■ Beyblade ■
長話 ■

 彼らが崇拝する信仰体への礼拝は、早朝と昼に2度あった。
 信心深いわけでもなく、そういった慣習のない者がそれらの輪に加わることがどれだけ無意味であるかは知っている。だが、彼らの多大な『恩恵』に与っている孤児院の一員と一般参加者に認識されている手前、形だけでも席につかねばならなかった。無論、不参加であったとしてもどのようにでも言い逃れはできる。手っ取り早いのは、仮病の類いだ。誰も顔を覚えている者はいないのだから、同じ手を繰り帰し使っても不審がられることはないだろう。集会に出席しても、席に座って黙すだけ。ならば去れば良いのにそうしないのは、単に暇を持て余しているに過ぎないのかもしれない。
 退屈な時間に辟易し、距離を置いて隣で瞑目する赤毛の人物の表情を盗み見た。
 まるでおのれを含めた一切の存在を感知せず、立ち入らせもしない神聖さが唇からわずかに離れた位置で両の手を組み合せる外観から立ち昇っているように見える。窺える感情というものはなく、心静かに座したまま。おおよそ、無神論者の自分には馴染みのない空気だった。そこだけ不快ではない冷たさが辺りを満たし、身を引き締める。無言の緊張があった。
 ”同僚”のユーリは、祖国に根付く教典の敬虔な信仰者だった。かといって、故意に自身の信仰を他人にお仕着せもしなければ、神という名の絶対者の偉業をひけらかしもしない。本来西欧人というのは他宗教に関して常に不審の目を向け、おのれの信心を深く信ずるがゆえに、自分と異なる者を排除する暴挙に出ることも少なくない。だからこそ、会話の端端でも自分の信じる者のことを決して口にはしないユーリは、芯の部分での本当の信仰者だと感じていた。聞いた話では、厳格な信者は神の名やその尊い偉業を口に上らせることは甚だ軽率であり、実を軽んじているとの判断から戒められるのが通常らしい。しかしユーリに限って、そんな規律に縛られて自身に制限を設けているとは到底思えない。それを自然にこなせることが、さらに彼自身の精神を強く引き絞ってているのだろうとの実感があった。
 洗練された、混じりけのない”真実”を体現している。口にはしないが、そう思う。強さも、確かさも、自分にはないものをすべて、相手は持っているのだと。
 ユーリと話をするのは、日にそう何度もあることではない。
 顔を合わせることはあっても、終始言葉もなく同じ時を過ごすのがもっぱらだった。互いに唇を開くのが億劫な質だというか、他人に時間を侵されるのを極端に嫌う節があったのだと思う。さながら、森に佇む樹木の一つ。あって当然で、黙して当たり前の自然の一部。交流を必要としなければならない”個”同士というよりは、本当の意味で一番近しい生物のような印象だった。
 確かに、何もいらない。取って付けたようなおべっかも、片言の社交辞令すら不必要であるかのように。
 とても、居心地が良い。このまま、それに慣れてはいけない。
「眠ってしまうほど退屈ならば来なければいい」
 長い睫毛を持ち上げて、主催者の閉会の言葉をそのままに先ほどまで瞼を下ろして瞑想にふけっていた人物が、ちらりと横目で一瞥する。うっかり意識を手放してしまっていたことに今更気づき、腕を組みつつ体勢を崩していた身体をもう一度椅子の上で立て直す。無防備だったのだろう。声をかけられて初めて周囲の状況が飲みこめた。広間の大きな入口から、徐々に人々が退場して行く。
 覚醒させた当人の口調は責めではない。下心も、感情の一切も伴わない、事実をありのまま述べただけの代物だった。気遣ってかけられたというよりは、カイにとって無駄な時間を過ごさずとも回避する何らかの手段があったのではないかという、至って合理的な意見だ。
 余計な負担も、負荷もない。正確には心がない、と評するのかもしれなかったが、それはお互い様だ。無感情とも取れる慈悲のない物言いをするのは、自分の方が元祖だと言ってもいい。
「つまらん話を聞いている方が、集中して休息を取れるだけだ」
 授業中、講師の話が良い子守唄になるの同じ道理。
 く、と相手の頬が強張った。
「確かにおまえは、よく寝ない」
 夜という長い時間を、心身の疲労を回復させるものでないと肉体が誤った認識をしているのか、自分には深い眠りに没頭してしまえるほどの余裕がなかった。それを見越しての言。自身の不健康を公言するようなものであれば、わざわざそれを肯定するのは間が抜けている。自嘲とも取れる小さな笑いが、カイの鼻筋を通って洩れた。
「よく観察したものだな」
 洞察力がないとは言わないが、ユーリという人間が周りに興味がないと思われていただけに意外なことではあった。
「俺は知ってる」
 続く台詞に、虚を突かれた。
「カイのことなら、何でも」
 俺は知っている。
 数秒間を置いても、普段どおりの受け答えができなかった。ユーリの足元に忠実に身体を添わせていた白い狼が、音も立てずにこちらを見上げる。次の答えを待ち構えているのか、物言わぬ人の双眸もまた。
 咄嗟のことにどちらとも視線を合わすことが出来ず、カイは顔をしかめて黙考した。
 ありえないことだ。対象のすべてを知っていると豪語する。100%というものが存在しない、無根の断言。なのに、揚げ足を取らんとする意識は自然と奪われていた。
 目の前の、白い影に浮かぶ氷上の青白に。
 思い込みではない。確かにユーリの言葉には確信がある。
 口数少ないだけに、ものの真実を見極め開く、伝心のかけら。
 誰にも理解されないと思って過ごす、虚無の毎日。解読されることも、同情も望んではいない。それでも、わかっていると、信頼できる人間に言ってもらえるのがこれほど安堵するものだとは思わなかった。情けないことに、ほっとする気持ちが、どこかにある。
 そして、不覚にも認めてしまった。愕然たる眼前の真実に、本来マグマを従えているはずの思考回路が水を打ったように静まり返ってしまった。
 どろどろとした、焼け焦げるものが一瞬にして。

「カイくん」
 気を抜いていたのか、知らぬ間に他人に背後を取られ、鋭い殺気を反射的に放つ。ぎらり、と睨み据えたその先には、人懐こい笑みを浮かべた良心の体現者がこちらを緩やかに見下ろしていた。
「話があります。礼拝堂の掃除が終わったら、院長室に来なさい」
 何の用だ、と暗に目線で訴える。怪訝な、腹の底が読めないという意思表示。もともと大人特有の横柄さで、内心を読み取らせない、分厚い面の皮を被っているとは思っていたが、人前に出てきたときはさらに格別であるようだ。
 普段の穏やかな物腰に輪をかけて、聖人を気取っている姿は得たいの知れない化け物に見える。実際、間違った解釈ではなかっただろう。
 にこやかに、品を損なわないままに崩れた目もとで、鉤鼻の男は殊更優しい声で囁きかけた。
「君に相応しい任務があるのだよ」
 歪む視界に映し出されるのは聖君の改心の笑み。
 笑い鬼、という日本のおとぎ話が不意に頭をよぎった。

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