■ Beyblade ■
長話 ■

 とばり、幕、何もない、黒。
 人工灯のない本当の闇は安堵する世界。静寂が支配する、こぼれるのは月の瞬きか、落とす涙か。
 音を潜めた静けさと、目を覆うように視界の利かない暗闇の中では、促されるのは、ただ内側から吸い寄せられるような安眠。そういえばほとんど寝ていない状態だったことに遅まきながら気がついた。だからこんなに安らいでいられるのだろうか。
 否、違う。
 そこに誰かがいるからだ。一人ではない安心感。じっと気配を潜めれば、耳に波のように響く寝息。自分はそれを知っている。鼻を寄せる胸元に寄せる。カイは寝ている。身じろぎ一つせず。大きな頭は重いだろうから、体重をかけないようにわずかに顎を持ち上げて盗み見る。
 綺麗な睫毛。淀みのない色。瞼の下、目の下に宿る影さえ今は穏やかだ。長い前髪から覗くりりしい眉。全部好きだ。じっと見つめていると次第に思考が溶けて行く錯覚に陥る。ふにゃふにゃと、普段張り詰めている緊張感が砕けてゆく溶解現象。睡魔が心地よく心身を襲い、合わさって至福となる。
 きっと、一人ではなくなったら。お嫁さんをもらって初めての夜を過ごすとき誰もがきっと抱くのだろう。大切に、大切に、そっと見守りたいくらい大事な存在を意識する。初床の花嫁などカイに当てはめるのは違っていたけれど、なんとなく印象は近い。もうひとつの自分。というには多少図々しい、嬉しい実感。どこか頭を違えている、とカイが目を覚ましていたらそう評されて終わる。気のせいかもしれない。何か悪い夢でも見ているようで、決して悪くない。
 いいじゃないか。誰しも快楽には弱い。麻酔のように体に影響を及ぼす不思議な感覚に酔いしれることは、この一瞬だけなら許されるはずだ。永続など、端からありはしないとわかっているから。
 自覚はあるから許してほしい。見逃して、受け入れて。
「…重い」
 いつのまにか乗っかってしまったらしい。頭上で低い呟きが洩れた。起こしてしまっただろうか。とろんとした目つきのまま、片目だけをしばたたかせる。ぴくぴくと倣うように耳が振れ、脇に投げ出されていた腕がのそりと持ちあがって、肩口から指し入れていた大きな鼻に触れた。拒絶というほどの強さではなかったが、数回叩くようにしてから関節を軸に重力に倣って落ちた。すっかり覚醒しているのではない、夢見心地の応答。声音が不機嫌であるかのように低かったのもそのせいだろう。勝手に胸を枕にされては、慣れない者なら抵抗を示して当然。でもあまりに人肌が気持ち良くて、どけるよう促されても多分無理だ。
 そして再び深みに落ちる。カイの頭の下に敷かれた、固めの四角い枕に沈み、先刻言葉を発した唇が薄く閉じられる。それを確かめ、自身もまた。

 何もない夜。気持ちいい。
 心だけが。体さえも。
 どこかに運び去られて、眠る。
 呼吸のたび揺れるカイの胸はゆりかご。
 薄い板の中。
 脈づく温もりと鼻をよぎる、夜露の風。

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