■ Beyblade ■
長話 ■

 閉ざされた大きなドアを背に、数秒間を置いてから足を踏み出す。前に。軽快な足音ではなかったが、ゆっくり、いつもの歩幅で歩を進める。

 男に言われたことを反芻する必要があった。吟味するにはあまりに冷静ではいられない事柄ではあったが、客観的な視野も必要だろう。殊に、あの人間の言ったことであれば尚更だ。
 指令は、聖獣の捕獲。耳にした当初は正直、相手の思考を疑った。野性動物を捕まえるのではないのだから、麻酔銃と網と檻を用意して、野生の王国へ乗りこめというわけでもあるまい。目的地はアジアの大国の山の中。言わば田舎といわれる僻地だ。そこに聖獣使いでもいるというのか。そんな、天然のものが数多く。
 指令内容では明確にされていなかった標的の数は、おのれの判断に任された。つまり、世にも珍しい力の持ち主とはいえ、基準値に満たない弱いものは必要ないのだと。捕えたものは、恐らく実験の材料にでもするつもりだろうが、それにしても不明瞭なところが多い。
 目的が今一つ明らかでないことは勿論、ターゲットとすべき輩についても言葉を濁した。下調べができていないのか、あるいは他に意図があるのか。が、前者の可能性はきわめて低い。そんな曖昧な真似を、あの男が許すはずがない。組織の首魁が、安直な判断を下すはずがないのだ。どこか、別の目的がある。どこか、ではなく、それが複数あるのかもしれなかったが。
 聖獣というものに関しても、使い手でありながら半信半疑の節がある。定義もしかとなされているわけではなく、様様な解釈が許されているような、不確かなもの。運良く憑坐(よりまし)となった者に宿り、無償で力を貸してくれる正義の使者というわけではあるまい。少なくとも、彼らの存在が仇となったことは事実だ。少なくとも、自分には。
 そもそも、やつらは何なのか。何のために具現化し、何をするために現れ出でるのか。それすら、自然という無為の現象に過ぎないのか。

 だが、問うなかれ。我に住み着くものに不審の念を抱くのは矛盾した行為だ。自らを否定しかねない危うさすらある。かといって、すべてを信頼しているというわけでもない。
 苛立ちがある。周囲のあらゆる事物に感じるのと同じようで、諦めに似た感もある思い。自分自身の『仕方のない性癖』とうまく折り合いをつけてやっていかねばならないことを、あらかじめ知っているのに近い。
 仕方ない。仕様がない。だから。
 思わず顔が片面だけ醜く歪むのを知覚する。諦めが肝心だと公言して憚らない者もいるが、確かに踏ん切りをつけられずうだうだと過ぎたことにこだわるのは見栄えの良いことではない。しかし、体裁が悪いからといって、続けていた行為を容易く放棄することも潔いとは程遠い観がある。いわば、個人の主義主張主観によるものなのだろうが、”諦め”というものに対して敵意を持っていると言っても過言ではなかった。

 そう。しつこい質なのさ。
 (だからこそ、こうして生きていられる)
 生き恥を晒しても。例え無様な姿でも。
 存在を無くさせられた方がここでは敗者だ。

 とりあえず、任務は承諾した。束の間とはいえ、自由が与えられた。外に出る権限。奴らの妨害も覚悟しなければならないだろうが、止められるというなら止めてみせるがいい。
 背後を振りきるように、踵を返し角を曲がる。冷えて重たくなった鉄塊を外気から遮るように、首を覆った白いものが大きく弧を描いた。



「寂しくなる」
 妙にはっきりとした声音が耳元に届く。至近距離ではなかったが、身支度をする者に語りかける姿はすぐ横にある。仁王立ちし、普段組まれている腕は横脇に揃えられている。見下ろす瞳は下から仰ぎ見る体勢であるがゆえに窺えない。それでも肩越しに視線を投げかけ、鎖をはずされた鉄輪をどうにか避けつつ革靴を履けた上体を持ち上げた。
「長の別れというわけじゃないだろう」
 つま先を浮かせて床で数回叩く。新しい靴はどうにも履きなれない。靴擦れを起こさぬよう、今のうちに形を整えておく必要があった。新品特有の艶の上に少しくらい痕がついたところで構うものか。
「華国へ行くんだろう。遠い、な」
 やけに台詞が神妙なのは、どうやら気のせいではないらしい。表面は、まったく平素と変わりのない冷たさだというのに。
 氷のようだ、と人は評すが、陶器のように血管すら浮き出ない肌の下には血が通い、かすかにぬくもりが宿っていることは事実だ。ユーリは確かに人とは違う。自分と同じように、確実な感情の起伏が存在するのだということも、今までも確かめたことがない。他人と関わっているところを目撃したことがないからそう思いこんでいるだけかもしれないが、投げかける言葉の一つ一つにも情らしいものは何一つ浮かばない人間だった。
 浮世離れしている、のだろうか。無垢だとも言えるし、思考するものがないのではないかとも取れる。人形ではないが、それに近い印象は拭いきれない。
 不明瞭な主の感情を補足するのが、付き従う白い影か。体毛の一本一本が、細い氷柱でできているのではと思しき青い狼。眼は金色(こんじき)で、時折思い出したように瞬きするもう一つの造型。剥製にも似て、こちらもやはり明瞭な感情表現というものがなかった。
 それでも、たとえ造りものだとしても、この地でよく馴染んだ二つの面影。無表情とはいえ、それらに感傷のようなことを吐かれれば少なからず動揺はある。
「海を隔てているわけでもない、同じ大陸だ」
 靴と足の間に余分な隙間がないか上から抑えて確かめながら、視線を合わせず答える。
「心配するほどのことじゃない」
 無感動であるのはこちらも同じか。抑揚のない声音。
 そうか、と小さく応えが返った。
 応答を受けて、ただ、と知らず口から呟きが滑り落ちる。
「聖獣を捕獲して来い、というのはどういうことだ」
 独白だったが、相手はそれを正確に拾い上げた。
「引き剥がせ、ということだろう?」
 一体どこから。
 何を当たり前のことを言っているのかと怪訝な調子すら含んで、ユーリが見下ろす。見下しているのではなかったが、今のこの体勢には問題があるようだ。覚えず屈めた背を元の位置に戻す。真正面から睨めつけるように、同じ高さになった相手の面を見据えた。
「力ずくでということか」
 ユーリは苦笑したらしい。顔の下半分はまったく動かなかったが、アイスブルーの冷たい眼がわずかに緩く細められた。
 頭を下げて譲ってくれるほど易くはないだろう、と唇が言葉をつむぐ。ごく自然に。当然だと言わんばかりに。相手の口調に対して、脳裏をよぎった疑念をカイは見逃さなかった。
「捕獲したことがあるのか?」
 眉間に通常よりも力が込められる。若干の威圧すら込められていただろうそれを、ユーリは難なく受けとめた。答えは、ない。
 目線を逸らしたのはカイの方だった。考えこむように、床に目を落とす。払拭しきれない疑問が頭に浮かび、同時に打ち消そうという意思が働く。
 手駒にされているのは承知の上だ。しかも、それがナンバー2として位置付けられていることも。常に組織が重きを置くのは、この目の前に佇む氷の人形にであり、自分はその前例にされているに過ぎない。わかっている。認めている。かといって、捨てきれない。
 プライドは、誰よりも高く、燃え盛っているから。
「寂しくなるな」
 同じことを繰り返して、ユーリは再び黙す。部屋に入ってきてからというもの、双眸から放たれる光が一点に釘付けになっていることに気づいていないのか、カイは面を強張らせたまま拳を強く握り締めた。いつしか植え付けられた黒い種。いや、もとからあったものを奥底で深く根を張らせたのは誰でもない、自分自身だろう。
 裏切ってやる。
 強く、思う。
 取るに足らないという自身への評価も、与えられた任務の遂行も、何もかも。決して、思い通りになどなってたまるか。
 根付くのは反骨。反目。
 反抗ではない、復讐の鬼火だ。その火種が失われることなど恐らく永劫ないだろう。それこそが真の望みであるかのように。
 強くする、強くさせる作為。
 今、この手の中にある。
 険しい瞳を、対の双璧が静かに見守っていた。

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