実際、あのままマフラーを掴まれたままでなくて良かったと思う。
もしあの体勢で倒れていたら、確実に急所が締まっていた。要するに、頭部と胴体を繋ぐあそこだが、小さくても一応首と呼ばれる部位はある。普段は大きな上に長さも大分ある毛糸の防寒具で守られているが、何かと重宝するそれも、下手をすれば凶器になり得ると、どこかの教師が話していたような気がする。
ふざけ合ったり、遊び合ったりしているうちに、掴んで転倒するようなことだけは、あってはならないと。
「…………………」
目覚めて一番に考えたことは、ここはどこだろうということ。
天井を見上げているだけでも、普通の家屋よりかなり木材の割合が多いように思う。これが俗に言う、和風の家だとの判断が下せず、頬が熱を持っていることを感じながら、横脇に視線を傾けた。
全身は、なぜか仰向けになったまま縛られたように身動きができない。
きっと、熱の所為だと思っていたが、その原因の半分は、煎餅のように固くて重い掛け布団にあったようだ。
「お?気が付いたか?」
視界の脇に、にょっきりと角が生える。
突起物、というほどか弱くないそれは、全体を現すにつれて、巨大なトゲであることが判明した。
胴であろう大きな球体の中心から十二方向へ広がったそれは、神々しさも去ることながら、どうにかして触ってみたい欲求を興させるほど奇妙な見てくれをしていた。
「ここは、ハジケ組の百七十八番目の出張所だ」
他に分署もあって、管轄区域はここを含めて八百六十七箇所あると説く。
具合のためか、言っている意味がよくわからなかったが、きっと、言っている本人が一番意味不明だろうと思った。
よいしょ、と正座を解き、丸とトゲの人は枕元へ歩み寄った。
そっと、細い、針金より少し太いくらいの腕を伸ばし、その掌で額に触れる。
一瞬、身構えようと焦りはしたものの、なぜか大人しくそれを受け入れてしまう。意表を付いた行動であったはずなのに、あまりに動きが滑らかだったからだろうか。呆けのように見惚れてしまっていたからだとは、考えもしなかった。
うーん、とその蜜柑よりも甘みの濃そうな色の生き物は眉間を歪めて唸ったようだ。
「まだ、熱があるな」
ま、用心に越したことはねえだろう、と言い、その場に尻餅をつく。
触れられた部分が、一気に冷えて行くような感覚が襲った。そこで初めて、自分はその行為を不快と感じなかったことに気がついた。
「……あ、…」
りがとう、と告げそうになって、そんな台詞はここ最近言ったことがなかったな、と思う。
慣れないことはするもんじゃない。
そう言わんばかりに、声はあの音だけで止まってしまった。
倒れた自分を助けてくれたのに。しかも、布団まで敷いて、看病してくれたのだろうか。
「ん?」
気にした風もなく、足を開いたまま、相手は後方で両手を突いた。
そこが土間だろうと畳だろうと、頓着した様子もない。今まで座っていた位置には、座布団なる敷物すら敷かれていなかった。
本当に、ここはどこなのだろうと思いつつ、正体不明のその影を一瞥する。見ているだけでは進歩がないことなど充分理解していたが、目が釘付けになっている事実を、頭部の後ろの方からじんわりと知覚する。
目の前で展開された光景を大股開きだと解釈した瞬間、かっと全身が新たな熱で火照った。
何を考えていたかなど、情操とともに肉体的機能がある程度発達すれば、一目瞭然だ。眼前に、ではないが、間近にそれと思しき箇所を見せ付けられて、勃たない方が男としてどうかしている。いや、そうなると世界は不能の集団かと思われそうだが、要するに自分にとってそこは、異性の股間よりもはるかに魅力的な場所だった。
なぜ、そんなことを思い込んでしまったのか。
知らない。下半身に、直接聞いてくれ。
馬鹿のような独り芝居を脳裏で繰り広げている間も、どっくんどっくんと高鳴る鼓動は留まることを知らない。そして、何となく、自分はこの人を知っているんじゃなかろうかと思い始めた。
いつか、そうだ。
まだ、王国が滅びていなかった頃、自身はこの人と似た人に恋をしたのではないか。
似ているどころか、まんま本人だ、と思い至るまで、まじまじとその青い豆のような双眸と、無防備に晒されたままの足の間のつるりとした面積を見比べた。
「あの、もしかして……」
あ?、と言葉の先を促すように、オレンジ色のその人は首を傾げた。
わずかな間を置いて、何のことか思いついたように、白い手袋で包まれた手を打った。
「寒いのか?」
「え?あ、いや…」
高熱のために寒気を覚えると訴えたわけではないのに、勝手にそうだと解釈されてしまったようだ。
しかし、ここである発案を閃いた。
俗物的な言い方をすれば、好都合ではないかと内心でほくそ笑んだ。
ここで手を拱いては一族の名折れ。…かどうかは定かではないが、狙った獲物を逃すまいと、咄嗟に機転を利かせた。
「寒い、です。一緒に…」
おずおずと頼み事を口にしているようで、早く実行に移したいという性急な衝動が災いして早口になってしまう。けれど、そんなことに気を留めている余裕はなかった。
「一緒に、寝てくれませんか?」
「……………」
ぱちくり、と大きく一度瞬きをし、その人は簡単なお使いでも頼まれた時のように、良いぜ、と快諾した。
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