+ ハパチ。 +

04/あんこの気持ち

 一瞬意図がわからず、袋を携えたまま呆然と見返した。
「それは、無理でしょう」
 自然と吐き出された言葉に、下方にある目線がこちらを射抜いた。
「無理じゃねえ」
 いや、無理だろう。
 咄嗟に言い返してしまいたくなるほど、破天荒の心中は憮然としていた。
 駄々っ子を宥めているのはどちらなのか。
 いつしか口振りが、喧嘩腰のそれになる。
「買って来いと頼まれたのは、おやびんじゃないじゃないですか」
 目上の人間に対するには不釣合いなほど、物言いはぞんざいだ。
 放言しておきながら、内心でまずい兆候だと破天荒は思った。
 なぜ向きになっているのか、自分でもわからない。
 兄貴分であるコパッチの命令なら、従うのが道理だ。しかし、その上を行く親分の言うことなら、譲歩したとしても不条理ではない。
 なのに譲れないと思ったのは、単なる自身のわがままだ。
 何でも従順にこうべを垂れるより、少し反抗を示した方が相手の意識に入って行けるのではないか。瑣末で自虐的な感情だったが、心のどこかにそれが潜んでいるのではないかと冷静な思考で推測する。
 正論に縋って彼の中に入って行こうとする、卑屈な精神が根底にあるのではないかと。
「まどろっこしいなあ」
 意外と堅い頭をしてるな、と軽く断じられる。
 悪いという意味合いが含まれてはいなかったにせよ、反射的にずきりと胸が痛んだ。
「おまえって、コパッチのでっかい版みたいだな?」
 見た目は全然違うのに。
 首領パッチに批判されたのだと感じたが、台詞とともに綻んだ顔が印象的だった。
 先刻は痛いと思ったことが、今度は奇妙な趣へ変じる。
 滑稽だと思った。向こうの一挙一動に、痛がったり嬉しがったり、もっと別な感覚を得たりしている。それだけ影響力が大きいのだろう。それだけ、自身が物怖じしているのだろう。そして、その力の分だけ欲しているのだろうと思った。
 相手は、何を期待していたのだろう。
 言葉を聞き、首領パッチは自分にどんな役割を当てはめていたのだろうと、胸の内に湧き上がってくるものがある。
「…おやびんが」
 唾を飲み込み、その音を懸命に隠しながら言い継いだ。
「おやびんだから、堅くなるんですよ」
 いい加減な性格だから、それをフォローしようと周りの連中が気を利かすのだと。
 実際、自分も曖昧な質だ。大雑把で、一つの見解に囚われることがない。評価するという行為自体を投げ出すような傾向があった。世界に失望しているがゆえに、あらゆる事物に興味がなかった。だから、何にも意義を見出さない。それに間違いはなかった。
 そう、今までは。
 にも関わらず、こうして世話好きな人間を演じさせるのは、その上を行く存在がいるからなのだと弁明する。
 言っていることは事実だ。対等の立場であれば、自分は彼と悪友の間柄になれたかもしれない。だが、選んだのは相手を上に頂く立場だった。
 その選択は、誤りではなかったと言うことはできる。反面、失敗したのではないかと後悔している。それらを内包していながら、不満を感じることは少なかった。
 なぜなら、現状が自身にとって望まざるものではなかったからだ。
「めんどくせーな」
 首領パッチは平坦な声で告げると、徐に腕を伸ばした。
 枝よりも太く、幹よりも細い。
 当てはめるもののないような白い腕が片方、こちらに向かって伸びてきた。
 身構えそうになったのは、警戒心からではない。いつしか胸中に芽生えた期待感に、息が止まりそうになったからだ。
 大して長くもないそれが、ぐ、と掴んだのは、放り出したままの自分の指だった。
 それも、根元ではなく、第一関節の辺り。
 思いがけず触れた温もりは、身長が吊り合わないのか、奇妙な位置で留まった。
「良いから、付いて来いよ」
 おやつ係を名乗ったからには、ある程度目標を想定していたのだろう。
 快活な声音とともに、勝気な眼差しが見上げてくる。
 そこに引き付けられるように、目がその光景を注視する。
 ただ一点で、自身と相手は繋がっていた。それによって、距離が狭まる。強制的に、居場所が限られる。
 密着するほどではないにせよ、今この場には自分以上に首領パッチの側にいる人間はいない。こうして、触れ合っているのはおのれ以外にはいないのだと言い切ることができる。
 他の誰でもないということに、形容し難い興奮が身体の内に興った。
 何かを言いかけ、口を開こうとしてやめた。
 先手を制するように、指を掴んだ側が動いたからだ。
 付いて来いと発言した手前、主導権はあちらが所有しているのだろう。事実、引っ張られた者も抵抗するつもりはなかった。
 行き先は凡そ見当が付いていたが、破天荒は何も言わず道行きに従った。
 思ったより、強い力だ。だが、付いてゆく足取りは少しも重くない。それどころか、枷を解き放たれたように身軽でさえあった。
 こんなに、解放されたような気持ちになったのは何年振りだろう。
 単独で生きていてさえ、どこか束縛されているという意識があった。
 血統ゆえにせよ、背負った宿命にせよ。自らの意思で地面に立っていてさえ、不自由だと感じることがある。
 奔放であり続け、心中に何も住まわせなかったはずなのに、侭ならない部分を抱え続けていたと言えば正当だろうか。
 自身でさえ掌握できないものを、呆気なく解き放ってしまったのは、ただの人だった。
 只者、という意味では、全く正反対の存在だが、たった一人の、一つきりの人だった。

Copyright(C) HARIKONOTORA (PAPER TIGER) midoh All Rights Reserved.