■ Beyblade ■
長話 ■

 初めて見たときから嫌な予感がしていた。
 念を押した約束事は絶対に破らない李が、髪紐を買い忘れたこともそうだったが、何にも増して、常態よりもかなり浮き足立ったその表情が気に入らなかった。
 いつも沈着冷静で彼らの良き相談相手であり、修行の指導者でもあった金李が、まるで人が変わったように村以外の人間に対して気分を昂揚させている姿を目にして、真実、裏切られた気さえした。
 あんまりじゃないか、李兄。
 八つ当たりだということはわかっている。せめてもの詫びにと、道行で摘んできた小さい野花を、会合を始める前手渡してくれたことは嬉しかったけれども。
 頬を、わずかにではあったが上気させ上座に座る主賓を前にほくほくと会話を弾ませている。縦に長い丸型の卓上。並べられた山の幸の料理の品々。右横を向いてずっと先に視線を伸ばせば、不機嫌の源に突き当たる。
 仏頂面で、口はへの字。
 噤まれたまま、摂食以外の動きを極力しないでいる。話しかけられる諸々の内容に関して、あそこまで愛想がないのは偏屈な年寄りかよほどの変わり者以外いない。そんな奴を自分たちの李が気に入ってるのだと思うと、腹立たしくてたまらなくなる。ほとんど身勝手な、わかっているけれど子どもじみた憤り。
「マオ、そろそろ機嫌を直してやるといい」
 隣席している兄・ライがそっと耳打ちする。ぴりぴりした空気をやはり敏感に感じ取っていたようだ。朝から李が妹である少女に買い物を依頼されたことを知っていただけに、マオへの同情もあるにはあったが、李に対して弁明の念も強い。
 望んで自分との約束を果たさなかったわけではないことは、兄弟のように育った者として重々承知している。義に厚い人格だと知覚しているからこそ、当人も心苦しい立場にあるのだと弁解さえする。き、と睨み返して、そんなことは言われるまでもないことだと、ついつい兄に反論してしまった。苦笑がライの浅黒い頬に浮かんだのも無理からぬことだ。
 金李をよく知る村の人間たちの中でも、自分たち兄弟ほど彼のことを理解している者はない。一族すべてが李に限りない信頼を置いてはいたが、幼い頃からともに育ったライ兄妹が最も親密だった。だからなおのこと、他の国の住人であろうカイを持ち上げる少年が許せなかった。家族である自分らを差し置いているという、漠然とした事実が。
 それがカイに対する嫉妬なのだということも薄々気づいている。”仲良し”を取られたときに感じる、置き去りにされた気持ち。寂しさが、今は性急すぎて苦い。彼らの間に入りこむ余地がないから、邪魔者だと思われているのではないかとの、無用の心配すらある。そんなことはないと。そんな不義理な人間ではないことを、誰よりも熟知しているはずなのに。
 思いが外に現れて、膨れっ面を直すことができない。随分みっともないのだろうと意識しながらも、滲み出る不快感はほぼ臨界まで到達していた。ここで一言でも、李からフォローが入ればまだ救われただろうが。
「カイ、この山鳥の足は美味いぞ」
 塩加減が丁度良い、と。
 馴染みのないだろう食材と調理法を細かく説明するように、料理の一点一点の名前と中身を教え、取り分ける。いつのまにか客人の周りには、李が採集した取り皿の数々が、所狭しと並べられていた。李の箸のスピードに付いて行けないほど、カイの咀嚼が遅いのではなく、卓の端から端の飯をつまんでは語りかけ、どういうものかと吟味してからまた取りに向かう行為がひっきりなしに続いているのだ。
 さすがに煩わしいらしく、お目当ての人物は『ああ』とか『おう』とか、片言の返事しかしていない。まったく言うことを意に介さぬ生返事だろうが、宴を催した人虎自身は頓着せずだ。
 同席している村人のほぼ全員は、この光景を奇なものとして受け止めたことだろう。こんなに活発で闊達な少年の姿を見たことがない、と。
 あからさまに目が爛々とし、嬉々としているわけではなかったが、平素の顔のまま、中身は喜びで満ち溢れているらしいことは内情を知らない者でもわかることだった。元来隠し事の苦手な連中しかいなかったが、ここまで明らかな変化も珍しい。いや、一族を率いるかもしれない『次期候補者』として、肩を並べるライと比べれば、血の気の少なそうな少年にしては驚くほどの様変わりだったといえる。とはいえ李だけが血気盛んでないのではなく、単に発露の場面が他と異なっているだけにそう見られているに過ぎないのだが。
 カイに構うのが、すごく。ものすごく嬉しいらしいことは、出会って間もないもう一部の客分にも容易に察せられたらしい。
「なんだ、ありゃ」
 素っ頓狂な声音は、唾を逆にした帽子の主。
「ラブラブだねエ?」
 純真な感想を述べるのは、金頭のそばかす。
「一種異様な光景です」
 冷静と呆然が織り交ぜられた率直な意見は、分厚い眼鏡の少年。
 いい加減食卓の上が物の置けない状況になったところで、ついに主賓が眉を潜めた。先ほどまでは何食わぬ無表情をしていたのだが、とうとう彼の中で、理性が限界を超えたらしい。
「静かに食わせろ」
 暗にこれ以上構うな、と牽制しての発言なのだが、言われた当人は小皿と箸を手に持ったまま一向にお構いなしだ。まさに暖簾に腕押し。虎の耳になんとやら、だ。
 カイの台詞に、何さ、とマオは思う。
 郷に入りては、なのだから、歓迎される側は歓迎する側の好意を享受しろと。今だ立腹浅からない頭ではそう感じるしかない。彼らの関係が近しいために、他人に対して敵意を持つこととは無縁だったが、ここに来て少女にはカイという人物が至極目障りなものとして映った。反発を覚えるというか、純粋に腹立たしくて仕方ない。それも恐らく、他者に影響を与えずにはおれない、カイ自身の人格によるところなのだろうけれども。
「李はよほど、あいつがお気に入りらしいな」
 兄のほころんだ顔が浮かぶ。
 ふんだ。馬鹿みたいだよ。
「マオ、焼餅か?」
「うるさいよ、キキ」
 ちゃちゃを入れる自分より年下の少年に牙を向いて威嚇する。
 絶対絶対、仲良くなんてなってやるもんか。
 内心、いきなりの宣戦布告。
 睨み上げる視線の先、それに勘付いた標的が目線を上げる。
 む、と顔をしかめると、わずかに嘲笑が口元に宿った。そう見えたのは、自身の僻目かもしれなかったが。
 あんたなんか大っ嫌いだよ。
 べ、と片目を瞑って舌を出すと、間が悪くカイの顔の先を辿った李がこちらを凝視する。
「マオ、無作法だぞ」
 たしなめられる。カイの手前、若干の非難も混ざっていたかもしれない。だが、そこで素直にやりこまれるわけにはいかない。
「李兄なんか、鼻の下伸ばしちゃってさ。かっこ悪い」
 歯をむき出して反撃すれば、それ以上言葉が続かなくなり、ぱくぱくと開口閉口を繰り返す。本当に伸ばしていたのかと口元を手で覆い、そのことで料理の応酬が収まったことにカイが肩の力を抜く。
 ポーカーフェイスを気取りながら、なんだ、困っていたのじゃないかと察しをつけ、少女は唐突におかしさをかみ締めた。
 それはそうだ。もてなされている側とはいえ、自分の胃袋に食物を掻き込むペースと勘違いをした李の猛襲には、誰だとて迷惑この上ないことだったのだろう。そう合点が行くと、なんだか無性にカイという人間が微笑ましく思えてきた。それでも気に入らない、という印象は覆せないけれど。
 人の好い牙族の皆が集まった夜の団欒。
 大勢が囲む夕餉の食卓は普段の賑わいにさらに輪をかけ、真闇が包む世界へといつしかうずもれていった。

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