長話
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一日の職務はデータの整理。 キョウジュ、こと牙族の村を訪れた小さな科学者は、朝からそれらの仕事に追われていた。李たちの好意であてがわれた客室の窓からは、年の近しい者のはしゃぎまわる声が聞こえる。いい気なものだ。というか、こちらにお誘いが来ないだけマシだと解釈すべきだろう。自分の役目である情報処理を邪魔されないだけ、今日はついている。母親が学者である手前、マックスだけは作業の妨げにならないよう無理に誘わないなど、気を使ってくれるのだが、同じ年頃という理由だけで、輪に加われと持ちかけてくるタカオにはほとほと手を焼いている。彼としてはまったく悪気があっての所業ではないことは重々承知しているが、やることが山積みなのに振りまわされるこちらの身にもなってほしい。とはいえ、タカオを傷つけるだろうとわかっていることを、わざわざ口にしたことはなかったが。 結局私もタカオには甘いということでしょうか。 図体だけが自分よりも勝っている弟のようなものか、と想像しかけて止まる。あんな兄弟は、ちょっと願い下げだ。元気が有り余って、うるさくて、横暴で。友達としてなら、消極的な自分を盛り上げてくれるので悪くないのだが。などと我ながら埒も空かないことをぶつぶつと考えながら、目の前の機械を操る。 マックスの母親が勤める研究所から送られてきた最新データをプリントしたものに目を通し、ペンで印をつけながらこちらで手に入れた情報を織り交ぜて、徐々にレポートを完成させてゆく。どこかの学会で発表する意図があるわけではないが、興味を覚えることに関して独自の理論を展開し、まとめあげることに興味があった。それこそが、学者の本分であることは了承済み。タカオがその他大勢の仲間たちと騒ぐことが楽しみだというのと同様、キョウジュにとっては『聖獣』というものの実態を解き明かすことが最大の面白みだった。村に持ち込んだ愛用の機械の前に座りこみ、終始作業に熱中する姿を、おおよそ子どもらしからぬと世間からは評されるが、少年少女たちが一様に誰もが同じ思考でなければならないと考えるのは、大人の勝手な解釈だ。すでに幼い頃から他と異なる芽を吹き出させる者がいてもおかしくはないだろう。 かさり、と音がして、はっと画面に釘付けになっていた頭を上げる。 踏んでしまった書類を拾い上げ、目を通す人影。 「お、驚かさないでください」 没頭していたがために気配を察することが出来ず、思わぬ来訪を受けて心臓が跳ねあがってしまったことを言外に責める。ノックを忘れて、というか、この部屋はドアが開け放たれたままだったので不可抗力か。原因は、言わずと知れた仲間のタカオだ。躾がなってませんよ、というよりも、陰気臭いからという少年なりの気遣いなのだろう。 敗後から外の光を受け、雑然とした空間に佇む影は黒。わずかに襟首に白が散っている。 「まるでゴミ溜めだな」 訪れた部屋をそう評す。暴言を覆すことは出来ないほど、確かに様相はそのとおりだ。一人でここを占領しているのだから自分で片付けようとは思うのだが、どんどん溜まる一方の紙の山。そこに埃が溜まれば、不衛生であることも承知している。発言の主が一目置いている存在でもあったため、素直に自身の非を恥じた。かあっと条件反射で頬に朱が昇る。気にも留めず、カイは居場所を定めて了解も得ずに腰を下ろした。片足を組んで、拾った紙片に見入っている。白い紙の上に羅列された文字に集中する真摯な双眸。邪魔しがたい雰囲気が漂っているとき、どう言葉をかけるべきか真実悩む。 本来なら、いきなりの来襲を部屋の主として咎めこそすれ、場を明渡すということ自体珍しい。マックスならば、よほど緊急の用事がない限りここへは立ち入らないし、タカオが来るときはどたばたと、まるで来訪を報せるようにやかましく足音をさせるので、先手を取って牽制することも出来る。仕事場というのは、作業に専念すればするほど余人の訪問を拒まざるを得ない状況に陥るものだ。なのにカイに対してそれを許すのは、二人きりになったまたとない好機であると認識しているからだ。すなわち、自身の研究に関わる情報を持つだろう稀有な人材である、と。ならば、覚悟は決まったも同然。 「2、3質問してもよろしいですか」 無言のまま次々と資料を取り替えては読みふける少年の名を呼び、用件を切り出す。緊張を強いるものだった。まるで相手は王者の風格。許可なく入室したことにまったく悪びれた様子もない。寄越される視線も、仕方がないので聞いてやる、という威圧感がある。かといって、ここで臆すわけにはいかない。学者の卵の端くれであるという自負が奮い立たす『蛮勇』、といったところか。 「あなたは、”朱雀”の所持者なんですね?」 昨夜しかと聞き逃したことを再度尋ねる。 『聖獣』を所持する者、というのは表現の仕方に少し難があったかもしれない。なぜなら彼ら『聖獣使い』は、それらを”保有”しているのでも、”管理”、”支配”しているのでも、どちらでもないからだ。根拠は、実際それらを目にしているから。初めてその存在と対面したのは、学友だった木ノ宮タカオが無意識のうちに、おのれとは異なる”別”のものの存在を”知って”いたからだ。よほど親しくならなければ見せてくれることはなかっただろう。期せずして、親友として彼の道場に招かれたときだった。いわゆる剣道の甲冑を省いた道着に着替え、木刀を持ち、基本の型となる構えを見せてくれたとき。ぴん、と空気が張りつめた。床に正座して眺めているうち、不意にタカオの持つ木刀の剣先から、少年の体を包みこむような、エネルギー体のようなものが浮かび上がった。幽霊か何かかと初めは腰を抜かしたが、当のタカオがそれを見咎めた友人に喜色満面の顔を見せたことで一気に沈静化した。上機嫌で胸を張り、その正体を自慢げに語り始めたときには、恐怖はどこかに吹き飛んでいた。さながら、未知のヒーローを見つけたときのような、そんなわくわくした胸の高鳴りだけが体に満ち溢れ。 『名前もついてるんだぜ?”ドラグーン”てんだ。かっこいいだろ』 鼻の下を擦り上げ、えっへんと講釈しだす。木ノ宮家に伝わる武道である『龍心剣』という剣術の修行をしている最中に見つけた、とタカオは無邪気に語った。蒼い光に包まれた、太い管。長く伸びた輝く肢体には、無数の鱗が生え。形状は言わずもがな、『龍』と呼称すに相応しい、凛としたたたずまいの”もの”だった。神々しさすらある気品を兼ね備え、少年を守護するように姿を見せた。キョウジュ自身は恐れ多くて触れたことはなかったが、タカオ本人に聞いたところ、包まれているときは熱いような冷たいような感じがするのだそうだ。であれば、目の錯覚ではなくやはりエネルギー体か何かなのだろうか。タカオ自身が初めに”ドラグーン”を目撃したのは、正確にはわからないらしい。普段から何かいるな、と思いつつ大して気にもしていなかった存在だという。それもそのはず。物心ついたときから常に日常的に”黙認”しているものに対して、極度な警戒心を持つ方が異常なのだ。慣れ、と人は言うのだろうが身近にいて、”在って”、認識しながらその正体については知らされても、知ろうという気にもならなかった。不思議というものに疑念を抱かなかったからこそ少年が名づけた青い龍”ドラグーン”は、ふとしたことで眼前に姿を現し、そしてタカオに”付いた”のではなかろうか。付く、というのは無論憑依するのではなく、味方になると言った方が近い。青龍を宿すタカオを見る限りは、そう評して差し支えはないだろう。友達のような感覚。少年の裏表のない、時に気分屋ではあるが、それを見ている限り”支配”や”契約”とは無縁の観があった。 キョウジュは、ともすれば異様な感覚の持ち主であるタカオの内面をこう解釈する。 知らず聖獣と関わりを持ち力を宿すようになった者には、その感覚が特別なものとしては映らないらしい。操作法を知らずバランスを崩して乗れなかったはずの自転車を、いつのまにか手に馴染むように乗りこなし、どうすれば楽に動かせるかを知識としてではなく”体感”するのと同様、どうして乗れるようになったのか、とか、どうやって自転車を動かしているのかという理屈は、そこには存在しないようだ。頭で考えることを先にしていたら、実際現実ならざるものであるはずの『聖獣』の存在を受け入れる余地など生じなかったはずだ。 彼ら『聖獣使い』にとっては、彼らというものと、それらと接点を持つことはものすごく普通で、他者から見れば完全に普通ではないものに映る。 それが『聖獣』と『聖獣使い』。 だとしたら、突如として、いや、生来”宿す”要因を含んでいたエネルギーの正体を、何と称すべきなのか。そしてそれらを受け入れ、『聖獣使い』となった者は。 理想論だけで語れば、聖獣使いは聖者に等しい部類の者たちで、何かの使命によって”選ばれた”人間たちであるということになる。安易な発想だが、特異な能力を持った者たちに対して、色々夢を見てしまいたい気持ちも嘘ではない。子ども心には難しいが、そうした根拠のない展開を省いて、真にそれらが何ものであるか、を究明するのが、大げさでも自分の使命と思っていた。だから、絶対に聖獣に関わる人材と話を交わさねばならない。知り得ていない何かを解明できる糸口になるかもしれないのだ。 「聖獣はこの世に霊験を新たかにした”聖霊”で、聖獣使いはその”憑坐(よりまし)”、か」 恐らくそれらの”定義”の部分を読んだのだろう、眼を、落とした先から逸らさず、カイがキョウジュの言わんとした言を受けた。 無用な説明など不要。打てば返る、とはまさにこのこと。そして、やはり重要な何かを知り得ているキーパーソンであるらしい。この、大人びた雰囲気を漂わせた、異彩を放つ少年は。 「カイは、朱雀が”拠り所”とする者なんですか?」 表現を適切に近いものに切り替え、再び質す。 答えを濁すように噤まれた口は、発言することを禁じられているような印象がある。一体、誰に。 やがて、搾り出されたのは。 「捨てた、と言ったはずだ。もう、俺には関係ない」 終止符を促す回答。 「そこが私にはわからないところなんですが」 カイの返答には、どう考えても話題をそこから引き離したい観がありありと浮かんでいる。それに、『捨てた』と表現するのはいささか定理に反してはいないか。聖獣が自然に”憑坐”に受け入れられた、または受け入れられるべき存在であったのだとするなら、故意に”憑坐”が彼らをどうにかしようというのは、土台無理な話と見るべきだ。彼らの『発生』が偶然に近い産物なら、『消滅』も同類のはず。悪い”病気”を医学の力で正常な状態に戻すために治療を施すのではないのだから、人工的な作用でもって、それが”なされる”状態にあるわけではないだろう。聖獣が、人体や人間たちにとって有害であると認知されたわけでもないのなら、カイの言うことには矛盾がある。いらないと言って、聖獣を使い手が”引き剥がせる”という根拠が成立しないのならば。 それとも。 出生が、そこに関わっているのだろうか。 「火渡グループで何か研究でもされたんですか?」 少年が名乗った姓を耳にしたときから、ある一定の予測は立てていた。口にした途端、火がついたようにかっと双眼が見開かれた。瞬間、宿ったのは紛れもない、憎悪。紅をたたえる眼光が、禍禍しいまでに無防備だった眉間を射抜き、そして自制するように防がれた。逸らしたのは、もちろんカイ。 一瞬とはいえ、感情を露にしたことを後悔するように顔を伏せた。 被害を被ったキョウジュは、締め上げられた心臓を意識して、硬くなった呼吸を何度も繰り返した。蛇に睨まれるどころの騒ぎではない。あからさまな憎しみというのを目の当たりにして、完全に肝が縮んだ。カイもそれを見越したからこそ、目を伏せたのだ。 瞬く間に起こった出来事に、次の言葉をつなげることはもはや不可能だった。 キョウジュが口にした『火渡グループ』が逆鱗に触れたのか、彼らがしているかもしれないと予想を立てた『研究』、がカイの怒りに触れたのか。言及する術は、今この場には存在していなかった。 |
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