。
 赤いのはジャケットの方で、マフラーはなんか紫っぽい微妙な色だった。
 てことは、どういうことなのか。
 こいつは、俺が想像していた奴じゃない。
 突如として、まるで雷に撃たれた時みたく、自身の勘違いを悟った。
 いわゆる、先入観的早とちり。そんでもって、一人だけの連想クイズ(古)。
 それ以上に、声をかけられてからというもの、一度として向こうをちゃんと認識していなかったのがバレバレな感じだった。
 嘘、何で?
 誰コイツ!?
 途端に、ただでさえ容量の少ない脳味噌がパニックになった。
 メモリが少ないから、慌てだすと自分でも収拾が付かなくなる。もはや、どこへ行くのかも問える状態じゃなくなった。
 正気づいた時には、なぜかホテルの一室へ辿り着いていた。

「………」
 初めて来たけど、ここって子どもに内緒のえっちな宿屋じゃねえの。
 住んでる村でも、時々その手のチラシが郵便受けに入っていたりする。
 餓鬼の見るモンじゃねえと言って子分どもには見せなかったけど、何度かそれを読んでみたことがある。
 チラシってことで、言っていることはそのほとんどが意味不明だったけれど、とりあえず休むところだってのはわかった。
 しかも、色んな設備が付いているらしい。けど、入場料は時間制と来ている。
 遊園地の方がお得だと思って、ぽいとゴミ箱へ放っていたが。
 部屋がピンクでひらひらで、照明が無茶苦茶色付いてるんですけど。
 てか、聞いていた通りミラーボールまである。踊りのためか?
 布団の近くにはでかい鏡まであった。天井にまで付いてら。すげえ。どんな角度からも、踊る姿は丸見えって感じだった。
 いつもの俺だったら、珍しい所に連れてきてくれて感激したり興奮したりしたかもしれない。けれど予想を裏切り、こいつは俺の知らない奴だった。
 それだけならどうってことはないのだが、嫌な予感がさっきから俺のトゲを刺激し続けている。ぴりぴりと静電気が表面で帯電したままのような、滅多に味わうことのできない緊張感。第六感が、何事かを告げている。
 とりあえず、昼寝の時間ですよ、という内容ではないようだ。食欲が満たされれば、そのうち自然と眠くなって来るとは思うが。
 俺は年上であることを理由に、餓鬼を相手に諭すことにした。
 ここって、大人じゃねえと入れねえとこじゃん。
 非難するつもりはなかったのだが、ぶっきらぼうに告げられた言葉に、ああ、と少年らしからぬ顔つきで向こうは返答した。
「このホテルの管理人とは、顔見知りなんです」
 俺をベッドに座らせて、そいつは目の前で突っ立ったままだ。
 まるでこっちが逃げないように、見張ってるみたいだった。
 ただ、距離は幾分開いていた。寝床に腰掛けている俺が足を突き出しても、当たらない位置にいる。
 なんで、そんな微妙な所にいるのか。
 また、よくわからない根拠みたいなものに遭遇した気になった。
「ふーん」
 大して興味もなく呟いてみる。
 こんなところを寝座にしてるのかとも思ったが、事情を聞くつもりはなかった。
 所詮、今日限りの関係なんだから。
「で、何の用だよ」
 おやつも食ったことだし、いい加減ハジケ村に帰りたい。
 帰ってすることがあったわけじゃなかったが、コパッチの奴らは俺がいなくなると何するかわからない。
 勿論、寂しがってはいるだろうけれど、パチの居ぬ間に洗濯、とか言って、全員の布団を洗っていそうな気がした。
 その数、凡そ二千。当然、一日で終わる量じゃない。それを邪魔できなくて、何がハジケ組の親分か。
 俺は、泥んこの姿でその布団を汚すことを夢見た。間違っても、嫌がらせの類いじゃない。
 俺の、魂のハジケがそれを望んでいるだけだ。
「先刻、無理だって言いましたよね?」
 一見、そいつは哀しそうな顔をしているようだった。
 でも、本当のところはわからない。
 眉毛の端っこが情けなく垂れ下がっているが、眼は全然変わっていなかった。
 出会い頭から今まで。こいつは瞬く時以外、目玉の中の色のある部分の形を変えたことがなかった。
 怖い、と思ったのは、笑っているのにその場所だけが素のままだと思ったからだ。
 こいつも俺と同じ、おのれの内に修羅を持つ男なのか。
 眉の位置に黒々と艶のある味付け海苔を付けて、渋くシリアスを気取っていると、いきなり間を詰められた。
 肩を掴むようにして両腕の付け根の上を掌で押さえ、頭上からじっと見下ろす。吐き出される声の振動が、そのままびりびり伝わってくるような気がした。
 一つになりたいと言った言葉を否定したのが、余程癪に障ったんだろう。
 けど、俺だって九九は二の段まで暗記している。それくらい、数学には自信があった。だから、一足す一が二であることくらい、当たり前のようにわかってるんだ。
 そう主張すると、困ったように首を傾げてから、毬栗頭は更に口角を吊り上げた。
「俺は、そうは思いません」
「だって、どう考えても無理じゃん」
 そもそも、おまえの身体はどう見ても機械的じゃねえ。
 それに、合体には相性ってものがある。
 心と心が通じ合う、ハジケの響きにも似た魂の共鳴。血の鼓動。それを感じて初めて、そいつと意気投合できるって寸法だ。
 残念だが、眼前のこいつは全然脈なしだった。
 ていうか、俺が神経質になり過ぎてんのか?、と思う。
 ここまで奇妙な動悸が襲ってくるような奴なんて、確かに初めてかもしれない。
「……なあ」
 思い切って、聞いてみる。
「…やっぱ、どっかで会ってるだろ」
 上目遣いで、大きいけれど三白眼の、自分と似たり寄ったりの眼光を見返した。
「でも、ぱっちんさんは、俺のことを忘れちゃってるんですよね?」
 少しだけ驚いたような表情をしてから、そいつは躊躇いがちに声をかけて来た。
「ああ、全然覚えてねえ」
 はっきりと明言する。
 だって、マジ、何も記憶にねえもん。
「それじゃあ、教えたくないです」
 思い出してくれるまではと言い添える。
 何だよそれ、と思った。
 隠し事するなんて、俺に対する宣戦布告かってーの。
 ぶーぶーと本日二回目のぶーいんぐを噛ましていると、そんな態度に相手も辟易したようだ。
 暫く眺めてから、妥協策として一つの案を提示した。
「そんなに知りたいのなら、教えても良いですが…」
 よっしゃ、と俺は心中で指を鳴らした。
 どうやら、諦めて要求を呑んでくれるらしい。まんまとしてやったぜと思いながら、言葉の続きを待った。
 でも、と一言付け加える。
「その代わり、俺の望みを叶えさせてください」
 じっと見つめ続ける、その顔が間近にあった。
 凝視してくる目線が、ちょっと見返しづらくなってきた。認めたくないことだが、形勢不利な感じだった。
 こういう場合、嫌だと突っ撥ねれば事は済むんだろうけど、生憎俺は好奇心とは無縁な質じゃなかった。むしろ、隠されればすっげえ気になる。悶々としてくるっつーか、抑えが利かなくなるっつーか。
 コパッチたちに言わせれば、『おやびんはお調子者だから』でオチが着くんだろう。その、どうしようもない性根が、疼いてきて居たたまれなくなった。もう、これでもかってくらいに、うずうずしてくる。
 ぎゅ、とベッドの上に投げ出された手で拳を作った。
 どれほど強く握っても、むずむず感は治まらなかった。唇を引き結んで堪えても、衝動には抗いきれなかった。
「…………っ…」
 湧き上がってくる欲求に降参したように、良いぜ、と声を絞り出す。
 言った途端、あっという間に後ろの寝床と背中がくっついた。

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