■ Beyblade ■
長話 ■

 彼らの言うところの『聖獣』というものには、さほど興味はない。確かに面白いと思わなくもないが、それは夢を追う彼ら自身の姿がほほえましいと感じるからだ。目標に向かって突き進む姿勢には尊敬の念すらある。だが、だからといって、共感するということにはならない。
 俺も随分マイペースだと言われるからな。
 言い訳めいた思い。和を乱す側ではなかったが、取りたててそれに加わることがすべて良いことだとは思っていない。一人でも生きて行ける。仲間や縁者は大切だ。でも、頼りすぎても駄目なのだ。
 ゆえに、深入りはしない。協力は惜しまないが、”見守る側”が自分には合っている。保護者役ばかりやっていたせいかもしれないが、ともに騒ぐのはあまり性には合わない。ただそれだけなのだろう。
 夜の外。
 目的の人物を探す。それももう慣れっこになった。すぐに目の前から掻き消えてしまう存在を見つけ出すのも、回をこなせば煩わしくもなくなる。既に習慣に近いかもしれない。夜露を含んだ草地を踏みしめ、辺りを見まわす。姿を追いながら、回想するのは先の会話。
 今までもそのことに関して少年と言葉を交わすことはあったが、あそこまで突っ込んだ議論をしたことはなかった。
 ”聖獣”を”力”と言ったが、それを実際目にしたことはない。キョウジュが口にするうんちく程度の知識しかなかったし、わざわざ見せてくれと懇願するような価値も見出せなかった。牙族の村で、彼らに関する研究資料を山と制作しているのを知ってはいたが、真面目に目を通したことはない。完成してから読ませてもらえば良いだろうと楽観視していたからだ。今もそう思っている。
 ただ、あの少年たちが持つ”聖獣”と、自分に当てはめられた”聖獣”の力というものには、若干の相違があった。いや、根本的な認識の違いが。
 タカオたちはそれらを”力”として宿しているらしいが、李は聖獣そのもの。
 現に自分は彼らがなぞらえた四方の神獣を体現していた。しかもその名は牙族の中では言わずと知れた通称だ。改めて問われても奇妙な感慨はない。
 一族には、必ず名前の前に定められた字(あざな)がつく。李は『白虎』。義兄弟のライは『黒虎』。それぞれに冠する呼び名が生れ落ちると同時に決められていた。
 なぜなら、彼らが半分は獣であるから。人であり、野性。だからこそ、世を忍んで生きている。隔てられた楽園。他人を拒む境界の中で。
 そして自分たちの血族がなぜ短命であるかも、何となくわかっている。獣と同じ年輪しか重ねられない。牙族が20歳半ばで一生を終えるのは、動物の寿命を考えてみれば妥当な、無理もない数字だ。物心ついたときには、大人たちの顔かたちを覚えていないのはそのためだ。一族のほとんどが親の顔を知らずに育つ。子どもばかりの村で、年長者が下の子らの面倒を見る。牙族は言わば、大きな家族のようなものだった。
 明らかに自分たちは人間ではない。けれど、だから”聖獣”そのものであると安請け合いされるのも困る。無論、飽くまでそれは”研究者”であるキョウジュの推論であり、決定打に欠いたものだったが、ああも堂々と公言されては苦笑いしか浮かんでこない。まるで、神聖視されているような口振りでは、買い被りだとたしなめたくもなる。
 俺はそんな大層な代物じゃない。
 言われてみれば、そう称されて良い気持ちになる者も中にはいるだろう。だが自分にはあまり歓迎せざるものだ。おのれの深部すら解き明かせない者に、いきなり理想を突きつけられてはたまったものじゃない。ご免だ、とすら思う。言わば、修行中の身には過度の評価は毒でしかない。
 熱心に聖獣に関する由来や伝説というものを、彼らの一族の歴史の中から集められないだろうかと調査を続けているキョウジュたちに、非協力的なのはそのためだ。自分の周りを嗅ぎまわられて、勝手に解釈されるのが面白くないと感じるのと同じ。見つけるのが自身だからこそ、納得もし、受け入れもするはずだから。強制的な評価のごり押しは勘弁してもらいたい。言ってしまえば彼らを傷つけるだろうことがわかっているから、あらゆる理由づけをしては村の外へ逃げ回っているのだ。自分でも大人気ない処遇だとは思う。
 けれどそうでなくとも、他人の干渉を望んで受けたいという質ではない。むしろ、独りの時間を悠悠自適に、主に睡眠を貪って過ごしたいのだ。飄々とどこにでも消えては現れ、現れては消えることを昔から子犬のように後をついて回ったマオなどには、その気まぐれを叱咤されたこともある。根拠はわかる。自分は村になくてはならない、と言いたいのだろう。一族のリーダー格。そのことは充分に承知してはいるのだが、生来の性質が担う役割に束縛されることを厭う部分があった。それに、まだ指導者として雌雄を決するには至っていない。一族”一”の強者として彼らを統率する担い手として。
 リーダーの選出は他の大勢の推薦による。実力もそれに付随していなければならないのだから、おのずと強い者だけが残る。”次”として選ばれたのは自分と、血の通った兄弟以上に親しい少年。いつも互いに修行の成果を見せ合い、批評しあっていた仲間。それを前に、次なる族長を決定する戦いを引き伸ばしているのは、まだその域に自分が到達していないと思うから。相手に問題があるのではなく、自分自身に。この手に宿る強さに納得していないのなら、戦いを仕掛けても無意味。対するライにすら侮辱。勝敗などではなく、満足の行く結果を手に出来ないと直感しているからだ。
 一族の一部には逃げていると中傷されることも少なくない。確かにそうだ。間違ってはいない。だが、この気持ちを声を大に広めたいとも思わない。自身の問題ならば、解決してから周囲を納得させてやる、と。
 プライドがある。理想を追い求める限り、今はまだそのときではない。それに文句を言ってこないのは、肩を並べるライもそう感じているからだ。お互いに長の座をいつまでも空席にしては置けないと自覚しつつ、おのれの内面との葛藤は続く。
 目指すは、一人前の男としての戦い。
 肉体的精神的なものではなく、鍛錬を積み重ねてこそ培われる泰然自若たる意思。心構え。胸に秘める信念。
 出来てはいない。少なくとも、戦いの許可を下すほどのレベルには到達していない。明確な時間はわからないが、時は今だ頭上に巡っては来ない。
 ふと、上空を見上げる。昨夜、岩場に腰掛ながらカイが見つめていたそれ。
 満天の星と、遠くに臨む上弦の月。
 また同じ風景を見ているのだろうか。見えなくなった、影を思う。
 すぐにいなくなってしまうから、誤解してしまう。故意に探させているんじゃないかと。すぐさま思いあがりだと失笑に頬を歪めたが、どうやらそれが悪いことではないらしい。そう、思えない。悪くない、のだから、それはすなわちストレートに”善い”に転じる。安易なものだ。思えば惚れた張れたと言った手前、二人きりで会うのに多少の気恥ずかしさがあってもおかしくないだろうに、先立つのはまた会って話がしたいという率直な感情。馬鹿げている、と思う。本当に間が抜けている。
 自覚があるから、なおさら手に負えない。

「おい」
 背後から声がかかる。聞き覚えのあるトーンに、金目がぱっと見開かれる。振り向けば、そこに探し人。闇夜に輝く白い羽をたなびかせて。
「この村には風呂はないのか」
 埃っぽいから汗を流したいと次ぐ。寝床を決めているわけではないだろうに、汚れた体を洗うことの方が先決らしい。わざわざカイから声をかけるくらいだ。
「井戸から水を汲んで布で拭くことしかしないんだ」
 ここでは。答えを聞いた顔が、みるみるしかめられる。ご大層な身なりをしているから、大浴場でなければ満足してくれないだろうか。山では水は貴重な資源であるから、水道が引かれているという都会でない限りは風呂などという”水溜り”は存在しない。そして、それに浸かるという風習もない。あっても川で戯れる程度だ。
「それでいい」
 しばしの黙考ののち、そう答えをはじき出す。とにかく肌を拭いたいらしく、井戸のある場所を尋ねる。
「俺の家に小さいのなら一つある」
 そういえば、カイの寝室も用意していなかった。館の客室はタカオらが占領しているから、自ずと自分の住処が滞在場所の候補として上がってくる。
「良ければ寝床も貸すが」
 顔色を窺いながら返答を待つ。野宿よりは多分マシだとフォローを入れつつ様子を探る。別段、嫌だというサインはなかった。考えてみれば、虎の穴倉に招待するのも奇妙なものだ。取って食われやしないかと懸念されてもおかしくない。人肉など、こちらからお断りだが。
 カイがじっと顔を凝視する。赤い星が射抜いてくるようで、何度も目をしばたかせる。ちかちかして、思わず反射的に。
「変な癖があったら蹴り出すからな」
 癖、と聞いて首を傾げる。いびきなど、その手の心配はないと思ったが。8歳まで寝食をともにしていたライ兄妹からは、そんなことは聞かされた覚えはない。大丈夫のはずだ。
 それにしても蹴り出す、とはどういうことだろう。仮にも自分の家を宿舎として提供すると言っているのに。
「経験でもあるのか?」
 夜、うるさいのがいたという。
 口を噤む。目線が脇にずれて、再び戻った。かすかに憮然とした表情。
「ガキの時分、昼寝の時間にやかましいのがいた」
 耳を疑うような、つっけんどんな物言い。まるで本人を目の前にしての言。誰だろう。知っている奴でもあの三人の中にいたのだろうか。同郷ならばもしかして。
「タカオみたいな奴だな」
 まさかな、と思って妥当な投げかけ。無反応。是も否もない。すなわち肯定。カイの心理というのは慣れてしまえば手に取るようにわかる。
 本当に知り合いだったのか、とか、昼寝っていつの話だ、とか。安直な問いが浮かんでは四散した。思わぬところで想像だにしないつながりというものがあるんだなあ、と思いながら、カイは触れるなと言ったが、キョウジュの勘もあながち当たっていないわけではないな、と感じた。
 まるで引き寄せられたかのように、ここに集っているのだから。
「そうか、知己だったのか」
 まただ。わずかに消沈している自分がいる。出鼻をくじかれた、というか思わぬ伏兵にダメージは大きい。ゼロからの出発。先にリードされている事実に焦る。まともな神経であれば、何を焦燥することがあるのかと嘲笑われるくらいだ。愚にもつかない独占欲か、カイとの親密度が気になる。追い越されていると思うだけで、悔しい。
「ガキの頃だ。あいつは覚えちゃいまい」
 そっけなくてもフォローだろうか。過去を話すのをためらうように、ぶっきらぼうな口調。先を越されたというより、明かしてくれたことに素直に感謝すべきだろう。口の硬いカイが、事のついでとはいえ話してくれたことなのだと。
「うるさかったら叩いてもいい」
 仮にも家主を家から放り出すのだけはご法度だと注釈をつけて。承知したらしい、鼻で笑う声が返った。腕を組み、常と変わらぬ横柄な態度。思わず苦笑を洩らす。見咎めたように、眉が引き結ばれた。
「なんだ」
 不機嫌な顔。それこそカイらしい、と思わせるのはどうしてだろう。拗ねているような印象を勝手に抱いてしまったからだろうか。
「いいや、別に」
 何事もない口振りで、歪んでしまう頬の筋肉を指で抑える。
 ああ、駄目だ。カイは本当にかわいい。
「不気味だぞ」
 ひどい言い草。
「カイのせいだ」
 責任転嫁。
 台詞が飲みこめないと不可解な表情になる。それも好い。
 気を引きたくて、困らせたいと思ってしまう。先ほど無視された”仕返し”も含まれていたかもしれない。生真面目だと言われる自分以上に実直なカイの性格。ちょっかいをかければ、その分返ってくる反応が嬉しい。自分だけに向けられた、この世にただ一対の双眸。独占する錯覚に眩暈すらある。
 見つめ返す鋭い視線には、何ら影らしきところはない。今はない。この瞬間だけは。だが、”本当”はどうなのだろう。見え隠れする彼の真実は。
 カイが抱く”謎”は人に懐疑を興させる。それは認める。けれど、自分だけは相手を傷つけないように、その責めから”守って”やりたい。贔屓目だということは重々承知している。それでも、たった一人くらい味方がいても良いだろう。孤独という名の厚い雲に覆われたまだ見ぬ天蓋。そこは、多分。青く澄んで、涼風を運んでくれるだろう。
 ついぞ目にできぬ、真実の空。

 雲が晴れるのを待つ気はない。でも、強制もしない。
 カイが話せるだけの実をつけよう。自身が大きくなればいい。包みこんで温められるだけの器量と力を身に備えて。信ずるに足る存在へ進化しよう。
 ただこの時のために。
 自分自身のために。

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