■ Beyblade ■
長話 ■

「これで何度目になる?」
 物静かではあったが、声には若干張りが備わっている。責める口調というより、何かを懸念しての言。いや、見越しているのかもしれない。
「叶うまでいくらでも」
 手首に二つご丁寧に嵌められた鉄の輪を眺めながら、棒立ちのまま少年は答えた。先ほど暖を消され、石の壁と床で囲まれた空間の空気が急速に冷えて行くのがわかる。強がりではなかったが、温かい環境よりも冷たい方が好もしい。かといってこのまま行けば、確かに不快に変わるだろう。そして、それが奴らの”仕置き”でもある。
 ジャラリ、と重たい音がして、地面から生えている鎖を拾う音がした。両手両足につながっる戒めを手に取り、横目でこちらを見る。
「いい加減あきらめる気には?」
「なるか」
 語尾に相手の嘆息が重なった。禅問答にもならない、拒絶と思しき反応。一度決めたことを覆すことは至難の技。理解していれば、それ以上相手を説き伏せようという愚行には走らない。最大にして最良の、”知人”。
「ヴォルコフ様に呼び出されたそうだが、大方説教だったのだろう」
 問うのではなく、確認。無論、そうでないはずがない。脱獄を試みる囚人のような真似をしつこく繰り返していれば、小言をもらっても不思議はない。ただ、度を越せばそれは命令に変わる。
「何度言おうと同じことだ」
 強い口調が室内に響く。頑迷に主張するには、理由がある。
 根本に発端なくして、何が志か。動機のない行動など、不純を通り越して愚劣。短絡的行いに意義も大義名分も見出せない。されど、おのれを誇るための行為ではない。その奥底には、焦げ付き、今も灰色の煙を吐くじりじりと焦土を広げる鈍い光があるだけだ。
 誰も自分を止められない。
 否。妨げるなら、”敵”だ。
 決して美しくはないもののために身を貶めるのは自虐的ですらある。自らの誇り高さを無視して、それすら構わないと切り捨てられるほど根深い、黒い炭のような焦燥の地。癒されない。修復することも、望むべきことを実行し終えた後でも手に出来るのは自己満足だけ。すべて承知済みだ。光のない、何も生み出さない心の混沌にして、元凶。
 それは『悪』と自覚し得るものであり、同時に自身の立証でもある。存在の意味。こうして二の足で立っている大地を、現実を『形成』するもの。逃れられないし、気休めで治められる憤りでもない。
 そう、これは怒りだ。
 憎しみで、攻撃で、悲しみと恨みに彩られた諸々の悪。
 復讐など無意味だ。連鎖し、痛みを拡大させるだけの。益は自身の勝手な満足感だけ。賢者は愚行とする。有益ではない、”無”に近い虚しいものとして。
 だが、すべてを承知で拳を握る。血塗られることに自ら望んで突き進む。精神的昂揚による一種のトランス状態であると言っても差し支えのない病的興奮。投げ出せないのは、あまりに悲嘆が心中を満たしているから。
 強くない証拠だ、と誰かが言った。
 物事に動じるのは、心を泰然と保っていられないからだと。
 その通りだと誰かが言った。
 すべては自身。
 理性でもプライドでも本能でも知能でもない。
 完全なる、自己に住む全能者。
 見据え、”総体”を支配する、無限の信仰。


 歴代の孤児院統括者の肖像が並んで飾られる院長室。清潔な匂いに保たれているが、凡そ人間がそこに住んでいるとは思えないほどの不気味さもある。礼拝堂の近くゆえに神聖さを保つ必要もあろうが、お綺麗にしつらえられた上品な空間には違和感すらあった。むしろ、机上に座るこの部屋の主に感じるものか。
「君はもっと賢い子だと思っていたよ」
 心底失望した、と声音にも表情にも滲ませる。それがこの男の常套手段であることを見抜いている手前、余計な良心の呵責はない。
「俺はそこいらにいるガキと同じだということだ」
 口端を吊り上げてせせら笑う。相手が否定するとわかっていながらの返答。彼らの組織が心血を注いで鍛え上げた精鋭でもある自身が、その辺の同年代の子どもらと同じレベルであるはずがない。組織が手がけたという自負があり、小さな身に潜在する実力もわかりきっているからこその思考。傍目から見れば、その様は尋常ではあるまい。
「このままだとユーリの手を患わせることになってしまうよ」
 カイ君、と。
 殊更丁寧な口調が鼓膜を打つ。世代の相違だけではない。底冷えするような優しい声音は、持ち主の独特の人格と特異な自信を誇張しているようでもあった。ぞっと、わずかに肌があわ立つ。しかし、そこで怯むくらいなら同じことを繰り返したりはしない。
「だったらさっさとけしかけてみたらどうだ?」
 どうせ相対させるために『用意』したのだろう。どちらか、ではない。どちらも。いや、奴らの本命はこちらではないのかもしれなかった。見え透いた猿芝居。
 道具だ。
 有力者を育てるために磨き上げられ、いずれ潰されるだけの存在。当然、”潰す”側に益があるからこそ、打ち崩される側にかける費用や手間は惜しまない。卓越した能力者を育て、目的の中枢に座す側を高めるために両立させることなど端から考えていない信念。無双、とはよく言ったものだ。二つとないからこそ、頂点を制すことが出来る。自分は、そのための捨て駒でしかない。
 それもいいだろう。
「まだ君のレベルでは無理だよ、カイ君」
 静かに、やんわりと返される。机に肘を立て、手の甲に長い顎を乗せる。頬にはわずかな笑みが覗き、目元にも微笑が添えられている。だが、明らかに見下している印象だ。腹に据えかねる態度。常の自分なら、無用の慈悲など突っ返すところだったろう。
「俺もそう思うぜ」
 力がまだ臨界に達していないから、組織の雑兵ごときに道を阻まれるのだと。数に任せて襲いかかる者たちを退けられるほどの力量がまだ備わっていないことを素直に認める。こんな無様なままで、おのれが最も欲する首級(しるし)を挙げることなどできるはずがない。
 心が優しいからだ、とユーリは言った。
 自分ならば遠慮なく敵の命を奪うのにそうしないから。
 俺は殺人機械じゃない。
 目的以外の生命などいらない。
「とにかく今日は、久しぶりに火のない生活をしてみるといい」
 薄く微笑んだ男の口元には、年季の入った笑い皺が深く刻まれていた。


 地下にしつらえられた牢獄のような石岩の獄。同化するようにつながれた自身。
 懐かしさもある。昔、よく監禁された場所。馴染みのある、闇に潜む虚無。手を伸ばせば、すべての終焉に届くかと思われた、凍てつき錆びきった孤独。
 鎖を伝う冷気が、重さとあいまってずしりと四肢を捕う。
 不意にふわりと獣の感触が身体の側に横たえられ。
 白い銀色の狼が傍らに身を臥せた。
 氷河の同胞(はらから)。
 青い瞳の見上げる先に、わずかな光を蓄える窓がある。
 そう、錯覚した。

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