■ Beyblade ■
長話 ■

 見事に。
 とっぷりと日は暮れて、李はあたりを見まわした。夜禽鳥の声が届き、静寂が周囲を包んでいる。すでに岩に腰を下ろしていた”連れ”に視線を戻す。
 一周した間に思い浮かんだのは、寝床となる場所はここで良いかということ。相手もベッドなど要求するつもりがないのは救われた。物の揃わぬ森の中で坊ちゃん面をされても『ない』の一点張りをするだけだ。常備がないところで寝るから、『野宿』だろう。
「火は焚かないぞ。物がないから」
 抑揚のない口調に、相手が頷く。予想していたのとは違った反応に、少し意外な気がした。無責任な物言いに雷の一つでも落ちるかと思ったのだが。
 かすかにでも自分の責任だと思っているのだろうか。本来無関係の李を連れここまで来てしまったことに。
 だが、李の計算ではこのまま行けば自分の村に着くとわかっているので、特段この成り行きを蒸し返して騒ぎ立てるものではなかった。”カイ”に付き合ったのは自分の勝手だし、誰の意思でもない。だから責めるのはお門違いというものだ。
 岩に越しかけたまま、羽を首に巻いた人物が天井を仰ぐ。
 蒼の天蓋。
 悠久に広がる空の絨毯。
 眼差しに懐かしげな影が見て取れて、不意に口を挟んだ。
「故郷でも思い出してるのか?」
 上向いた顎はそのまま、視線も寄越さず答えが返った。
「別に」
 それしかないのか、と悟られぬよう肩を竦める。しゃがみこんだ場所に周りからひっこぬいてきた草を敷きながら、続きを聞いた。
 目を見開いて瞬きすら忘れたように、開いた口端がわずかに歪む。
「色は違っても、どこも同じだ」
 端的な台詞だったが、そう感じた、と李には届いた。どこってどこのことだ、と顔も向けずに尋ねる。本腰を入れて話をするのではなく、ただ流している印象だった。その方が、多分。カイは語る。
 聞いてほしくないから会話を断つし、真正面から見据えられれば跳ね除ける。慣れていないというよりは、一種の嫌悪があるようだ。だから、無理強いはしない。
 話したけりゃ、話せばいいさ。
 李の主義と計らずとも合致する。ゆえに、流れは淀みなく続く。
「北。極寒の地。他に何もないところだ」
 歌うように単語が列をなし、カイの口から冷えた空中に放たれる。
 蒼い空に照らし出された顔は、表面以上に白く輝いていた。そういえば肌も淡いな、と今更のように気づく。まるで、どこか地下にでも幽閉されていたかのような。
「俺は寒いのは苦手だ」
 受け答えとしては妥当ではなかったが、連想したことを呟く。不意に、く、と笑い出す音が聞こえた。ふと視線を上げれば、カイがおかしそうに喉で笑いを噛み潰している様が見える。率直な感想を述べただけなのに失礼な奴だと一瞬腹を立て、そしてやめた。
 ようやく感情を表に出すだけの余裕が出てきたのだと解釈した。
「石と雪と氷と風」
 何のことだ、と顔を上げる。
「それしかなかった。俺の周りには、な」
 だがそれでも良かった、とカイは言った。独白のような、囁きのような声。ずっと耳を傾けていたい、かすれたような吐息。
 口調からして、カイが彼の故郷から何者かの手によって連れ出されたのは明白だ。あの黒服たちがそうだったのかはわからないが、その経緯だけは李にもわかる。ただ、事実がさほどカイにとって重要であるようにも思えない。帰る場所などないと言っていたことを思い出す。
 故郷と呼べるものはない、ということか。
 望むべくして存在していたわけではない、と。それはあまり、素敵なことではなかった。
「友人とかいなかったのか?」
 口を噤んで、数秒。
「そんなものはいない。ただ、覚えている名前はある」
 遠くを見据え、形が音になる。
 ”ユーリ”
 外国の名前など、李には男か女か判別する手だてはなかったが、カイには思い入れがあるようだった。それだけあるなら、充分ではないか。
「なんだ、ちゃんといるんじゃないか」
 わずかに傷心したように、それでも安堵して口端を歪めた。何もないと思ったから心配したと。だが、カイはそれきり口を閉ざした。余計なことを聞いたかと反省し、草を敷き詰め終わった寝床から離れた。
「日が昇ったら俺の村に着く。朝食になるが今日は我慢してくれ」
 相手の首肯を確認して、くるりと李は背を向けた。いくらなんでもこのままの姿では問題があると思ったからだ。何より、寒さに弱いのはこの姿のせいだ。そして、カイのためにも最良の判断だろうと理由付けし、さっさと木陰に身を隠した。いぶかしむ視線が背中に注がれているのを承知で。

 がさり、と。
 自分が着ていた服を肩にかけ、再び現れたとき相手は片足を曲げて腕を預けたままの状態で目を見開いた。それでも終始無言で、驚愕とは程遠い様相だった。
 束の間見合ったのち、恐れもなくカイが岩から飛び降りる。着地と同時にこちらに歩み寄ってきた。わずかに警戒しているのだろうが堂々とした歩調にいささかもためらいがなかった。大胆不敵。李当人でなければそう評したくらい虚勢でもなんでもないのが、真摯な面からも窺える。
「なんだ、おまえは」
 手が差し伸べられる。上部が肌のあらわになった腕。
 こんなことを野性の獣相手にしてやったら大きな手にしこまれた爪の餌食だ。わかっているのだろうか。それにしても無邪気過ぎる。表情も。まるで子どものようだった。
 鼻先から触れ、口横にずれる。短毛が刺さって痛いのか、感触が浅い。それでもしっかりと、顔を掴む。まださほど成長していない掌で。
「レイか?」
 名を呼ばれたとき、得も言われぬ喜悦で満たされた。
 相手が何者であるか判別している。ここまで気が回るというのも意外な感じがして、驚いた。まったくぶっきらぼうな性格だと思っていただけに。
 肯定する代わりに人であったときと同じ金の眼で見つめ返す。
 カイが腰を抜かすところなど想像したわけではなかったが、反応が穏やかで逆に意表を突かれた。確かに、”金李”を襲って食べたのなら、服をわざわざ持って出て来たりはしないだろう。冷静に考えれば、適当な判断だ。
 それにしても自分の背丈といささかも変わらない大虎を相手に微動だにしないカイは、見かけ以上に大物であるらしい。そんな大器と知り合えたことに我知らず誇りに感じていた。
 どっしりと体躯を倒して寝床に座る。カイもそれに倣って腰をつく。
 猫型特有の腕の上にあごを乗せてくつろぐ体勢をとると、力を抜いてもたれかかるのがわかった。
 なんだ、疲れていたんじゃないか。
 太い尻尾をシートベルトとばかりに身体の上に乗せてやると、規則正しい寝息が横目に映った胸を揺らせはじめる。
 地面で寝ることは李にとっては仮眠でもしないことだったが、目を瞑る。
 自分以外の体温があることに母虎にでもなった心地を覚えながら、時が過ぎるのを待った。

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